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13月の話をさせろ

曲やアルバムの各種配信サイトの一覧リンクを出してくれるサービスを教えてもらった。これで好きな曲が布教し放題なので、長年どこで話すか悩んできた好きな曲の話をさせてほしい。

今まであちこちで好きな曲の話を勝手にしてきたけど、せっかくまとめるならまずはやっぱり13月だろうか。と思ってこの記事を書いた。

ここに書くのは今までもどこかで散々話したようなことだけど、何者でもない私がSNSの端で書いたことなどたぶん殆どの人が読んだことなんてないだろうから改めて繰り返しの話をさせてもらう。

ここから長い前置きが始まるので手っ取り早く本題に飛べるようにここに目次も置いておく


※以降全て敬称略

長い前置き

私は音楽の好き嫌いが結構あるのかもしれない。
(好き嫌いといっても嫌いってことはないけど)
必ずしもそれだけではないが、基本リズム感、グルーブ感が結構重要で、合わないと聞く曲に入ってこない。大体13曲ぐらい入ってるアルバムで1曲しか聞く曲が残らないことがざら。

そんな中でリズム感グルーブ感が基本的に合うジャンルとしてラップが好きだったりする。あと、私は言葉遊び、ギミックのある詞が好きなので、韻はもとより数字ネタだったり細かい言葉遊びが織り込まれることの多いラップが音楽の1ジャンルとして好きなのだ。
もちろんhiphopも好きだし、ラップを聞いている中でこれはhiphopでかっこいいなぁ!という価値観はあるけれども、あくまでもラップが好きの方が大きいので必ずしもhiphopでなくともよい。例えば提供されたリリックを歌うアイドルとかでも曲がかっこよければありだったりする。(そういう場合は作詞の人の詞として内容を見て、あの人っぽい!!とか、いつも音源とかで言ってる考えが提供でもちゃんと出てていいな~みたいなところが楽しい)

隙自語と思われるかも知れない(いや思い浮かばないほどの死語かも知れない)が、今後も好きな曲を話すうえでこのスタンスを知っておいてほしいというのと、もう一つ。冒頭の曲の好みが合わないと聞く曲(もっと言うと"聞ける"曲)に入ってこないという話がちょっとこのアルバムの話に関わってくるため書いておく。

※一応書いておくが、当然のことならがら"聞けない曲"というのは個人の曲調の好みのせいであり、私が聞けない曲も全て素晴らしい曲です。言い方悪いと思いつつ書いているが「聞けない」というのは作詞作曲含めアーティストには一切の非がない。
正直に言えば世の中にはダサいなと思うものもあったりはするけど、それとは違いダサいとは思えんけど普通に自分か聴く曲じゃないなってものがたくさんある。それ
単純に好き嫌いの多い私が一番悪いので悪しからず。

アルバムについて

前述のとおり、基本大体11~13曲ぐらい入っているかな~というアルバムの中で聞く曲として残すのが1曲から運良くて2曲みたいな人間の私だ。ジャンルがラップだとまあ基本4,5曲は残るかなというところ。

そんな私がこのアルバムに関しては、最初全ての曲を音楽プレイヤーに入れて聞いていた。
そこから月日がたち他の新しい曲を取り入れたりが進む結果、だんだん精鋭化していくのだが、最終選定(と今名付けた)を通り越しても今4,5曲は音楽プレイヤーに入れていると思う。
(ちなみに私が普段アルバムから1,2曲しか拾えないと言っているのは、精鋭化する前の最初の段階の話である)
そして残っていない曲に関してもやっぱりここの韻いいんだよな~表現好きなんだよな~と言うものがいくつもあって、語りどころは無限にあるアルバムになっている。

二人について

シビアな曲の好みの話が引き続き尾を引くが、それで言うとハハノシキュウは正直に言ってしまえばあまり聞かないアーティストである。
しかしハハノシキュウのリリックは好きだったりする。
音源が好きでラップを聞いている身ではあるが、バトルもそこそこに見ていて、ハハノシキュウは音源があまり刺さらない分バトルで見ることの方が多い。彼の言い回しや理屈回しは好きなのだ。なんと言うべきかちょっとなぞかけ的な要素も含んだような屁理屈だったり。
そういう言葉遊びを含んだ詞の作りが好きでラップを聞いているところもあるので非常に面白い。
ただトラックの趣味が合わないのか、他にフロウなどとの相性がいろいろあるのか、理由は論理的に説明できないがなんかこう、音源はいくつかチェックはしているが、正直あまり聞いていない。(別にだからどうということはない。普通に私の趣味が違うだけで、どれもいい音源だ)

