はんこと根付、2つの技を持つ職人 峰月堂 山鹿 寿信さん
閑静な清澄庭園のほとり、東京メトロ清澄白河駅からほど近い場所に店を構えるのは、「峰月堂(ほうげつどう)」です。
ものづくり新聞オフィスのご近所さんでもあり、会社のゴム印を峰月堂さんに依頼したことがきっかけで今回の取材が実現しました。お話を伺ったのは峰月堂の店主、山鹿 寿信(やまが ひさのぶ)さんです。
はんことは?
はんこは印章(いんしょう)とも呼ばれています。木や竹、金属、樹脂などの素材の一面に文字やシンボルを彫刻したものです。その面にインクをつけ紙などに押しつけると紙に印影が残ります。主に名前や会社名を彫刻したはんこが多く、その人や会社が同意したという証として使われています。
根付とは?
根付は江戸時代に使われた小物用の留め具です。印籠や巾着など小物を持ち歩く際、男性用の着物にはポケットがなくしまう場所がありませんでした。そこで、紐の端に根付を付け、根付を帯から出すように引っ掛けて小物を持ち歩いていました。帯に引っかかっているものが根付です。
根付は主に象牙や鹿のツノを彫って作られています。ワシントン条約*締結前は象牙がよく使われていましたが、現在は新しく象牙を輸入することができないため、鹿のツノが使われることが多いそうです。(*希少な野生動植物の国際的な取引を規制する条約)
根付に馴染みのある人はあまり多くないかもしれません。詳しくは以下の「京都 清宗根付館」さんのホームページをご覧ください。
山鹿さんは印鑑・はんこの製造の職人でありながら、根付(ねつけ)の職人でもあります。今回はそれぞれの技にフォーカスしてインタビューしました。
【はんこ職人としての顔】
子供の頃は父の仕事を見るのが好きだった
ーー歴史のあるお店に見受けられますが、山鹿さんは生まれも育ちも清澄白河ですか?
そうです。ここ10年程で色々なお店ができて景色が変わりましたが、東京の中では緑も多くて、住みやすい街というのは変わらないように思います。下町のような風情がありながら、銀座や日本橋へのアクセスも良くていい場所ですね。
ーー落ち着く街ですよね。山鹿さんは学生時代に打ち込んだものはありますか?
高校時代は音楽に打ち込みました。ロック、ニューウェーブなどが好きで、「ザ・スターリン」や「RCサクセション」というバンドをよく聞いていました。私自身、高校時代はバンドを組んでギターを鳴らしていました。
ーー高校をご卒業されてからはどうされていましたか?
大学は中退し、その後はアルバイトや塾講師の仕事をしていました。父親が50代でがんを患い、闘病しながら印鑑やはんこ作りの仕事を続けていましたが、徐々に体調が悪くなり、私が25歳の頃に父の仕事を手伝うことになりました。
ーーそのタイミングで、お父様から印鑑やはんこの仕事を教わるようになったのですか?
仕事の合間にちょっと教えてもらったことはありましたが、主に事務的なことを手伝っていたので、弟子入りという感じではありませんでした。実は私の場合、印鑑やはんこの仕事はほとんど独学です。周りに勉強材料はたくさんあったので、完全に独学ではないかもしれませんが。
ーー子供の頃はどうでしたか?お父様の仕事は身近だったのでしょうか。
父親がはんこの仕事をしているのを見るのが好きな子供で、「あんまり見てると気が散る。」と言われる時もありましたが、作業風景をよく見ていました。はんこ彫りをやらせてもらったこともあって、やると親も喜んでくれたので私も嬉しかったことを覚えています。
ーー山鹿さんが子供の頃と現在では、はんこ作りの方法も変わってきているのではないでしょうか。
現在、ゴム印(印面がゴム製になっているはんこ)を作る時は、プレス機を使って印面を作っていますが、当時はゴム板を手で彫って作っていました。真っ平らなゴムに、版下(ゴム印にしたい原稿)をひっくり返したものを転写し、印刀(いんとう)というはんこを彫るための小刀で彫っていました。
ーー手作業だったのですね。はんこにしたい文字も手書きですか?
当時はパソコンがなかったので、活字という金属製の字型を組み合わせて版を作っていました。でも、明朝体、ゴシック体、楷書体くらいしか種類がなかったので、名前を行書体で書きたいという時には、紙に手書きし、それを転写し彫っていました。父はその技術がすごく上手かったんです。
ーー手書きのはんこが欲しいという注文は多かったのですか?
