「本物志向」についての考察
誰だって、出来れば本物の方が良い。
先日Twitterで、亡くなった人をAIで再現したり残そうと言うビジネスが少し話題になっていた。
そう言ったビジネス自体は結構世界中で考えられているらしく、故人のデータを学ばせたAIが音声、動画、テキストでの応対、VR空間でのコミュニケーション、様々な形で再現してくれる的な物が大半だ。
AIの登場で変わって来たのは、写真、録音や動画等の記録媒体と違い、AIは「それっぽい」物を新しく模倣して作り出してしまう点だろう。
要は、故人を絵で描く場合に画家の解釈で描かれる様に、データをAIの処理で改変するステップがあり、それが「どこまで故人由来なのか」と言う部分に、AIに対する拒否感もあって気持ち悪さがあると考えられる。
故人からデータ取りされた1次データは故人由来の物だが、データから派生した物は故人由来とは言えないと言う話である。
AIが作り出す物は、所詮はAIがシミュレーションした偽物と言う感覚が強いわけだ。
だが、実際、どこまでが偽物で、どこからが本物で、どこから受け入れられたり、妥協される様になるのだろうか?
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