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冬の夜の帰り道

とうに日の落ちた雪道をざくざくと歩く。呼吸するだけで鼻先が凍り付き、3分で指先から感覚がなくなっていくような冷気の中、踏み出すごとに滑りながら雪に埋まる足を交互に動かす。雪のない平地と大きくは変わらないスピードで歩くことができることに半ば呆れながら、自分はまぎれもなく道産子なのだと実感する。

火曜日の放課後に学校から徒歩5分のピアノ教室にまっすぐ寄り、レッスン終了後に歩いて家に帰るようになったのは小3,4くらいのときだったと思う。重いランドセルやその他諸々の荷物を持って、ピアノ教室から家までの2㎞弱の道のりを一人で歩いてゆく。冬場はとみに辛かった。手は荷物を持つのに使っているので熱を保っていられず、感覚はどんどんなくなっていく。真っ暗な広い道路にまばらな街灯。通行量が少なく、寒いともらした独り言を聞く人もない。そんなときに限って吹き付けてくる雪交じりの横風。触覚よりも腕や肩に食い込む重さによって、先ほどまでピアノの上を駆け回っていた指先の存在を知る。

私の人生観を形成しているのはこの経験ではないかと思う。ピアノ教室の帰りという絶妙な甘さの中で、末端の感覚がすべてなくなるほどの寒さと吹雪、暗い道、肩や腕に食い込む荷物の重さ、そしてそれらを誰とも分かち合えない寂しさ。それでもひたすら歩き続けていれば、いつかは暖かい家に着くことができる。はずである。冬の厳しさも孤独も、状況を見ればなんだかんだ言って甘い。

ランドセルはとっくに下ろし、代わりに手にした鞄の中身もスケッチブック、教科書、パソコンと移り変わったけれど、ふと気づけば隣に誰も見えなくなっているし、日が落ちて雪が降り出している。ずっとこの道を歩き続けているわけじゃないし、時には誰かが隣にいてくれたり、日が差したり、暖かくなったりしていることもあるけれど、気づけばなぜかいつもこの暗い道に戻ってきてしまうのだ。しかも今は歩き続けても暖かい家が必ず待っていてくれるとは限らないし、どれくらい歩けば良いのかもわからないのだ。

そうなってしまえばもうできることはひとつしかない。その先に暖かい家があってもなくても、次の一歩を踏み出すことだけ。

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