ありがとう!オントナontona
ふるさと・札幌中心に配布されている無料せいかつ情報紙「ontona(オントナ)」。2021年3月末日をもって29年間の歴史に幕を閉じた。1991年創刊。発行部数338,620部(2020年6月時点、オントナFacebookより)。
オントナは「大人の女」を意味する造語。社会で活躍する女性を応援しようと創刊された情報紙。長いこと「女性せいかつ情報紙」と謳われていたが、ジェンダー平等推進に合わせてか、いつしか「女性」の文字が消え「せいかつ情報紙」となった。私は2004年頃から約2年間に渡り、オントナ読者モニターとして大変お世話になった。
私は、札幌へのUターン就職が叶わず、泣く泣く東京に残った女性である。関東のテレビ局を僅か2年足らずで結婚退職。仕事も故郷も手放してパニック障害を患った。7年間にも及ぶニート主婦生活。見るに見兼ねた近所の主婦から声優養成所に通うことを勧められ、徐々に社会復帰を果たすようになった。
それから5年後の2003年。家族の転勤で偶然、札幌へ転居。すっかり元気になった私は職探しを。仕事と言ってもナレーターや声優など声を生かす職。生まれ育った街なら容易いだろうと思いきや、現実はそう甘くなかった。
この職探しの真っ最中に出会ったのがオントナである。読者モニターに応募したら合格した。いわゆる読者モデルだが「モデル」の文字は使われていなかった。とにかく、連れて行かれた取材先が半端じゃない!
人生初の温泉モデル(笑)
実はこの紙面を持って、札幌市西区のコミュニティFM「三角山放送局」のスタッフ面接を受けた。推薦人が「オントナを持って行きなさい」とアドバイスを下さったので。紙面をご覧になった当時の社長・木原さんが「あなた、こんなに頑張っているならウチへ来る?」と。採用の決め手は、まさにオントナだった。そのエピソードはYouTube限定番組「モノクロームレインボー」で(34分頃〜)語っている。
札幌市西区の住人で地元FMのパーソナリティとなった私は、西区長と出逢う。
あの頃も区長と・・・私の腹、出てるね(笑)
そして道産子の憧れ、ファイターズ選手にも!
懐かしい江尻さん!実は私、野球に関しては超ド級の素人。オロオロしていたら、取材直前、先輩パーソナリティ・フッキーさんがファイターズについてレクチャーして下さった。フッキーさんは元野球部ピッチャー。お蔭で江尻さんに「良く知ってるね〜!」と褒められ、大助かり(苦笑)フッキーさん!本当にありがとうございました。「きたひろボールパークラジオ」ほぼ毎週聴いてるよ♪(笑)
ちなみに、オントナにはこんな記事もあったなぁ。懐かしい。。。
そして2005年。読者モニター最後の取材は何と「東京ディズニーランド」へ!
あ〜この時は、耳下腺腫瘍手術の直前だったなぁ・・・
ディズニーランドは、1泊2日で取材。夜は園内でディナーを楽しみ、翌日はディズニーシーを見学。こんな贅沢な取材は生まれて初めて!一生の思い出となった。
オントナ女性編集者のHさんと、ハシャギ過ぎて寝不足の私。
Hさん!お元気ですか!?お世話になりありがとうございました!
もし、オントナ読者モニターに合格していなかったら、三角山放送局に採用されていたかどうかも解らない。三角山に採用されたからこそ、ワンマンDJが出来るようになった。三角山に採用されていなかったら、今の私があるかどうかも解らない。
こうして考えると、オントナが私の人生を変えて下さったと言っていい。
ありがとう!オントナ!楽しませて頂きありがとう!
オントナ・スタッフの皆さま、お世話になった編集者Hさん、心からありがとうございました!!
オントナ休刊情報をお寄せ頂いたリスナーのHさんに深く感謝申し上げます。
名倉一美