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オブスキュア レコード についての「ロック・マガジン」記事拾遺

 1975年、ブライアン・イーノ Brian Eno が、ロキシー・ミュージック Roxy Music での活動、脱退後のソロ活動への評価を背景に、かねてから暖めていた、ギャヴィン・ブライアーズ Gavin Bryars ら親交のある作曲家の作品を送り出すためのレーベルを設立します。オブスキュア レコード Obscure Records と名付けられたレーベルからは、No.1~No.4が1975年12月、No.5~No.7が1976年暮れ、No.8~No.10が1978年にリリースされました。

 このシリーズについて、わたしが知ったのは、「ロック・マガジン」第10号(1977年10月)が最初です。「soft machine Eno stomu yamashita」と書かれた表紙を見かけ、めくると、「それは今、プログレッシヴ・ロックからフリー・ミュージックへと(前編)」と題された特集。ビートルズ The Beatles から60年代サイケデリックロック、さらにプログレッシヴロックへと続いていた関心がソフト・マシーン Soft Machine の系列やブライアン・イーノに向かっていたところだったので、うってつけの内容だった訳です。この特集の記事のひとつが、「OBSCURE RECORDS」でした。記事と言っても、実際には、No.1~No.7のアルバムカバー裏に掲載されたクレジット、解説、作曲家紹介の翻訳(抄訳)だったのですが、統一されたデザイン、未知の作曲家たちのプロフィールに興味が湧きました。
 同号は、初めて手にした「ロック・マガジン」でもありました。こうした音楽についての情報が得られるならと、バックナンバーを注文したり、古本屋で見つけるなどして、それ以前の号を手にすることになります。そこには、リリースされたばかりの Obscure Records へのリアクションも記録されていました。

 Obscure Records の初の本格的なセット "THE COMPLETE obscure RECORDS COLLECTION 1975-1978"(伊 Dialogo、2023年11月24日発売)がリリースされたということで、「ロック・マガジン」に記録された Obscure Records についての記事を読み返してみました。


●Obscure Records 概要

「Evening Star」やOBSCUREの4枚のアルバムでは前衛音楽界の巨匠であるジョン・ケージやテリー・ライリーの影響を受けつつも、深淵な静の世界を現出させる透明なサウンドを披露しており並々ならぬ才気を発揮している。(菊池洋一郎「イーノのサウンドは今後増々我々に刺激ある安らぎを与えてくれるに違いない。」)

「ロック・マガジン」第2号(1976年5月)P.21

「特集 これがメインストリームだ イーノとその周辺」の巻頭文です。菊地洋一郎さんは、当時、東芝EMIのディレクターで、イーノが所属していたアイランドレコードの担当でした。"ANOTHER GREEN WORLD" の日本盤『緑世界』の解説執筆を、「ロック・マガジン」編集長の阿木譲さんに依頼した人物です。

確かに重さといい、とてもすばらしいアルバムなんだけれど、ジャズがあんなに悪い方向に行ったように、ロックという音楽も、もうそろそろ、そういう袋小路に入りこんでいる、さしかかっているんじゃないかなと、特にこんなステキな4枚のアルバムを聞いていて感じるんだ。(阿木譲「RECORD REVIEW」OBSCURE No.1~No.4)

「ロック・マガジン」第2号(1976年5月) P.185

阿木氏は、新譜紹介欄で、Obscure Recordsの最初の4枚を紹介していますが、ここでは「気持ちのいい部分を、そっと撫でてくれる」ことを警戒しており、あえて距離をとるような書きかたをしています。

E 私自身のレコード・レーベルを持っているのを知っている?
A オブスキュアでしょ。4枚とも持ってます。次の三枚を出るのを待っているんですよ。
E もうすぐ出ますよ。来月の初めかな。
(ブライアン・イーノ・インタビュー「私はトップに居なくていいんだ。第二ディヴィジョンの一番上に居ればいいような静かな気持ちです。」、E=ブライアン・イーノ、A=阿木譲、通訳 永積靖子 1976年7月)

