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「Home,sweet home」について 前編

 先日、演劇ユニットせのびさん(以下敬称略)の「Home,sweet home」を観劇させていただいた。今回はそのことについて、少し感想を書いていきたいと思います。
 前編では比較的冷静に書いた舞台の感想を、後編では限界オタクと見ていて思い出した自分の話なんかを書けたらなと思っております。
 以下、ネタバレも含むので、読む際はご注意ください。

 これまでにも何度か公演を観に行ったことがあるのだが、観客席のあるフロアを決して置きざりにしない、BGMや舞台装置や会場そのものをフルに使い、舞台として空間丸ごとを演出するーーその威力をひしひしと感じた。
 少なくとも私は物語の冒頭、2階席の天体望遠鏡と先生が登場したあたりで、すっかり物語に取り込まれてしまっていた。
 これはあくまで私の体感だが、何度か見させていただいた公演はどれも観客と演劇の世界が地続きであるような感覚だったのに対し、今回は世界に取り込まれるような感覚が強かった。「世界が混線している」というセリフにもあったが、その混線の一部になったような気持ちで大変楽しい感覚だった。

 「先生と生徒」「父、母、娘、ペット」「同棲(同室?)の二人」「アーティストとインタビュワー」のような、人という点と点を結ぶ、関係という名の線。
 アニメでは時折、世界線という言葉が用いられる。今回の話は世界線が混ざり合い、ほどけあい、会うわけない者たちが舞台上で会話をする……あれは、せのびの演劇ならではの魅せ方なのかもしれない。

 配役、登場人物について。
 アメリカンな家族の皆様。ちゃんとアメリカンぽさがありつつ、それだけじゃない、いい塩梅だったと思う。家族、っていうものの持つ距離感は単に仲がいいだけじゃなくて、思春期だったり年齢に応じたライフステージで変わると私は思っている。あの歯がゆいような親の心配と、言葉にできない子供のイライラと、ほんのちょっとの罪悪感。どれも自分のそばにもあったような気がしてた。あと、サムがかわいい。一瞬本物がいるかと思って驚くぐらいには本物だった。
 天体望遠鏡の先生と生徒。
 私は行動心理の専門家でもないし、大学の専攻も違ったが、あえて先生のしていた「街の住人たちを視る」という行為が何を表していたのか考えてみた。色々な住人たちを見ているのは「好奇心」の現れ、その表情が少し寂しげに見えたのは、自分には無いものを見ることによって理解してしまう「羨望と諦観」だったのではないかと、私は思った。
 カレーを作ってたお二人。
 カレーの隠し味とか入れる具材とか。身近な食材と料理シーンに二人の別れ。別れと終わりは違うものだと考えさせられた。終わった後も、過去から続く関係は変わらないのが、いいなぁなんて。
 ちなみにカレーにしめじは入れることもあります。我が家(実家)の隠し味はトマトピューレでした。
 インタビューのお二人。
 混線しているシーンの「ガガガガガガ」ってところや、人が入れ替わってたところとか、物語の世界線を撚り合わせるような効果を持っていたのではないだろうか。今まで上げた関係性の中で一番淡白な関係でありつつ、Homeという今回のキーワードに当てはめるならば、「自分が得意とする場所、主戦場」という意味があるのではないかな、なんて思ったり。

 会場に入ってから、静かに聞こえる虫の声とかすかに揺れるカーテン。あたりを見回せば、二階席に天体望遠鏡。最初は舞台のセットじゃないと思っていたのだがそんなことはなかった。
 涼しい会場で虫の声を聴いていると、秋になった実家を思い出して少し懐かしくなった。あぁ、ここは知っている場所かもしれない、デジャヴというよりはオーバーラップのような感覚だった。

 終演後、本当は映画も見てから帰るつもりだったのだが、
「え、この余韻を上書きしちゃうのもったいなくない?」
 と、予定と前日の考えを改め、しかも無性に帰りたいという感情が沸き上がっていたため昼食と少しの買い物をして帰路についた。

 帰りたくなったし、会いたくなったのだ。

 その辺の話は後編で書かせていただけたらなと。

 とりあえず、なるべく冷静にというか落ち着いて書いた感想はこんな感じになります。配信のチケットもあるようなので、ぜひ、演劇ユニットせのびの世界を見てみてほしい。

 配信チケットも買えるらしいので、ぜひ。