対してDOTAMAは音源を結構聞いていて、シングルを配信で買ったりアルバムもいくつか持っている。

特にこの辺の曲が好き。
フロウだとか韻だとかそういう好みを語るのはまた別の機会がいくらでもあると思うので詳細は省くが、聞く曲が多いということはざっくりした結論でトラックの趣味が合うのだと思う。

この二人が組んだ結果普段は聞けないけどめちゃくちゃ好きなセンスのリリックが好きなトラックに乗るという最高の状態が生まれているのがこのアルバム。

...…なんて簡単に言うけど、そんな単純足し算でもない。
トラックはすごくDTAMAに寄ってるって感じでもないし、寧ろなんか知らんがハハノシキュウっぽいな~って感じのあるトラックがありつつも、しかしてお互いの色が出てる。更にラップの面で二人が揃っていることでフロウに緩急がつくというか、いつもと何がどう違うかなんて言葉にできないけど妙にしっくり来て妙に好きなのだ。
Quviokalが本当に絶妙に二人の色を出していてすごい。

何にせよ自業自得とはいえ好き嫌いの多さで日々悩んで生きている自分としては奇跡のようなありがたい話だ。
内容を語らずとも私にとってこのアルバムがいかにありがたいかはこの時点でわかっていただけたと思う。

曲について

別に考察とかでもなく、深くいい話もない。知識の補足もない単純に個人的に聞いた感想。好きなところを話すだけ。もう興味を持ってくれているならこんな駄文は読んでもらわなくて結構そんなことより曲を聞いてくれ。そんな感じ。だけど書く。
もう何年もあちこちでこのアルバムについて語っているが、いつでもこのアルバムの話がしたいのだ。私は。

その前にちょっと注意

しかし悲しいことに円盤は購入できておらずデジタル版を購入しているため歌詞カードがない。いくつか歌詞を引用させてもらうかもしれないが、聞き間違いがあったら申し訳ない。

とかなんとかごちゃごちゃ言ったけど、やっぱりどうしても正確な歌詞が欲しくて中古のCDショップ探して円盤を手に入れてきました。
最高だ。
諦めていた夢の円盤がここにある。
と、いうわけで中盤も越えた後半戦あたりから歌詞カードありで書く。その手前の部分も正確なリリックを参照し修正しているが、何せ不注意を極めし強者たるこの私が書いているので、修正箇所には見落としがあるかもしれない。
お前歌詞知ってるだろ。何すっとぼけたこと言ってんだ。みたいな一文が仮に残ったりしていても許してほしい。

1月

長くなるから全てについて語る気はなかったけれど、前置きを書いていたらなんか妙に筆がノってきたので、書くつもりがなかった曲に関しても数行ぐらい触れておこう。
途中で失速したらやっぱり全てではなくなるかもしれない。

突然”歌詞に共感”とかいう、曲の趣味をぐだぐだ語った前項の下りと全く関係しないことを言うのだが
フックの詞と曲のふわふわしたような腰の落ち着かない感じ、言葉の意味と空気感が相まって妙に"解る"

年末寝ずに働くことがままあったのだが、寝ないと(それも正月的なオールとかではなく労働が理由だと)全く年を越えた気がしない。というか年を越えることが出来ない。
それって言うのはこのリリックの本来の意味とはまたちょっと違うと思うのだが、勝手に自分の経験を引き出して妙に共感し理解してしまう曲だ。

大晦日から働き通した正月の夜にこれを聞きながら「私の正月は始まらなかったが、一年は始まったのだな」と思いふらふら帰る時のあの気持ち。
たった一晩帰らなかっただけなのに、去年ぶりの妙に懐かしい布団に転がる嬉しさ。
なんかそんなものを今でも思い出す。

2月

ゴミじゃないものを捨てるゴミ箱
鳥じゃないものを入れる鳥籠

DOTAMA · ハハノシキュウ,(2013)
「02月 親愛なるヴァレンタインさんへ 」より引用 

ハハノシキュウのリリック。
なんかいろいろ凝ったというか、うまい屁理屈みたいなのも好きなのだが、こういう単純なひねくれみたいなところも好きだ。

2月という季節とタイトルから察せられると思うが、この曲はバレンタインデーがテーマ。それだけではなくどういうわけか世界の滅亡みたいなものも抱き合わせられた謎のテーマ
(私の知識がないだけで2月、もしくはバレンタインと滅亡の間には当然のように連想で繋がる関係性があるのかもしれないけど)

