眼高手低
『眼高手低(がんこうしゅてい)』
・目は肥えているが、実際の技能や能力は低いこと
・理想は高いものの実力が伴わないこと。
絵を描くようになって3年以上経って、少し視えてきたものがある。
それは自分含め、眼高手低なものが多く居ること。
SNS全盛期の今、他者の作品を目にする機会は非常に多く、どれもクオリティが非常に高い。
そういうものに憧れて挑戦するが、実際には理想とは程遠いものが出来上がる。
挑戦もせず、研磨もしていなかったのだから当然の結果と言える。
そして、SNSには自分の上位種による作品がゴロゴロと流れてくるのだから自然と自身の作品と比較してしまいがちだ。
自己肯定感の高い低いではなく、客観的に見た評価でもやはりまだまだ劣るなと考えてしまうのだ。
たまに見かけるが、人の絵が"下手"などと批判する者ほどそのほとんどが自身の作品を世に出すことをしていない。
そういう者は眼高手低どころではない、本当の意味で無価値な者と言えよう。
少なくとも挑戦しなかった者より、挑戦した者の方が何億倍もカッコいいと自分は思う。
一方で「自分は絵が下手だ」など言う者も居るが、こちらからみればその腕すら羨ましく思うし、逆に思われているかもしれない。
隣の芝生は青く見えるとはよく言ったものだ。
しかし、そのお陰で一見拙いイラストでも奥行きや陰影、立体感など学ぶべきところや、その者の将来性に気付くことが出来るようになった。
「こいつはこの先もっと上手くなるぞ」と思っていたらあっという間に上手くなって、「やっぱりな」と自分の成果ではないのに少し誇らしくなる時がある。
当てずっぽうではなく、本当にそう思った上での正解だから嬉しいのだ。
嫉妬はしないが、自身の進歩のしなさ具合に関してへこむ事がある。
"歩みの早さは人それぞれ"となんとか自分を納得させてはいるが…。
Vtuberの公開オーディションでも似たようなことはあり、追う・追わないに限らず、この子は今後伸びそうだなと思っていたら徐々に活躍するようになってきた時も、「自分の眼に狂いはなかった」という満足感に包まれる。(優越感とでもいうのだろうか)
公開オーディションは追い過ぎると辛い部分も見ることになるので、あまり見ないようにはしているが、実はちらほらとツイッターだけでも軽く眺めてたりする。
公開オーディションに限らず配信者側でも「他の者と比べて自分の配信はつまらない」と言う者もいる。
これも客観的に見た上で言っているのだろうが、その場を楽しんでいる者にとっては少々寂しいところもある。
言っていることは「自分は絵が下手だ」と言っているのと同じなのだ。
人間悪いことには目が行くもので、良い評価は目に入りにくいのは同じなのかもしれない。
最近は配信者への憧れから配信を始める者を見かける事が増え、リスナーだった時の視点もあって眼高手低に陥りがちな気がする。
最初から全て上手くいかないのは分かっていても、そういう感情を持ってしまうのは仕方のないことなのかもしれない。
感情的にならず、何がどうダメで、どうすれば良いのか。
答えを出すのは難しいが、それでも挑戦するしか道は開けないのだろう。