【序章2】人生とは高校受験から始まりキャリアを重ね特化すること。その事に気付くのが遅かった人の話
はじめに...2日目にしてあまりにも長文になってしまい自分で引いている。
アウトプットがそれだけ溜まっているのだろうな、と思う。今はそういう話をする友達も既にいない。なぜいないかもいつか綴れればなと思う。
演奏は朝一で弾いてみたものだ。
お聞き苦しくて申し訳ないが本文に絡めた気持ちで演奏した。
また本文は話があっち行ったりこっち行ったりしてお見苦しい次第だが、話したいテーマはひとつで、またその為には必要な文脈だと思う。
私のような人間の人生の議事録に読む価値があるのかはわからないが一所懸命に綴らせて頂いた。
書き綴った私の人生のひとはしが、読んで頂いた貴方にとっての幸せにつながりますように。
私という人間についての初歩的な話
私はあまり得意なことがないと自分では思う。
鍵盤楽器は私の中では下手なりに唯一の特技であり、同時に得意ではないと思う事の一つだ。
私は自分の行うことに対しては何事も、他の方の素晴らしきものを1として、その完成したものと自分のそれを比較する事で、自分は劣っていると感じてしまう性分である。
小学校の通知表の右下、担任の教員からのコメントの欄には6年間『自分を卑下するところがある。もっと自分を褒めてあげるべき』と書かれていた。毎年先生が違うのにである。
私は現在とある会社のEC事業部に勤めている。
主な仕事はウェブマーケッターだが売り上げを向上する為に必要なら営業にも行くし、コーディングだって、LP作成だって、なんなら商品のパッケージデザインまでやる。人がいないのでアルバイトがやるような雑務もやる。
私は大人になるまで、努力をしなかった人間だ。
厳密にいうと自分では精一杯、自分なりに努力してきたが今思うとそうは到底そうは思えない。ピアノに出会うまで本当の意味で努力という事をしたことがなかったのだ。
受験勉強もなんとなくで、県で下から数える方が早い公立の、普通科より偏差値が低くて済むという理由で考えなしに食品化学科に入学した。
その後も目的もあやふやに都内に行き色々な仕事を転々とした。
この時期にきっかけがありジャズピアノを始めた。
ジャズという音楽が私に与えた影響の話
ジャズというのはとても自由で不自由な音楽だと私は思う。ご覧の通り大した腕ではない。それなのにもうすぐ弾き始めて10年くらいになる。この間練習をしなかった日はないと断言する。だがこの程度だ。
譜面の音楽が私にマッチせずジャズなら向き合えた最大の理由がある。
それは譜面の音楽は理屈がわからずとも弾けてしまい、ジャズは理屈が理解できていないと弾けないという性格の違いだ。
譜面の音楽は『なぜこの楽器のこの部分を弾くのか』がわからなくてもそれに沿って練習を続ければ弾ける。弾けてしまう。なぜそこを弾くのか、何調の何度で、なんのスケールを弾いているのかを考えなくても弾けてしまうのだ。
ジャズには譜面があるがそれはリードシートという形のもので、簡易譜面に近い。音符も最低限しか書かれておらず、それ通りに弾いてもジャズの音楽には聴こえ難い。
理屈を知らないとそもそも弾き方がわからないのだ。
私が初めてジャズピアノをやろうと思い向き合った時、この愛しき学問は私という人間を徹底的に叩きのめし地の底へ投げ捨てた。
右も左も分からない中、理論や練習に打ち込む始めたての頃、分からないことが悲しくて、だが誰も助言をくれない。とても辛い気持ちになったのをよく覚えている。
地の底で叫び続けても本当に誰もきてくれない。
本当に誰もいない。
私が崖から転落しようが天にも登ろうが他の人にとって1円の価値もないということ。
本当の意味でそのことに気づいた時、私は人生で初めて泣き止んだのだ。
言い換えてみれば、受験も就職もなあなあにして生きてきた私に、人生は誰も助けてくれないという現実を初めて叩きつけてくれたのが音楽理論だったのだ。