といううえで

地味な人生の意味が新鮮になると思ったら世界が終わった

DOTAMA · ハハノシキュウ,(2013)
「02月 親愛なるヴァレンタインさんへ 」より引用 

ここのリリックがすごく良い。
『地味な人生』と『意味が新鮮』の韻すごくよくないか。
この手前のリリックで、ストレートパーマをかけたり、スカートを折って丈を短くしたりといろいろかわいくなる努力をして、初めての手作りチョコを携え勇気をもって告白する。
この自分の人生を変える大きな一歩への緊張感と期待感みたいな。すごくいいリリックなのだが、なぜか急に世界が終わる。

普通に考えると世界の滅亡は玉砕の例えなのだと思う(「そばかす」の歌詞のサンプリング的にも失恋の曲ではあると思われるし)が、その割にDOTAMAのバースの滅亡とチョコレートづくりの時系列が妙な気がする。
しかしそこがこの曲の面白さというか、物事の順序とか意味とかがどんどん入れ替わっていってしまっていく感じというか。
聞いていると初めは「バレンタイン」という題材に告白する少女の描写がされ、初めは彼女の玉砕の比喩として「世界の終わり」が使用されたのかもしれないが、それがマイクパスされると伝言ゲームで話がこじれていくように、比喩の意味が抜けて「世界の終わり」が本当の意味の「世界の終わり」になってしまう。
そうしてそのまま話が続いていく。そんな感じがする。

世界が終わったその日に君は手作りのチョコを作り終わった

DOTAMA · ハハノシキュウ,(2013)
「02月 親愛なるヴァレンタインさんへ 」より引用 

ということで、DOTAMAのリリック。
告白とか以前にのんきにチョコを作っている間に世界は滅亡している。
そして人類が滅亡したことも知らず、完成したチョコをもってわくわくと待っている。
これが玉砕の比喩なのだとしたらあまりにも脈がなさ過ぎる。
ああ、でももしかしたら彼女が期待に胸を膨らませてチョコを作っている間に彼は誰かのものになってしまったのかもしれない。そんなことは露知らず彼女はずっと待っているのかもしれない。
そうともとれる。

でもなんともコミカルな二人のフロウとビートが、どう考えても滅亡しきった荒野にあっても何も異変に気付かずのんきに「あの人」を待つ度の越えた天然で、恋に盲目すぎる少女のシュールギャグみたいな光景を想像させる。真っ赤な荒廃した街を背景に彼女だけは荒廃の色に染まらず背景から浮いたいつも通りの色のままドキドキと彼を待っている。もうその映像が見えている。

下駄箱の中の上履きの中の手紙の中の気持ちの中には
中庭に来てほしいと一言だけ呼び出し文句を書いたんだけど

DOTAMA · ハハノシキュウ,(2013)
「02月 親愛なるヴァレンタインさんへ 」より引用 

ハハノシキュウのどんどんマトリョーシカのように中に入れ込まれていくようなリリック。何にも考えず無心で誘導に従って歩いて行った先の行き止まりで『中には』と『中庭』が待っているこの気持ちのよさ。
『中には』と『中庭』の韻自体にはすごく画期的!!みたいな感じはないのだが、ひたすらどんどん狭くなっていく一方通行の入り組んだ道を追いかけた先にこれがあるのがすごく嬉しい感じがある。個人の感想だけど。

地球自体が放課後になってる 一人残らず人が消えている

DOTAMA · ハハノシキュウ,(2013)
「02月 親愛なるヴァレンタインさんへ 」より引用 

手紙を入れて放課後をドキドキ待つ。でも本当はすでに世界は滅亡している。その表現が『地球自体が放課後』なの良すぎる。
この先に出てくる好きな表現もそうなのだが、前述の二つの題材が絡み合うことで、バレンタインや学園・恋愛に絡めた言葉を使って世界の滅亡を描かれるリリック部分が好きだ。