「ロック・マガジン」第4号(1976年10月) P.26

 第2号(1976年5月)の「RECORD REVIEW」欄でも、「No.5からNo.7まで、5月までには、輸入盤で入ってくると聞いたし、その中には、ロバート・ワイアットも入っていると聞く」と記されていましたが、7月のイギリス取材の時点でも出ていなかったようです。ロバート・ワイアットは、作曲家としてではなく、演奏者として、No.5 "Jan Steele/John Cage VOICES AND INSTRUMENTS" に参加しています。

 アイランド傘下から発表されたブライアン・イーノ自身のオブスキュア・レーベルの意味それはイーノ自身の変化と音楽(ロック)に対して視座の移転とを交差させて考えれば明白だろう。(中略)オブスキュアという名前の裏にはイーノのロック・ファンに対する警告の意味も含まれている。(阿木譲「嘴の大きくなった鳥は 跳ぶことも出来なくなってしまうというお話。」)

「ロック・マガジン」第10号(1977年10月) P.11

 Obscure Records作品を本格的に紹介した特集「それは今、プログレッシヴ・ロックからフリー・ミュージックへと(前編)」の巻頭文です。続けて、イーノ自身の言を引きながら、Obscureの意味を解説しているのですが、意味がとりにくいので省略します。名前や評価に惑わされずに「いいなと思うようなレコードを聴く」(ブライアン・イーノ)ための作戦ということなのだと思います。イーノさんは、ギャヴィン・ブライアーズのテープに感動したことがレーベルを持つ決心の主因と話されています。

●obscure no.1: Gavin Bryars THE SINKING OF THE TITANIC

obscure no.1: Gavin Bryars THE SINKING OF THE TITANIC

(略)肉体の中に免疫が出来てはいるけれど、やはり徐々に肉体は弱ってきてはいるんだろう。(略)一人でうたうその声のくりかえし、"NEVER FAILED ME YET" と力なくうたっているけれど、はたして、そうかな。(阿木譲「RECORD REVIEW」OBSCURE No.1~No.4)

「ロック・マガジン」第2号(1976年5月) P.185

 "The Sinking Of The Titanic" についての前半は、タイタニック号の沈没と有害物質の土壌汚染を取り違えて書かれているのですが、取り違えはともかくとして、阿木氏にはこうした音楽に慰撫されることへの警戒があったのだろうと思います。"Jesus' Blood Never Failed Me Yet" についての後半も同様です。

OBSCURE NO.1 曲目、クレジット、解説、作曲家略歴 (抄訳)
(「OBSCURE RECORDS」)

「ロック・マガジン」第10号(1977年10月) P.26~27

OBSCURE NO.1 曲目(特集「現代音楽」、DETAILS=カタログ)

「ロック・マガジン」第15号(1978年8月)P.113


●obscure no.2: Christopher Hobbs/John Adams/Gavin Bryars ENSEMBLE
PIECES

obscure no.2: Christopher Hobbs/John Adams/Gavin Bryars ENSEMBLEPIECES

SIDE-1は(中略)僕はADAMSの曲の方が好き。SIDE-2は(中略)BRYARSの"1, 2, 1-2-3-4"という曲ではイーノがヴォーカルを担当している。[ブライアーズ作品はSIDE-1の曲よりも] SIDE-2のこの曲の方がはるかに素晴らしい。(阿木譲「RECORD REVIEW」OBSCURE No.1~No.4、[ ] は引用者補足)

「ロック・マガジン」第2号(1976年5月) P.185

OBSCURE NO.2 曲目、クレジット、解説、作曲家略歴 (抄訳)
(「OBSCURE RECORDS」)

「ロック・マガジン」第10号(1977年10月) P.27~29

OBSCURE NO.2 曲目(特集「現代音楽」、DETAILS=カタログ)

