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「バスターズ・ペーパー BUSTERS PAPER 私を映画に連れてって!」No.13~No.23(1996年5月20日~1997年4月20日発行)

「バスターズ・ペーパー BUSTERS PAPER 私を映画に連れてって!」No.13~No.23(1996年5月20日~1997年4月20日発行)

 1996年春から1997年春までの一年間、仕事の都合で、博多に住んでいました。事務所兼住居は、博多駅の2km南。天神などの主要な繁華街まで、自転車で15分~30分の距離でした。事務所(住居)とクライアントの間を往復する毎日でしたが、郊外暮らしが染み付いている身には、繁華街まで自転車で行き来できることは新鮮でした。

 天神で、よく通っていた書店のひとつが、「福家書店 天神コア店」です。ショッピング施設「天神コア」の地下1階・2階にあった書店ですが、6階にある大型店「紀伊國屋書店 福岡店」とは対照的に、広くはなくても、目的を持って寄れる品揃えの店でした。地下1階は「街の本屋さん」のようだったと記憶していますが、楽しかったのは「好きなひと向け」の地下2階でした。きちんと覚えている訳ではないので詳述はできませんが、音楽や映画についての本はここに探しに行っていました。

 ミニコミやフリーペーパーの棚があったことも「寄る」理由でした。「福家書店 天神コア店」に「もらいに」行っていたもののひとつが、映画好きのためのフリーペーパー「バスターズ・ペーパー BUSTERS PAPER」です。発行人・編集は坂口淳さん。B5版、オフセット1色刷、8ページの月刊誌(毎月20日発行)でした。表紙は、坂口氏による俳優のイラスト。誌名の横に小さく「私を映画に連れてって!」の文字。特集、コラム、新作紹介、映画祭のレポートなどが、坂口氏や常連投稿者の文章やコメントで構成されています。

 博多在住時に手にしたNo.13~No.23について、特集や記事を書き出してみます。特集は、通常、テーマに沿った投稿者のコラム集です。


●No.13(1996年5月20日) 表紙=アンディ・マクドゥエル
特集 『映画館』その2(投稿記事のほか、1996年4月20日オープンの「AMCキャナルシティ13シアターズ」取材、福岡市にある映画館からのアンケート回答)
●No.14(1996年6月20日) 表紙=ブラッド・ピット
特集 『12モンキーズ』公開記念!近未来映画特集(投稿記事のほか、キーワード集、モンティ・パイソン人脈図)、「あいち国際女性映画祭 '96」リポート
●No.15(1996年7月20日) 表紙=トム・クルーズ
特集 『ミッション:インポッシブル』公開記念!デ・パルマ監督&スパイ映画大作戦(投稿記事のほか、投稿者コメント構成によるデ・パルマガイド)
●No.16(1996年8月20日) 表紙=渥美清
特集 夏だから『アジア映画&ホラー映画』特集!+渥美清さん追悼
●No.17(1996年9月20日) 表紙=ヒュー・グラント
特集 『僕らの青春映画』
●No.18(1996年10月20日) 表紙=ポール・ニューマン
特集 とってもタイムリーな『法廷モノ映画・映画の中の正義!』&何を今頃と言われても『アジアフォーカス総括』(投稿記事のほか、「アジアフォーカス・福岡映画祭 '96」総括)
●No.19(1996年11月20日) 表紙=スティーヴ・ブシェーミ
特集 『泣く映画』&『ファーゴ』公開記念!『コーエン兄弟』
●No.20(1996年12月20日) 表紙=ユアン・マクレガー
特集 20号達成記念!『そっくり』&『インデペンデンス・デイ』公開記念!『侵略モノ映画』(『そっくり』は設定などが似ている映画のこと)
●No.21(1997年1月20日) 表紙=ジョニー・デップ
特集 ベスト・フィルム・オブ・ザ・イヤー1996(追悼 M・マストロヤンニ、1996年 皆さんのベスト5)
●No.22(1997年3月20日) 表紙=ジーナ・ローランズ
特集 『ナシ』(※ナシというのは、「梨」の事ではなく、特集のテーマが「無い」ということ。自由課題)
●No.23(1997年4月20日) 表紙=スティーブ・マーチン
特集 『笑う映画』