地面が割れ 大地が裂け ビルが折れ 人々が次々と死んでいって
アルフォートの船が沈んで キットカットがバキバキ割れても

DOTAMA · ハハノシキュウ,(2013)
「02月 親愛なるヴァレンタインさんへ 」より引用 

ここのリズム感好き。
怒涛の世界が壊れていく破滅の情景から、チョコレート菓子を用いた滅亡表現。『アルフォートの船が沈んで』って言う表現が本当にずっと好きで、絵にかいた船が沈むって本当にありえない天変地異って感じがして、それがもう一つの題材であるバレンタインに絡めてチョコレート菓子で表現されている。
この後ろに続く歌詞でこんなにめちゃくちゃに世界が壊れていく中で笑顔でチョコレート作りを続ける女の子のおかしさ。狂気ですらあるけどホラーというほど真剣じゃなくてどこかギャグ漫画的なコミカルさ。窓の外でどんどん地面が割れ建物が倒壊していくのに、なぜか彼女の家だけは無事で、その光景も窓越しにしっかりと見えているのに全く目に入らないような様子。
荒廃した、どっからどう見ても異常事態の世界の中をチョコレートを携え笑顔でスキップなんかしながら好きな子の元へ向かう姿が勝手に想像される。

人類絶滅恋愛妄想 地球最後の繊細少女

DOTAMA · ハハノシキュウ,(2013)
「02月 親愛なるヴァレンタインさんへ 」より引用 

そんな彼女の恋に囚われた盲目さみたいなところから見えるキャラクター性に『恋愛妄想』という言葉がぴったりとハマって、それと踏まれる『繊細少女』の韻が本当に好き。
この曲の中で一番好きな韻かもしれない。

次のハハノシキュウのバーストラックと相まっての宇宙に放り出されたような浮遊感がある。
そして長く永く続く時の中で少しずつ逆戻りしていくようなリリックが何とも良い

宇宙に放り出されると言えば、間奏の間にセリフが挿入されているんだが、それもちょっと昔のSFアニメっぽさを感じる。声質なのか演技なのかわからなにけれど、何故だかあそこの聞いていると少し古いセル画で製作されたころの宇宙船のアニメイラストが脳内に浮かぶ。
そんな宇宙船の中で宇宙育ちの地球の文化など知らない無垢な少女がおじいさんの博士にバレンタインを教えてもらっているようなシチュエーションを想像している。
それこそ、地球が最後を迎えた後の人類の図のようだ。

全部私が音を聞いて勝手に見ている幻覚の話だが。

そして最後のDTAMAのバース。
ずっとバレンタインの準備を少女の、告白しようと頑張る少女の後ろ姿を追ってきたカメラが、急にチョコを待つ男子側に向く感じがある。

僕ら救う義理チョコください 笑顔で包む最後の女神様

DOTAMA · ハハノシキュウ,(2013)
「02月 親愛なるヴァレンタインさんへ 」より引用

こう来ると、実は世界の終わりってチョコがもらえない男子側の心情なのではという気持ちにもなってくる。
このアルバムの12月は「12月 2012年にクリスマスが終わる」という曲なのだが、日本でクリスマスが恋人と過ごす日になりつつある文化の中で恋人のいない者たちがクリスマスを憎む。という実際クリスマスが憎いかどうかはさておき一種ミーム的な風潮の中にある曲という感じ。アルバム全体を通してそういう側の視点が多いと思う。
チョコを貰えない男子達にとってバレンタインはもらえるかもらえないかなんてドキドキするイベントではなくて、解り切った「もらえない」を事実として突き付けられる日であり、結果を見る間でもなくバレンタインという日そのものが「世界の終わり」といえるのかもしれない。
”クリスマスにいちゃつくカップル”を飛び越えてクリスマスそのものへ怒りが向いているように、”バレンタインにチョコがもらえない状況”を飛び越えてバレンタインそのものが絶望になっているような感じなのかもしれない。

チョコレートをせっせと作る恋する少女の裏で絶望する男子。
彼らの絶望など知らずに笑顔でチョコを作る少女の無邪気で残酷な姿。
この二つの側面を表したものがバレンタインと世界滅亡というテーマになっているのかも。
これはこの記事を書き始めて初めて思ったことだが、そう考えるとそれも面白い。