「ロック・マガジン」第15号(1978年8月)P.113

●obscure no.3: Brian Eno DISCREET MUSIC

obscure no.3: Brian Eno DISCREET MUSIC

イーノはきっとこのアルバムの音録りの時に、スタジオに入って自分自身でシンセイザーを演奏しながらも、自分自身の音楽を聞いていたんだろう。(阿木譲「RECORD REVIEW」OBSCURE No.1~No.4)

「ロック・マガジン」第2号(1976年5月) P.185

E ディスクリートという言葉自体は、今の時代にあてはまらない言葉だろうね。これはオールド・ファッションなイギリス人の観念で、なんとかして人に気持ちの良い印象を宛、なんとか人に丁寧で違和感を会えないようにというのが、その意味なんだ。私があのアルバムで言おうとした事は、部屋に音楽がかかっていても意識しないで、しかももし聴く人がインヴォルブしようとすればそう出来るというような音を作り出そうとしていた事なんです。(ブライアン・イーノ・インタビュー「私はトップに居なくていいんだ。第二ディヴィジョンの一番上に居ればいいような静かな気持ちです。」、E=ブライアン・イーノ、A=阿木譲、通訳 永積靖子 1976年7月)

「ロック・マガジン」第4号(1976年10月) P.28

この発言については、阿木譲さんは、「ロック・マガジン」第5号(1976年12月)のOBSCURE No.5~No.7の「RECORD REVIEW」欄での紹介で、「今、彼は彼自身、内に向かって放つ《音》を求めているだけに過ぎない。イーノは今、そういう時期なんだ。」「彼の本音はBGMになって欲しい等とは思っていないだろう」と書いています。その状態で、テレビジョンをプロデュースしようとしたから、失敗したのだ、とも。「しかし僕は決して、イーノはこのあたりの音で悟りきってしまう人ではないと信じている。いつか外に向かう世界に対して放つ音を作り始めるような気がする。」。デイヴイッド・ボウイ "LOW" 発表前の文章です。

OBSCURE NO.3 曲目、クレジット、解説、作曲家略歴 (翻訳)(「OBSCURE RECORDS」)

「ロック・マガジン」第10号(1977年10月) P.29~31

OBSCURE NO.3 曲目(特集「現代音楽」、DETAILS=カタログ)

「ロック・マガジン」第15号(1978年8月)P.113

阿木譲「RECORD REVIEW」「イーノの音楽には朝の光が必要だ」『ディスクリート・ミュージック』)

「ロック・マガジン」第46号(1982年8月)

●obscure no.4: David Toop/Max Eastley NEW AND REDISCOVERE MUSICAL INSTRUMENTS

obscure no.4: David Toop/Max Eastley NEW AND REDISCOVERE MUSICAL INSTRUMENTS

SIDE-1のMAXは、きっとハンドメイドなんだろう(中略)とてもおもしろい楽器を操作している。
こんなレコードはひょっとしたら、今の小学生や、中学生達が聞いているようなそんな気がして仕方ない。
(阿木譲「RECORD REVIEW」OBSCURE No.1~No.4)

「ロック・マガジン」第2号(1976年5月) P.185

OBSCURE NO.4 曲目、クレジット、解説、作曲家略歴 (抄訳)(「OBSCURE RECORDS」)

「ロック・マガジン」第10号(1977年10月) P.31~33

OBSCURE NO.4 曲目(特集「現代音楽」、DETAILS=カタログ)

「ロック・マガジン」第15号(1978年8月)P.113

●obscure no.5: Jan Steele/John Cage VOICES AND INSTRUMENTS

obscure no.5: Jan Steele/John Cage VOICES AND INSTRUMENTS

OBSCURE NO.5 曲目、クレジット、解説、作曲家略歴 (抄訳)(「OBSCURE RECORDS」)

「ロック・マガジン」第10号(1977年10月) P.33~35

OBSCURE NO.5 曲目(特集「現代音楽」、DETAILS=カタログ)

