Vへの推し事に関する考え

 Vへの推し事、いわゆるファン活動というものについて考える事がある。
自分はネタイラストを割と描くのだが、果たしてこれで良いのか、解釈間違いなどで不快に思われないか、もっと良い表現方法は無いものか等々…。
なんだかんだ自分なりに考えて試してはいるが、何が正解かは正直分からない。

一応、推し事をする際の最低限の心構えとして「してあげている」という考えだけは持たないようにしている。
そもそも自分が好きで勝手にしている事なので「してあげている」などと思う事はまず無いのだが。

 たまに「自分には推しへ貢献出来るような特技が何も無い」という者を見かける。
自分も特技というものがほとんど無く、趣味的にイラストを描いてはいるが自分より上手く、拡散力もある者などそれこそ山のように居るので気持ちは分かるつもりだ。
だが何も無ければその手段を増やせば良いし、手持ちの駒で何が出来るか考えれば良い。
絵を描いてTwitterに上げる事だけが推し事では無いはずだ。

プラスをする

 少し前にTwitterで、「少ない時間で必死にギターを練習して動画を上げているのに、ギターを持った女の子の写真の方が"いいね"が多い…」と嘆く者を見かけた。
この意見に同情する者もおり、この者の気持ちも分からないでは無いが、はっきり言ってしまえば「そりゃそうだろ」とも思った。

Twitterを利用しているユーザーはTLを流れてくるサムネでもって一瞬で魅力的か、つまらないかどうかを判断している。
動画を見ないと演奏が上手いかどうか分からない無名の者よりも、可愛らしい女の子の写真の方が人気があるのは至極当然の事だろう。

世界には演奏の上手い者などいくらでもいるのだから、注目して貰いたいのであればギター演奏に何かプラスして最低限の独自性出す事も必要なのではないか?と思うのだ。
試して注目されないようであればまた別の方法をプラスするという試行錯誤は人気のある演奏者や配信者は皆考えている。
そこを怠って注目されないと嘆くのは時期尚早ではなかろうか?

 また、推し事に関しても「小説しか書けないから"いいね"が少ない、推しに貢献出来ているとは思えない…」といったものを見た事がある。
確かに小説はイラストに比べると見るものは少ない、であれば、やはり何かプラスするか別の技術を新たに習得するしかあるまい。
なぜ伸びないのかは分かっているのだから、"これしかない"でそれに拘るならば例え今は伸びなくともひたすらに磨いて磨いて研磨するしかないのだ。

 自分がネタを割と描くのもそこに「プラス」を少しでもしているからだ。
格好いい、可愛いものについては正直他の者に任せれば良いとすら思っている。

感謝

 自分の拙いイラストや文章でも評価してくれている者が居るというのはやはり嬉しいものだ。
そのお陰でデジ絵を初めて3年経とうとしている。

元々絵を描くのは子供の頃から好きではあったのだが、歳を取るにつれて描く事も無くなった。
ある時、とあるVtuberが誕生日を迎えるという事で何か思いを形に出来ないか?とデジ絵を描き始めたのが切っ掛けだ。
お世辞にも上手いとは言えないイラストだったが、それでも反応が貰えると嬉しいものだ。

3年経った今、自分で描いたイラストに多少なりとも自信がついたのはひとえに拙くとも評価してくれた配信者やそのリスナー達のお陰であると思う。
こんなところで感謝を述べるのはどうかと思うが、本当にありがたいと思う。

 とはいえ、自分を少なくとも評価してくれている者のためにも言わないようにはしているつもりだが、やはりイラストも文章も才能は他の者に比べると薄いようにも思ってしまう。
なので、なんでこんなに描けないのか…と自分自身が嫌になる事も無い訳では無い。

自分よりも上手い者はいくらでも居るからこそ、「それでも自分にしか出来ない表現があるはず」という考えで色々と試しながらイラストを描いている。
だから誰のためでもなく、自分自身のために「好き勝手に描いているだけ」と言っているのだ。

これからも自分は「それでも…」という言葉を抱いてイラストを描いていくのだろう。


(構成がめちゃくちゃな気もするが、元々そういうのは無視する場所なので了承願いたい)