 特集とは別に連載コラムがあります。
・中野政康「MUSIC ON THE MOVIES」(音楽紹介)
・シュガー・ザ・リッパー「ハリウッド裏通信」
・坂口淳「お笑い探偵団」(コメディ映画紹介)
・中岡葉「王様の耳はパンの耳」(エッセイ)
・A・KUSANO「[今月の]ライブラリー」(映画関連書籍紹介)
・坂口淳、児玉優子、岡本圭恵「DURUTTI COLUMN」
・里美真紀「OUCH!」
手元にある号にはありませんが、坂口淳さんによる「映画日記」という連載があったようです。

 読み直していて、面白く思ったことに、ファクスの利用があります。前述の「映画日記」は、誌面の都合上、載らなくなったようですが、読みたいという読者に向けて「郵送かファックスでお送りいたします」とあります。「エフ・マガジン ふくおか」というファックスで取り出す月刊情報誌も紹介されています。「バスターズ・ペーパー」と連動した内容が掲載されていたようです。また、「毎日新聞」の広告が掲載されているのですが、そこで紹介している記事について、「バスターズ読者サービスでこれまでの連載コピーを[郵送かファックスで=引用者註]お送りします」とあります。思えば、当時は、ネットを通じた情報のやりとりはまだ広まり始めた頃で、画像データを送るには負荷が大きく、その点はファクスが主でした。個人的にも電子メールというものを利用し始めたのがこのときです。博多支社(と言っても事務所兼住居)と大阪本社とのやりとりのためでした。

 ところで当時、この「毎日新聞」の広告と常連投稿者、毎日太郎氏の関係について、まったく考えていなかったのですが、2022年になって、ひょんなことから判明します。ただ考えていなかった、迂闊だったというだけの話なのですが。
 「福家書店 天神コア店」で店長をされていた高倉美恵さんは、当時購読していた「西日本新聞」に「本屋さん」というコラムを連載されていました。愛読していて、博多勤務を終えて、大阪に戻った折にも、掲載紙を持ち帰っていました。「バスターズ・ペーパー」について書かれた回もあり、「バスターズ・ペーパー」にも、そのお返しにと「福家書店 天神コア店」について書かれたコラムが掲載されたこともありました(No.17、「DURUTTI COLUMN」「本屋の中の本屋」)。その連載が2006年に『書店員タカクラの、本と本屋の日々。…ときどき育児』(書肆侃侃房)という本にまとめられたとき、JOJO広重さんによる紹介文を読んで、「高倉店長」のことを思い出しました(個人的に面識はなく、店と客の間柄でしたが)。時は流れて、2022年。高倉さんのパートナー、矢部明洋さんの映画評を集めた『平成ロードショー 全身マヒとなった記者の映画評1999〜2014』(忘羊社)を読んでいたら、同書でイラストを担当されている高倉さんが「解説にかえて」で次のように書かれていた。

矢部と知り合ったのも、私が店長を勤めていた書店に置いていた映画のフリーペーパーに矢部が寄稿していたというのが縁だったりする。最初は「いけすかない文章をかく毎日太郎というやつがいるな」という印象だった。ふざけた名前だと思っていたら、毎日新聞の記者だった。

矢部明洋『平成ロードショー 全身マヒとなった記者の映画評1999〜2014』

 「毎日新聞」広告には、「毎日太郎氏も愛読」といった文言がありましたし、コピーサービスの連絡先は「矢部」となっていました。観察眼と記憶力に優れ、勘がよく働く身であれば、『平成ロードショー』の著者名を見ただけで、合点したにちがいありません。

矢部明洋『平成ロードショー 全身マヒとなった記者の映画評1999〜2014』

 博多勤務を終え、大阪に戻ってからは福岡に行くことがありませんでした。「バスターズ・ペーパー」は何号まで出たでしょうか。配布先一覧によると、大阪でも「梅田ロフト」にあった「WAVE」「リブロ」に置かれていたようです。が、ついに見つけることができませんでした。配布部数が少なく、固定読者がしっかりと押さえていたのかもしれません。「福家書店 天神コア店」は、わたしが博多を離れた15年後の2013年8月31日に閉店、「天神コア」そのものも2020年3月30日に閉館、取り壊されたそうです。福岡に行くことがあっても、再び訪ねることはできませんが、手元の冊子を見るたびに、思い出すことができます。

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