「ロック・マガジン」第15号(1978年8月)P.114

●obscure no.6: Michael Nyman DECAY MUSIC

obscure no.6: Michael Nyman DECAY MUSIC

E (略)今、話してる間に新しいオブスキュアのレコードをかけてあげるよ。(MICHAEL NYMANのDECAY MUSIC)
すごく静かな曲だから聞いてください。
(ブライアン・イーノ・インタビュー「私はトップに居なくていいんだ。第二ディヴィジョンの一番上に居ればいいような静かな気持ちです。」、E=ブライアン・イーノ、A=阿木譲、通訳 永積靖子 1976年7月)

「ロック・マガジン」第4号(1976年10月) P.26

I have also produced some more Obscure Records, which I shall have sent to you soon. I am especially fond of the piece called '1 - 100' on Obscure 6 - this is a piece of music I like to play when I am eating or thinking. I think you will enjoy it. These records should reach you in 2 or three weeks.
ブライアン・イーノ「A LETTER FROM BRIAN ENO 27-12-76」

「ロック・マガジン」第7号(1977年3月) P.1

OBSCURE NO.6 曲目、クレジット、解説、作曲家略歴 (抄訳)(「OBSCURE RECORDS」)

「ロック・マガジン」第10号(1977年10月) P.36~38

OBSCURE NO.6 曲目(特集「現代音楽」、DETAILS=カタログ)

「ロック・マガジン」第15号(1978年8月)P.114

(略)彼の静謐なピアノの音が部屋の中に流れると、きっと気味の心の中が洗われる思いがするでしょう。とにかくこんな素晴らしいアルバムが日本で発売されることなど、不思議なほどだ。後悔しないためにも必ずこのオブスキュアは全部買っておくこと。絶対に損はしない。僕が保証します。
(阿木譲「RECORD REVIEW」「静謐なマイケル・ナイマンのディケイ・ミュージック」『ディケイ・ミュージック』)

「ロック・マガジン」第46号(1982年8月)


●obscure no.7: Music From The Penguin Café PERFORMED BY MEMBERS OF THE PENGUIN CAFÉ ORCHESTRA

obscure no.7: Music From The Penguin Café
PERFORMED BY MEMBERS OF THE PENGUIN CAFÉ ORCHESTRA

具体的に今後ロック・マガジンでは、次の2つの活動を始めて行こうと考えています。
①ライヴ・ハウスの運営・企画・制作。
②マイナー・レーベルのレコード制作。
(中略)今のところそのライヴハウスの名前を "ペンギン・カフェ" にしようかと考えています。
(阿木譲「PASSIN' THROUGH ― 通行客」)

「ロック・マガジン」第15号(1976年10月)P.88

OBSCURE NO.7 曲目、クレジット (翻訳)(「OBSCURE RECORDS」)

「ロック・マガジン」第10号(1977年10月) P.38

OBSCURE NO.7 曲目(特集「現代音楽」、DETAILS=カタログ)

「ロック・マガジン」第15号(1978年8月)P.114

イーノの設立したオブスキュア・シリーズの中でもこの「ミュージック・フローム・ザ・ペンギン・カフェ」だけが売れていて、こんな風にイーノの精神をぶったぎりにして売られるやり方には一抹の寂しさのようなものを感じる。(中略)ブリティッシュ・トラッドとポップ・ミュージックの融合とでもいうこのペンギン・カフェ・オーケストラの音楽が、82年になって初めて陽の目を見たというのは、トロピカルなかわいいペンギン鳥のブームに乗っただけと思うのは僕だけだろうか。
(阿木譲「RECORD REVIEW」『ようこそペンギン・カフェへ』)

「ロック・マガジン」第43号(1982年4月) P.76

サイモン・ジェフス Simon Jeffs から送られたテープを聞いて、イーノがオブスキュアからリリースしたアルバム。これまで、カバーには、大きく作曲家の名が、その下に小さくタイトルが書かれていましたが、このアルバムでは、作曲家ではなくタイトルが大きく記され、その下は、演奏者の説明になっています。レコードラベルには、Simon Jeffsの名が大きく書かれていますが、カバー裏には作曲家略歴はありません。また、カバー表も、黒く覆われた写真の一部が覗くデザインが、このアルバムについては全面が黒く覆われています。リリース当初から、シリーズ中、異色の一枚でした。

