キモいと言われた我が子の話
ある日我が子が言った。
「A君が僕にマスクしてないからキモいと言った。」というのだ。
ちなみに子どもは小学校に入ったばっかりだ。
A君は同級生である。
これについてみなさんはどう思うだろうか。
僕は子どもにマスクをさせるのは反対派だ。
しかし、マスク警察をしているほどではない。マスクを用意しておいて、つけてくれと言われたらつけるし、つけるように書かれているところではつける。
それは新型コロナが全盛の頃からそうしていた。大人である自分はマスクをつけていたが、子どもにずっとマスクをつけるのが良くないと考えていたからだ。
マスクの中の酸素濃度が低くなることと、表情が見にくいこと、耳をゴムに引っ張られたり、顔を抑えるということが身体の物理的なバランスを崩すようにも思えたからだ。
僕はマスク反対派ではあるが、現在もいるような「同調圧力だ!」とか、「マスクをずっとしているやつはアホだ。」みたいなイカれたタイプではない。そもそも医療従事者なので、仕事でマスクは毎日している。ただ、コロナ禍の間に自分も子どももキッチリマスクをしますという家庭もあっただろう。
さて、話を戻すが、A君は6歳でこの3年ほど社会全体がマスクをしていた。要するに物心ついた時には子どもも大人もマスクをしていたのだ。そしてA君はよく言えば真面目タイプ、悪く言えば融通が効かないタイプと言えるだろう。そんなA君がマスクしなくてもいいよという社会に来たらどうなるだろうか。
子どもに聴取したところ「マスクをしていない人は唾とかが飛んで汚いからキモい。」のだそうだ。マスクしていないと会話していても飛沫は飛ぶだろう。小汚いおっさんや化粧臭いおばさんが大声で唾をまき散らしていたのはコロナ騒動前からだ。
飛沫が危険だとか飛沫が汚いという常識で、それを防ぐためにマスクをするのが常識なひとにマスクのないひとが近づいたらどうだろうか?確かにキモく感じると思う。なぜなら口を見せるのは食事の時やお風呂、寝るときぐらいだからだ。コロナ禍で友人や幼稚園などの集まりはない、つまり口を見せるのは家族や親戚ぐらいだったのだ。
現代で言うと服にあたるだろうか。服の下はおそらく家族やプライベートな部分でしか見れないものということになる。
つまりひとにキモいと言うのは憚られるが、A君の言い分はA君の常識の中では間違っていないと言うことになる。これはA君の親が悪いとか、A君が間違っているという問題ではない。どこでも起きうる問題だと僕は考えている。
ということで、僕は我が子に
「キモいということ自体はA君が良くなかった。しかし、マスクを外したほうがいいとかいう価値観を相手に押し付けるのも違う。そういう考えのひとなんだなぁと思ってスルーするのがいいんじゃね?」と、ざっくりいうとこんな感じの説明をした。
というのも、A君のキモい発言はいらんことをする我が子への嫌いを表明する言葉だったぽいのだ。我が子に「悲しくないのか?」、「嫌じゃないのか?」という質問をしたら「嫌は嫌だけど、他にも友達はいるからね。自分のことを嫌いなひとを好きにはなれないよ。でもまた友達になれたらいいなと思っている。」とのことだった。
正直、我が子ながら割り切り方が素晴らしいと思って感心した。僕自身誰とでも仲良くできる方ではないので、嫌われることも多い。そして、自分を嫌ったひととは基本的には距離をとる。しかし我が子は「また友達になれたらいいなと思っている。」というのだ。僕より器がデカい。
それらを考慮して子どもの観察はするものの親からとやかく言うのはやめにした。学校に連絡するとか先生に注意して見てもらわなくてもなるべく子どもは子どものコロニーでなんとかするべきだろう。理不尽なこともあるだろうし、それを自力で乗り越える力をつけるのも大事なことだと思う。
我が子は学校が好きで行きたくないとか休みたいとは言わない。毎日楽しく学校に行っているようだ。その間は見守りでいいかなと考えている。