ベビーサインを楽しんでいるのは誰だろう?
今日のトピックはベビーサインについてです。
習い事としても近年人気ですよね。
最近、「手話」を検索しすぎてベビーサインの広告がたくさん出るようになってきたのでこのテーマを選びました。
ベビーサインとは
一般社団法人「日本ベビーサイン協会」によれば、言葉をうまく話せるようになる前の赤ちゃんと手話やジェスチャーを使ってコミュニケーションをとる育児法です。
・特徴は以下です。
1)親子の絆がとても深まる
2)育児がより楽しくなる
3)話し言葉の習得に好影響がある
4)赤ちゃんの健康と安全管理に役立つ
5)絵本が大好きになる→国語力が身に付く
6)指先が器用になる傾向がある
尚、高卒以上の学歴を持つ女性が育成プログラムを修了すると、認定講師になれます。
ベビーサインで使われる手話というのはアメリカ手話単語です。
(「もっと」「美味しい」など。)
無意識かもしれませんが、アメリカ手話を用いて日本の親は子どもとコミュニケーションを図ろうと試みているなんて、なんとインターナショナルな環境だろう!と感動してしまいそうになりますが。
ベビーサインをするベビーって?
ここで、私が印象に残っている、ニューヨークでろう者学を専攻していた時にクラスで見た絵についてご紹介します。
タイトル:The Greatest Irony: Deaf Baby- Hearing Baby
作者:Maureen Klusza
(権利のあれこれがありますので、上記をコピペしてご自身で検索下さい。)
絵の説明↓
2人の赤ちゃんが並んで座っています。
左に座っている悲しい顔をしている赤ちゃんはろうで、手錠がかけられています。
右に座っている笑顔の赤ちゃんは聴児で、右手では「I Love You」のサインをしています。
どうしてろうの子供が手錠をかけられているかというと、手話をすることが許されない環境に身を置かれるからです。
子供の聴覚障害が判明すると、親はどうするのか。
聴こえない子のうち、90%以上の親は聴こえる立場の人間です。
ですから、子供をいかに「聴こえるようにするか」というところの情熱を注ぎます。
病院を受診したり、人工内耳や補聴器を与えたり、口話教室へ行ったり…
手話を遠ざけてとにかく日本語!!!!っていう感じになりがちです。
聴覚障害を持った子どもにベビーサインを習わせる、というのを私は聞いたことがないのですが、どれくらいいるのでしょうか?
気になります。
一方、聴こえる子供(とベビーサインを習っている親)はサインを”楽しむ”ことができるんですよね。
手話を言語として獲得すべき子供達には手話が遠ざけられる現実と、手話単語を発話前の子供との絆を育むために使っている日常が同時に存在しているのが今の日本です。
まさにirony(皮肉)。
ベビーサイン=消費活動
となると、ベビーサインも”文化の消費”の一種なのではないかな、と個人的には考えてしまいます。手話単語に由来するベビーサインも、聴者の人たちによって提供され、乳幼児期の母子関係の”彩り”的な形で用いられる今の状況はあまり好ましくないような気がするのです。
ベビーサインのメリットは「子供とのコミュニケーションが云々」ではなく、ベビーサイン教室に参加することで親のコミュニティが広がり、社会とのつながりが出来る、みたいなところにある?と個人的には思います。
あとはベビーサイン関連のビジネスが生まれるところでしょうか。そこにろう者がいないという点においても手話が軽んじられている現実が見えます。
そしてこの場合の親というのは、在宅率の高い母親であり、それ故、認定講師も女性限定ということなのでしょうか・・・?
また、在宅率が高い=しっかりと言語でコミュニケーションをとれる機会が少ないと解釈すると、コミュニケーションを渇望するが故にベビーサインの習得を試みることで子供としっかり意思疎通したいということ・・・?
ベビーサインは母親のため?
言語でコミュニケーションをとれる環境が激減した母親が言語的な繋がりを求めてベビーサインにたどり着いているのならば、また別の社会的な問題が見えてきそうな気がしますが(いわゆる「孤育て」)、それは私の畑ではないのでここでは控えます。
ベビーサインを文化の消費と捉えるか、母親に対する救いと捉えるか。
もし救いになっているとするならば、ろう者学的には(というよりろう者学を専攻した私としては)、他の救いの道を作るべきだと思います。
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