●obscure no.8: John White/Gavin Bryars MACHINE MUSIC

obscure no.8: John White/Gavin Bryars MACHINE MUSIC

OBSCURE NO.8 曲目(特集「現代音楽」、DETAILS=カタログ)

「ロック・マガジン」第15号(1978年8月)P.114

●obscure no.9: IRMA An Opera by Tom Phillips, Music by Gavin Bryars, Libretto by Fred Orton

obscure no.9: IRMA An Opera by Tom Phillips, Music by Gavin Bryars, Libretto by Fred Orton

OBSCURE NO.9 曲目、紹介文(特集「現代音楽」、DETAILS=カタログ)

「ロック・マガジン」第15号(1978年8月)P.115

「ロック・マガジン」第15号(1978年8月)特集「現代音楽」のカタログページでは「オブスキュア No.1~No.7についてはロック・マガジン10号を参照してください。ここでは重複させません。」と記されていますが、No.8、No.10についてもクレジット、解説の記載はなく、カバーと曲目のみになっています。Obscure No.9については、カバーと曲目の他に、短い紹介文が掲載されていますが、カバー裏の解説にもとづくものではありません。後半に「ブライアーズとサイモン・ジェフス(ペンギン・カフェ)はロンドン周辺で演奏活動を行っているが、オブザーヴァー紙に、ブライアーズの音楽のユーモアと優しさを指摘した好評が載せられた」と、"IRMA" に参加していないサイモン・ジェフスについての記載があることから、別の紹介記事を元にしていることが推測されます。

●obscure no.10: Harold Budd THE PAILION OF DREAMS

obscure no.10: Harold Budd THE PAILION OF DREAMS

OBSCURE NO.10 曲目(特集「現代音楽」、DETAILS=カタログ)

「ロック・マガジン」第15号(1978年8月)P.115

このアルバムの音楽の緩やかな流れの中に身を置いていると、存在するもの総てのもののない方するスピードが減速されて静止してしまうほどに身が軽やかになってしまう。(阿木譲「RECORD REVIEW」「深みと緩やかさはいつしかぼやけた曖昧な静態という世界に導く。」『夢のパヴィリオン』)

「ロック・マガジン」第45号(1982年7月)

 第45号(1982年7月)の文章は、ハロルド・バッドの他、ギャヴィン・ブライアーズ『タイタニック号の沈没』、ホッブス/アダムス/ブライアーズ『アンサンブル曲集』、トゥープ/イーストレイ『新しい楽器と再発見された楽器』の1982年の日本盤復刻発売についてのものです。オブスキュア以降のアンビエント、フォース・ワールドへの流れを押さえ、「静態への転移というサイケデリック・ミュージックでもあるイーノの音楽こそ、音楽の本来の機能であり運動である。やさしさという言葉があるとするなら、この5枚のアルバムの音楽のことをいうのだろう。」と締めくくっています。


 Obscure Recordsについての記事がある「ロック・マガジン」をピックアップしてから、もしかして、と思って確認したら、そうでした。これらの記事は、ブライアン・イーノさんについての阿木譲さんの仕事をまとめた『AGI 2/ENO』(きょうRECORDS、2022年6月)に再録されていました。
 『AGI 2/ENO』には、「ロック・マガジン」掲載文の再録の他、阿木譲さんの2008年のブログ "「ジャズ的なるもの」からブリティッシュロックへの回顧" での Obscure Records の10枚についての詳細な再考、よろすず氏による解説も掲載されています。また、東瀬戸悟さんと嘉ノ海幹彦さんの対談「ロックはスポンジ ブライアン・イーノの変遷と阿木譲(『ロック・マガジン』)の変遷」では、引用した記事の舞台裏や文章に見られる受け取りの変化について話されています。

『AGI 2/ENO』(きょうRECORDS、2022年6月)

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