『不可解』を言葉にしたかった


 八月一日、花譜1stワンマンライブ『不可解』があった。私は都合で配信視聴勢だった。色々な感情を受け取ったので、何も知らない素人なりにちょっと考えて書いてみた。(あとこれに何かしら、わかるだとか違うんじゃないかとか言ってもらえることがあれば嬉しいなというところがある)

 私にライブを見るという文化が生まれたの自体つい最近のことだ。サイリウムを振り、合間にコールを叫び、間奏での観客への呼びかけに歓声を返すライブ。無論楽しい。
 一方。不可解では会場でのサイリウム禁止、ほとんどが聞き入る曲で、花譜もただ歌う。自分が知るものとはまた異なる体験の末に残ったのは圧倒だった。

 『不可解』は一つの作品だったように感じた。花譜の作り出す世界を描いた二時間の作品。二つとない花譜のあの歌声を中心に、すべての要素が一つの空間を作り出していた。
 披露された楽曲からして当然だが、合間に私達が触れる必要も、余地もない。ただ彼女の世界を観測するだけ。だから観客と掛け合い盛り上がるというよりは、これが適当か解らないが、映画などに近い体験だったように思う。

 花譜の世界はそのまま、不可解だ。現実に溶け込んだような映像で、しかし浮世離れしたデザイン。超然とした雰囲気を持つようで、どこにでもいる少女の面もある。歌声は震えて消え入りそうなのに、確かな芯があって感情に溢れている。そういう曖昧さ、ミステリアスさがあってつまるところ底が知れない。
 その空気を目の前に現出させるのが『不可解』だった。周囲には現実のライブかのようにバンドを配して、背景美術も写実的な風景。他方、詞が前面を舞い、その中心に花譜がいる。MVを切り出してきたような光景だった。
 
 そうした演出とカンザキイオリの音楽、花譜の声によって統一された雰囲気がある中で、少しづつの変化がある。「未確認少女進行形」のネオン街のような空間、カバー曲やアレンジでの色の違う音、「祭壇」と「魔女」の神話さながらの美術。
 そして何よりアンコール後の、バンドが去って現実感のひとつを失った中での不穏な語り「御伽噺」と、不気味なまでに強いエフェクトのかかった「神様」。派手な演出の衣装変更からエンドロールに続く流れ。

 セットリストは物語を作るように編まれていたように感じた。花譜の声という一つのトーンを基調に様々なエピソードが描かれ、最後に最大の出来事を解決し、そして大団円。
 エンドロールを眺めているときは緊張から開放されたような感覚があって、ただ一人の少女を観測させるために作り上げられた世界に浸っていた。


 そんなわけで、理屈を色々と並べようとはしたものの、結局の所は唯一無二の体験だったということに尽きる。花譜でしかなし得ないライブで、今でしか見られないライブだった。
 多くの人が『不可解』をバーチャルのライブの転換点や、到達点のひとつと評している。間違いなくそうで、そしてそれを抜きにしても感情を揺り動かす力を持つ作品だった。音楽は前提知識がなくても受け容れられて、Vsingerのなかでも花譜はよりその面が強いように思う。まだプロローグの終わりを迎えたばかりで、これからさらに伸びていくだろう。
 それでも花譜は創作への意志、信念は変わらないのだろうな、と思わせてくれた日だった。

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