会社の小切手や手形に押すはんこは、銀行に登録するので手書きがいいという会社さんは多く、近くの会社さんからよくご依頼いただいていました。手彫りは規則正しくゴムを彫っていくので、彫ったところが波型になり、とても綺麗なんです。当時はこれを見ているのが好きでした。(編集部注:参考動画はこちらから)
ーー現在、ゴム印はどのようにして作っているのですか?
原理は同じですが、手彫りではなくプレス機を使って型をゴム板に押し付けて作っています。ほとんどの方は明朝体など決まりきったフォントで作りますが、手書きの文字をスキャンして版下にすれば、手書き文字のはんこも作ることができます。
ーーひとつのゴム板に色々なはんこが入っているのは何故でしょうか?
ゴム板のサイズが決まっているので、はがきサイズのゴム板に小さなはんこをひとつだけ作るとコストが合わないんです。いくつかのはんこを敷き詰めて、ある程度まとめて作っています。
ふと思い出す父の言葉 時を超えて学びにつながっている
ーーはんこの注文や、はんこ製造をされている方は減ってきているのでしょうか?
はい。昔は会社の出勤簿にはんこを押して記録していましたが、現在はほとんどの会社はしていないと思います。需要がゼロではないですが、かなり減っていると感じます。一方で、実印や角印(角形の法人印)を手彫りで作って欲しいというご依頼はそれなりにあって、お近くの方はGoogle Mapで検索してご来店されるお客様もいます。
ーー先程「はんこ作りは独学で」とおっしゃっていましたが、具体的にどのように技術を身につけていかれましたか?
最初は見よう見まねでやってみるところからのスタートでした。今になって、ふとした時に父親との何気ない会話を思い出し、彫る技法や道具などについて「そういえば親父はあんなこと言っていたなぁ・・・」と思うことがあり、それが時を超えて学びになっていることがあります。手取り足取り教えてもらったわけではないですが、日常的な会話も勉強の一つでした。
ーーお父様とはよくコミュニケーションを取られていたのですか?
仕事の話は日常的にしていました。父親の仕事の話を聞くのが結構好きだったので、よく聞いていました。家では20代の息子と父親なので、仕事の話以外はあまりしませんでしたが。笑
ーー25歳で家業に入られた時は、お父様の跡を継ぐと覚悟を決めておられたのでしょうか?
どこかでそんな思いはありましたが、どちらかというと自然な流れで家業を手伝って、これで将来食っていけるならいいけどなぁという気持ちでした。気持ち的にはそこまで肩に力が入った感じではなく、今もそこはあまり変わらないかもしれません。
ーー時代の移り変わり、変化を感じる瞬間はありますか?
先ほど話になった手彫りのゴム印は全くなくなりました。でも逆に「ここって手で彫ってくれるんですよね?」と調べてご来店されるお客様もいます。そういったお客様は少しずつ増えているような気がしています。
ーー増えているのですね。どういった理由や背景があるのでしょうか?
はんこ彫りの職人が減っているという理由はあると思います。私(50代)は若い方で、私よりもずっと年上の方々が多いです。
職人として仕事の質は一定に
ーー今までの仕事の中で、ワクワクした場面や楽しかったことを教えてください。
どの仕事も同じ熱量でやっていますが、特に気合が入ったのは地元の富岡八幡宮の御朱印を彫った時でしょうか。地元の繋がりで、そういった仕事をさせていただけたのはありがたかったです。
ーー山鹿さんが仕事をする上で大事にしていることや、モットーはありますか?
当たり前ですが、丁寧に仕事をすることは心がけています。父親からも「次から次へと仕事が来るような商売ではないから、慌ててやってもしょうがない。丁寧にやりなさい。」と言われていました。職人であって芸術家ではないので、当たり外れがあってはいけないんです。
ーーなるほど。常に一定の品質を保たなければいけないということですね。
そうです。全てのお客様に満足してもらわなければいけません。今回はホームランだけど、次は三振というのでは職人はダメだと思います。一定の品質のものを提供するというのが、プロフェッショナルだと私は思います。
ーー山鹿さんの中で、それができるようになったのはいつ頃ですか?
神社の御朱印のような全部手作業で作らないといけない仕事なども含め、ある程度どんな仕事でもできるようになったのは40代くらいですかね。
ーーはんこの仕事に関して、今後の目標をお聞かせください。
はんこ・印鑑はこれからもどんどん需要が減っていくことが予想されますが、これはもう私がどうこうできることではないです。しかし、せっかく身につけた技術ですので、お客様に満足いただけるような仕事をするためにこの技術をキープし続けたいです。手が利くうちは仕事をしたいですね。
次に、根付職人としての顔に迫りました。根付とは江戸時代に使われた留め具です。印籠や巾着などの小物を持ち歩く際、男性用の着物にはポケットがなくしまう場所がありませんでした。そこで、紐の端に根付を付け、根付を帯から出すように引っ掛けて小物を持ち歩いていました。帯に引っかかっているものが根付です。
根付は象牙や鹿のツノを彫って作られています。ワシントン条約締結前は主に象牙が使われていましたが、現在は新しく象牙を輸入することができないため、鹿のツノがよく使われているそうです。
【根付職人としての顔】
展示会で恩師と出会い、根付職人の道へ
ーー根付の仕事はどのような経緯で始められたのですか?
