良い子って誰にとって良い子なんだろう
母に「良い子に育ってよかったよ」って言われた。
嬉しかった反面、「良い子になる」っていうのを自分に課しているのかもしれないと気づいた。
良い子になった
のではなく
良い子になるように努力した
精神的には成熟したと思う。
私は、小さい頃、母に怒られる時には決まって「世界はあなた中心にまわってるわけじゃないんだからね?」って言われてた。だから、私はかなり自己中心的なんだろうなって自分で思ってた。
けど、今考えてみると、私ってそこまで自己中だったのかな、って思う。
子供なんだから自分のことしか考えてないのは当たり前なことだし、人のこと、特に自分の母親に気を遣える子供なんていなくない?
そして、最近は私よりも2才下の妹の方がよっぽど自己中心的な行動しているな、と感じる。
気って遣う側にまわったら終わりだなって最近思ってて、惚れた方が負けとか、無視する人より、無視された方の立場が弱いとか、そんな感覚で、
だからその点では、真ん中の妹はうちの中では、最強。
みんな怖くて怒れないからね。
論点がズレましたが、戻ります。
今までは自分のことだけしか考えてなかった。
今は、「これ(主に家事)を私がやらなかったら母の機嫌が悪くなるかな」とか、
「母に小言言われて余計に疲れるかな」とか、
考えて行動するようになった。というかならざるを得なかった。
大人にならざるを得なかった。
私は、母にとって良い子に育ったのだと思う。
子供でいられるうちは楽。
自分で考えて行動する必要ないし、
できなくても誰も怒らない。子供だから。
人は自分で考えられるようになったら大人になるのだろう。
そう考えると私は大学2年の時に大人になれたのかもしれない
留学する前に、自分が何をしたいのか一生懸命考えた。
自分の置かれている立場を考えされた
客観視できた。
良くも悪くも
けど現実はどうにもならないことが多いし
「日本社会における女性の立場をどうにかしたい!」「環境問題をどうにかしたい!」って思ってもどんな行動に移せば良いか分からないし、
考える度に、自分のちっぽけさ、無力感に苛まれる。
けど、考えることが大きな一歩
問題が膨大・莫大すぎて分からなくても
考えるのをやめたらダメだなってつくづく思う。
人間は考える葦であるってパスカルも言ってるもんね
追伸
今日初めて梶井基次梶井基次の檸檬読みました。