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困窮層DE京大出身の僕の今昔物語 黒のピース7「おとりと二回目の夜逃げ」
父が帰宅してからどれくらい経っていたかは分からないが、僕たちの部屋に父の従兄弟の奥さんが駆け込んできた。
何やら早く逃げろと言っていた気がする。
寝起きでぼんやりしていたから記憶が曖昧なわけではなく、頭痛とあまりにも早口すぎて聞き取れなかった。
父は裸で寝ていたけれど、何かを悟ったのか裸のまま「車に乗れ」と母を起こし、母は僕を蹴り起こしていた。
2階の部屋から1階に降りるには、そのアパートに一つしかない階段を使わなければいけなかった。
小さな踊り場には小さなポケットみたいな形の照明があって、ゆらゆら点滅していた。
父に引きずられる形で、僕は階段を転げ落ちていたと思うが頭上から不気味な声が聞こえた。
「わっどまうちこぎゃーぐる」
聞いたことのない呪文を唱えていたのは、柳場包丁を持った父の従兄弟だった。
その瞬間、僕は父に首を捕まれて思いっきり包丁に向かって放り投げられた。
鋭い銀色のそれにかするスレスレのおじさんの右腹らへんに、僕の頭が直撃した隙に父と母は逃げた。
母は「あの子死ぬで!」と叫び、父は「かまへんやろ!」と叫ぶと、母は「最後は役にたったな」と笑っていた。
目の真っ正面には、尖った包丁の先端しか見えずそのまま目にぐさりと刺さるんだろう、とぼんやり思っていたらギリギリのところでそらされた。
また呪文のような言葉で怒鳴っていたおじさんは、包丁を壁にガンッと叩き壊すように数回刺していて、僕に何かを言っていたけど未だに正確に思い出せない。
覚えているのは、あっちに行けと手をひらひらさせてるおじさんのいう通り、薄暗い外へ出ると父がクラクションをバンバン鳴らしていて、僕は慌てて車に乗り込んだ。
夜中にこうして走り出した車の中で、いつも通り母は泣いていたけれど、父は笑って「モテる男は辛いわなぁ」と機嫌よく鼻唄まで歌っていた。
父は、自分の従兄弟の奥さんと不倫していた。
それがバレてしまい、刃物沙汰になったのだった。
この時の僕は、相変わらず物に占領された後部座席で身動きできるスペースもほとんどなく座っていた。
両親が僕を置いていかなかったことに見えない誰かに優越感を感じつつ、包丁に向けて父に投げ飛ばされたショックを忘れようとしていた。
そんな気持ちを当然、前の二人は知ろうとするわけもなく、僕たちが次に目指したのは宮崎県だった。
そこから大体1ヶ月程度の周期で僕たちは九州を転々と移動し続けた。
変わったことと言えば、この頃から食事を貰うときは父を称賛したり頭を床につけて何十分か数時間頼み込むようになったことだろうか。
父は殿様ごっこと言って笑い、母はそんな僕を汚いものを見るような目で見ていた。
恐らく父にも聞こえていたと思うが、母はこの頃から「何で死なずに生きてるんや」、「生きてるだけゴミやわ」、「はよ死ね」と僕に毎日何十回も唱えるようになった。
そんな中で、「九州一周旅行や」と言いながら、父は笑っていた。
父が笑うと、母は能面のような顔から動かなくなった。
しばらくして長崎県の中華料理店で住み込みで働きだした父のお陰で、僕たちは料理店の二階部分の一室を借りることができた。
そこで僕の5歳離れた妹であり弟が生まれた。
弟は病院ではなくこの6畳くらいのカビくさい和室で生まれた。
ポテトチップスが入っていた段ボールを平らにして、古い黄ばんだカーテンを敷いていたと思う。
弟がこの世に誕生した時、その古いカーテンはどす黒い液体に染まっていた。
僕は兄になり、四人家族になった。
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![人を殺したくなる君へ](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/14464993/profile_08927a475f6c2b62528c1d8234504931.jpg?width=600&crop=1:1,smart)