元々、根付というものは何となく知っていて、時間がある時に見よう見まねで彫っていました。今から15年ほど前に根付のマイブームが来て、インターネットで調べたら東京都文京区の根津(ねづ)で根付の展示会があると知り、行ってみたんです。そこで根付作家の齋藤美洲(さいとう びしゅう)先生と出会いました。それが根付作りにのめり込んだきっかけです。
ーー展示会にいらしていた齋藤先生と偶然出会ったのですか?
そうです。齋藤先生の作品が展示されていました。すごく気さくな先生で、「もし興味があるなら、彫っているところ見せてあげるよ」と言ってくださいました。更に、ちょうどその頃先生が根付に関する著書を書かれている最中で、その本作りに協力することになったんです。
ーー偶然の出会いから、本作りに繋がるとは!どんなふうに本作りに協力されたのですか?
本では生徒役として登場し、根付作りを学んでいます。本作りのお手伝いをしながら、根付作りを教えてもらいました。本業であるはんこの道も奥深いですが、何か新しいことをやってみたいという気持ちがあり、そこにハマったのが根付でした。
ーーなるほど。先生の元へ通って学ばれたのですか?
週に1回アトリエに通って教えてもらい、店でもはんこの仕事がない時に練習していました。
ーー実際に根付を彫りながら、技術を学んでいくのですか?
はい。やはり、実践がメインです。とはいえ段階があり、最初は紙粘土や木材で形を作ってイメージをして、それを見ながら彫ってみるところからはじめました。
ーー根付はどのようにして彫っていくのでしょうか?
最初に絵を描いて、それを見ながら大まかな形を取ったら、少しずつ彫り出していき、目や耳など細かい形状を作っていきます。いきなり深く彫るのではなく、少しずついらないところを削り取るようなイメージです。
Instagramを通して「帯留めって作れませんか?」予想外の依頼
ーーInstagramを拝見しましたが、「福豆をぶつけられて泣く鬼」や「UFOにさらわれるウシ」などかわいいモチーフが多いですよね。
そうですね。シリアスに作り込む作品もありますが、個人的にはちょっととぼけた感じや可愛い感じが好きです。
ーー根付を調べると、鬼などのちょっと怖いようなものが多いと感じたのですが、それは元々根付が男性が使うものだったからなんでしょうか?
そうかもしれません。根付そのものは男性が使うものなんですが、私が下げ飾りと呼んでいるストラップのようなものは女性にも使っていただいています。更に、着物の帯に飾りたいという声があって帯留めのご依頼がくるようにもなりました。
ーー帯留めですか?
私自身が帯留めを作ろうと思ったことはなく、Instagramに投稿していた下げ飾りを見た方から「帯留めって作れませんか?」と言われたことがきっかけです。帯留めと根付や下げ飾りは違うので、どうやって見つけたのかはわからないんですが、恐らく自分の欲しい帯留めを作ってくれるような人を探していたのだと思います。そこからその方の紹介で何件か帯留めのご依頼をいただきました。
ーー帯留めと根付の作り方はどう違うのですか?
根付はどこから見ても良いように全部立体的に作りますが、帯留めは帯締めが通るところが必要なため、裏は平らになっています。紐を通すところは金具を取り付けて作るケースもありますが、私は彫って作っているのがこだわりです。金具だと帯に付けた時に金具の分だけ浮いてしまいますが、彫り下げるようにして作るとピタッと密着するんです。
ーーその工夫は、作っていく中で思い付いたのですか?
やりながらの工夫ですね。あとは、他の作家さんの帯留めを色々見て、このやり方が一番いいんじゃないかと思ってやっています。
ーー単純に、根付を半分にスパッと切ったら帯留めになるというわけではないんでしょうか?
そういうわけでもないんです。根付は360度どこから見られてもいいように考えて作っていますが、帯留めは一定方向から見ることだけを考えて作っています。なので、実はちょっと嘘を付いてるんです。例えば、本当なら一方向から見れば耳は1つしか見えないはずなのに、2つ見えているとか。笑
取材時は製作中だったリスの帯締め 完成品
ーーなるほど!その微妙な加減を工夫しているのですね。作るものの題材やデザインはお客様からいただいているのですか?
