困窮層DE京大出身の僕の今昔物語 はじまりのジェンガ 少年の1ピース「伯爵家と商家と生活保護」
少年の母は、落ちぶれた伯爵家の長女としてこの世に生を受けた。
戦争が始めると家財もお金も国にぶん取られたらしいが、戦後も経済的に豊かとはほど遠かったにも関わらず、プライドが高すぎて貴族らしい優雅な生活をしていた。
そして一家は借金まみれになってしまい、地方の商家の長男との見合い結婚が決まった。
すぐ下の弟の方が出来がよく、商家は弟が継ぐことに決まっていたため、兄は邪魔な存在だった。
働くことも嫌いで、真面目さのかけらもなかったこの兄は、厄介払いかのように田舎の伯爵家に追い出されたようだった。
結婚して、とりあえず陶器を売買する会社を作ったが、ものの見事に借金だらけになってしまった。
そして子供が生まれても、我が子でさえも可愛いと思うこともなく、無口で外に行けば人に騙されて借金を作ってくるような人だった。
そんな両親の次男として少年は誕生したが、少年が4歳の頃から、父は家に帰ってこなくなった。
少年の父はヒモ生活を繰り返し、女性の家を転々とさまよい続けたが、外見に老化という衰えが出た頃、少年が7歳の時に母の住む市営住宅へ戻るまでは一度も帰ってこなかった。
少年の母は、生活保護を受けていた。
母は、二人の息子を召し使いのように扱っていた。
少年には、顔も体も全く似ていない三歳年上の兄がいた。
「わたくしは伯爵家の長女ですのよ」「本当に昔はよかったのよ」「必ずまた前のような生活に戻れます」「働くなんて、平民の生き方でございましょう」
そう言っては、見えているのか見えていないのか、ベランダから見える下町の景色を見て「あちらのバラを手折ってきて、今日は薔薇風呂の気分よ」と真夏の外を指差していた。
少年はそんな高貴な生まれという母を見て、うっとりしていた。
同じ、住宅に住んでいる他の母親とは違い、自分の母親はいつも綺麗な化粧をして、着物もきていたし、美しいワンピースもきこなしていた。
料理は本来、下女がするもので、高貴な母は絶対にそんなことをしてはいけない。
掃除も同じく、美しい母の手が汚れることなどあってはならない。
母が掃除をするのは、リヤドロと呼ばれている陶器の人形のようなものを磨くときだけだった。
この人形は、母が結婚する時に、母の伯父にあたる人が贈ったものらしく、母はとても大事にしていて、絶対に子供たちは触ってはいけないもので、低い食器棚の中にしまわれていた。
そして茶道の時間と言っては、抹茶というものを点てて飲ませてもくれるし、怒鳴ったりもしない。
家宝だと言っていた、抹茶の入った大きな椀は桃山時代の萩焼だと言ってとても大事にしており、正月の時だけ桐箱の中に入った紫色の絹の袋の中から出てくる。
組紐のような赤い紐をするするととかしながら、母は大事そうにそれを手に取っていた。
少年の家では、物心ついた頃から兄が食事や洗濯をしていたので、少年もたくさん手伝った。
「必ず大学へ行きなさい、大伯父様が支援して下さいます」とささやきながら、本を読んでくれることも多かったし、文字を教えてもくれた。
それなのに、こんな美しい母を置いて父は、帰ってこない。
父に会えない寂しさよりも、母をないがしろにする父に対する怒りが生まれていた。
兄との買い物の途中で、ふと他の母親を見上げても、どれもこれも化粧すらまともにしていない。
薄汚れた服を着ていたり、大きな声で子供を怒鳴っている。
品の良い女性というものは、決して大きな声を出してはいけないのにも関わらず、だ。
「イングリッシュガーデンよ」と母が言うと、兄は黙って紅茶を入れる。
少年は、そっとカップを持って紅茶を飲む母を見て、本当になんて美しい人なんだろうと思っていた。