おそらく人は受験や就活を通して、その時理不尽に思う感覚や辛い中戦った結果何かを勝ち取った時、その辛かった時期自体ややらされてきた事の重要性を理解し肯定し、成長する。
私は本気で行う受験勉強や就活でそれらを学ぶ事をせずに二十歳をすぎ、音楽理論にそれを教えてもらった。
もちろん理論の解釈も深掘りも、不完全でまだまだだが、前回、幸せものだと言い切った私がここに在るのはこの愛しき学問のおかげであるのは疑いようもないし、日々綴る中で書き記していくことになると思う。
音楽理論に叩かれ仕事の捉え方が変わった話
私は全ての楽器は独学で触れてきた。
好きでそうした訳ではなく人に習うというのが上手くいかない。
出来る人に教わるということは最短ルートでショートカットできるということだ。
やる過程で生まれる『なぜ?』いう疑問は、その事柄ができるようになった後に心に余裕を持って消化すればいい。そういうものが教えだと思う。
だが私の性分はそれではいたたまれずストレスに苛まれる。先ほどの譜面音楽の件と同じように教えてもらったことの理屈を理解したい、わからなければ進めない、となってしまう。
だから独学になってしまうのだ。もったいない事だが心が悲鳴をあげるのだから仕方ないと思うしかない。
ピアノの理論を学ぶ上で私の人格は大きく変わった。
それまでは文系脳でフィーリングが全てだったのが、理系脳になりロジカルシンキングで理詰めするタイプに変わった。
その頃から仕事に対する向き合い方が変わり、その日暮らしな感覚から本質を学び習得する事を重視するようになった。
全てはピアノに叩きのめされた事をきっかけに転化したのだ。
人生の袋小路に気づいた話
そして。
それにより私は気づいてしまった。
叩きのめされる前の時間軸での出来事。なあなあに過ごしていた叩きのめされる前の自分。もう戻らない時間をどれだけ多く無駄にしてしまったのだろうかと。同い年の人間との差をどれだけ作ってしまったのだろうかと。
私は人生が受験の地点から始まっているという言葉のそのまんまの意味を理解していなかった。
中小企業の社長直下の仕事をするような立場を会社会社で何度も任せてもらえ、現在もEC事業部の主任として、言ってしまえば直属の上司が社長であるような人間に変わり果てた、あの頃のなあなあではなくなった私は、なあなあの代償に今がどれほど袋小路な状態かを痛感し戦慄しているのだ。
私はこのままでは人生がこれ以上良くならない予感がしてならない。それに焦燥感を抱いている。
私はこれまでやってきたことにより様々なことができる。物事をロジカルに考え、不可能などないとし、デザインやコーティング、マーケティング、なども出来るようになった。ピアノも弾ける。ギターもベースもDTMもシンセもどれも昔よりも。
できる。できるが私は全てにおいて『専門家ではない』のだ。
何にも特化していない器用貧乏の極み。それが私なのだ。
HP、作ろうとすれば作れるだろう。
LP、これまでも幾度となくつくってきた。
作曲、ジャズの演奏、マーケティング、製品開発。
なんだってできる。出来るが全て専門家には勝てない。
特化した人間には勝てない。
言い方を変えれば、人生は『高校受験から自分は将来何に特化した人間になるかを決め、なんとかそれに成り、そこからキャリアを積み重ね特化することで年相応に謳歌できるもの』ということだ。
その点において私は全てのレベルが極めて低い。
同年代の特化者がレベル60くらいだとすると私はせいぜいレベル3くらいなのだ。
私はこのことが私の守るべき人たちの人生を今以上に豊かにしないということに気づいている。
それに焦りもやもやしているのだ。
そして今
来年は転機だという話を昨日した。
私は今から自分の身の振り方を見直し、起死回生の為の判断を35年分し直さなければならない。
来年は転機である。これは間違いない。