こんなものが欲しいというお客様からは、写真やイラストをいただきます。それをそのまま形にするだけではなく、リスだったらどんぐりを持たせたり葉っぱを付け足したり、自分で絵を書きます。それをお見せしてご納得いただけたら制作に入ります。
ーー色はどうやって付けているのですか?
赤色は「インド茜(あかね)」という植物を使っています。日本でも古くから使われてきましたが、今はインド産のものが大半です。インド茜の根っこを買って、自分で煮出してその液体を染料として使っています。黄色はクチナシの実、青色は藍などを使っています。
ーー色付けの方法も齋藤先生のところで勉強されたのですか?
いえ、齋藤先生は根付に色は付けない方ですので自分で勉強しました。私もどちらかというと色付けはしない方が好きです。特に、根付は触ったり衣服に擦れたりするものなので、作った時は綺麗でもどんどん色落ちして汚くなってしまいます。使い込むうちに現れてくる変化を楽しむために、根付は色付けしない方がいいかもしれません。ただ、帯留めはそんなに触るものではないですし、苺のモチーフだったらやっぱり赤く染めてあげたくなるので染料を使って染めています。
ーー部分ごとに色分けしたい時はどうしているのですか?
部分的にマスキングしてから染めたり、全部染めた後に一部分だけ削り取って別な色を入れたりする方法がありますが、コントロールが非常に難しいです。そんな時は化学染料を使って染めています。化学染料は筆塗りができるので、細かいところを塗り分けしたい時は向いているのです。
Instagramを通して海外からのオーダーも
ーーSNSで根付や帯留めの写真にたくさんの「いいね」やコメントが寄せられていますよね。どう感じておられますか?
正直びっくりしています。Instagramを通して、全国いろんな場所の方からご依頼をいただくようになりました。やり取りはメールに写真を添付して見ていただけるので、遠方でも特に問題なくできています。
ーーお客様はどんな風に根付を楽しんでいらっしゃる方が多いのでしょうか?
コレクターの方が多いと思います。根付の良いところは360度どの角度からでも眺めて楽しめるところです。一見、見えないところに何か彫ってあるという面白さもあり、色んな根付をコレクションして触って眺めて楽しんでおられます。
それとは反対に、帯留めや下げ飾りは使って楽しんでいただいています。私としては実際に使って楽しんでいただいていることがとても嬉しいです。
ーー根付は男性が使うものですが、お客様は男性の方が多いのですか?
根付コレクターの方は圧倒的に男性が多く、根付に関しては男性からのご依頼が多いですね。でも、帯留めのご依頼を合わせると全体的には男女半々くらいかもしれません。
ーー海外への販売はされていますか?
Instagramを通してメッセージをいただき、デンマークとオランダの方に根付を作ったことがあります。元々日本の文化として根付をご存知の方で、Instagramで根付を探していたようです。根付の価値を最初に発見したのは実は海外の方なんですよ。
ーーえ、そうなんですか?
日本で誕生した根付ですが、明治時代になり生活様式が洋風になっていくと根付は使われなくなり、海外に持ち出されるようになりました。ですので、江戸時代の根付は海外で保管されていることも結構多いんです。浮世絵も逆輸入であることが多いですが、根付もそうなんです。ただ、プリントができる浮世絵と違って根付は一点ものなので逆輸入もあまりできず、知っている日本の人はそう多くないと思います。
ーー挑戦してみたいことはありますか?
これまで私が作ってきた作品が一覧できるホームページを作りたいです。作品は手元に残らないので、お客様に自分の作品をお見せすることがなかなかできないんです。写真で残してあるんですが、あまりうまく撮れていないものも多くて、カメラの勉強もしなきゃいけないとは思うんですが・・・。ギャラリーページを作って、いつでも閲覧していただけるようにしたいですね。
ーー最後に、これからの目標や夢を教えてください。
根付を使っている人は残念ながらかなり減ってしまってはいるんですが、そんな中でも好きでいてくださる方々に、気に入ってもらえるような根付を作っていきたいと思います。
はんこも根付も同じですが、個人的に、職人としての技術がどこまでも右肩上がりに上達し続けるということは考えにくいと思っています。視力の低下や指先の感覚の衰えは必ずやってくると思っているので、それをできるだけ遅らせるように健康に気をつけて仕事をしていきたいです。あとは、いろんなことに興味を持って取り入れていきたいです。ものづくりされている皆さんが言うことですが、勉強していくしかないかなと感じています。
山鹿さんの根付の販売は、不定期でヤフオク!に出品されています。気になる方はInstagram等で出品情報をご確認ください。