趙爾巽 Zhao Er-xun(1844~1927年)
清末民国時期の官僚、政治家。漢軍正藍旗人。1874年の進士。各地の按察使・布政使などを経て、湖南巡撫や署戸部尚書を歴任し、1905年に盛京将軍となって東北陸軍(新軍)の編成、産業の振興、教育、財政、警察、衛生などの改革を進めた。湖広総督や四川総督を務めたのちの1911年、東三省総督に就任。武昌蜂起後、奉天国民保安公会会長として清からの独立や革命政権の樹立に反対し、奉天での反清・革命運動を弾圧した。1912年、袁世凱政権(中華民国政府)のもとで奉天都督兼民政長(奉天都督は当初、東三省都督と称した)となったが、同年末にその職を辞した。
その後、清史館の館長として『清史稿』の編纂に携わったほか、1914年に参政院参政となり、袁世凱の帝制時期には徐世昌らとともに嵩山四友の称号を授けられた。張勲復辟の際にはその顧問大臣に就任、1925年からの段棋瑞の臨時執政期には善後会議会員(議長)や臨時参政院議長参政となった。1927年、北京で死去。
[参考文献]
外務省情報部編纂『現代中華民国满洲帝国人名鑑』(東亜同文会業務部、1937年)
劉寿林他編『民国職官年表』(中華書局、1995年)
久保田文次「趙爾巽」(山田辰雄編『近代中国人名辞典』霞山会、1995年)
—— 二〇世紀満洲歴史事典(古市 大輔)