3月

ああ、ハハノシキュウだと思う。
イントロを聞いた瞬間に頭の中でエンドロールが流れ出す。
静かなエンディング。


少し別の曲の話になるが、

ハハノシキュウの「ヴェルトシュメルツ」
冒頭の流れで言うと、失礼な話正直私の中で”聞ける曲”としてレギュラーの曲ではないのだが、たまにふと聞きたくなる曲である。
youtubeに上がっているMVはアルバム全体のエンドロールとして作られているとのことだが、私は初めてこの曲を聞いたときはMVを見ていなかったのにも関わらず聞いた瞬間にエンドロールが流れ出した。
視覚情報抜きに音だけで静かなエンディングとして完成された曲だと思う。
あまり気持ちのいい終わり方をしなかった映画のエンディングのよう。人間らしくもだからこそ不気味な理屈的でない、理不尽を多分に含んだ動機の業により、もう手遅れになって、気づいたときには誰も幸せになれなくて不条理で物悲しいラストを迎えた。そんな映画のあとに流れるような。そしてこの曲自体がそんな物語でもあるように思う。

実際小説を出してもいるが、この曲だけでなくハハノシキュウの曲は物語だなと感じているので。


上記の通り私のとってハハノシキュウの曲の中で最も印象的な曲がエンドロールなので、彼の曲を考えると映画や映画のエンドロールを想起することが多い。
だから3月のイントロが流れて、エンドロールを感じ取った瞬間に。
ああ、ハハノシキュウだ。と思ってしまう。

とはいえ3月はヴェルトシュメルツのような言い知れぬ恐怖みたいな終わりとは違いもっと穏やかな日常の中の別れのような曲だが。
ハハノシキュウの穏やかで少ししんみりした空気とDOTAMAの高く明るめの声質とフロウがこのバランスになっているようにも思う。

4月

3月の物悲しさ滲む静かで穏やかな曲に対し一転明るい。

青春はスカートよりも短い

DOTAMA · ハハノシキュウ,(2013)
「04月 さくらの唄」より引用

なんたってハハノシキュウのここがめちゃくちゃ好きである。

それ以上のことを何話そうかって言ったら別に話すこともなかったけど。この曲ももちろん好きだ。
この曲単体としてもただこの雰囲気がいいし、アルバムを一連の流れで聞いたときに3月のしんみりした空気の後に来るこの4月という全体的なバランス的にもなんかありがたい。「いい」とか「好き」とかそういうことではなく、なぜか「ありがたい」と、そう思う。
音楽が好きとは言え詳しくはないのだが、4月は始まりの時期なので明るい曲、アップテンポな曲は多いと思うこの曲も雰囲気としては明るい曲なのだが、なんか空気感が独特だと感じる。別にどこがどうとか具体的に言えない感覚の話だが。

(とはいえコミカルに明るい曲に対して言っていることがだいぶ陰よりではある)

DOTAMAの花の名前をつらつらというところも好き。
結構低めの声とか落ち着いたラップをしているときのDOTAMAが好きな一方で高い声で流れるようなフロウを聞いていると声の綺麗さと聞き取りやすさにいつまでも新鮮に驚いてしまう。
もしかして声好き???と毎回思っている。毎回思っているなら絶対にそうである。

5月

今更だがトラックがいちいち良い。
テーマに対して完璧な解すぎる。
入りの怠惰な少し憂鬱さの混じるだらけたような音。これだけで「滅入る」という気持ちが身に溢れる。

滅入る。
五月病的なところから来たテーマなのだろう。あと真相は知らないが勝手に五月のmayと掛かっていると思っている。
と思っていたら実際歌詞見たところ『滅入る』だと思っていた一部が『may ill』だった。

ハハノシキュウの『何もしたくない』がなぜかどこか可愛い。その合間で『もったいない』といっているDOTAMAも何か妙に可愛い。
なんかマスコットキャラのアフレコをしているような。あざとい声の出し方を感じる。

毎日がゴールデンウイーク ただしファミレスの店長みたいな

DOTAMA · ハハノシキュウ,(2013)
「05月 滅入る」より引用

最悪すぎ。
毎日がお休みという本来なら嬉しい状況がこんなに台無しになる条件付けがあるだろうか。というようなことが(多少それはズレてね?というのを挟みつつ)表現を変えながらいくつか続くここ好き。

滅入る二週の旅絵巻 休み久々のパパは寝たまま

DOTAMA · ハハノシキュウ,(2013)
「05月 滅入る」より引用

ここから始まるDOTAMAのバース
ここのリリックというか、物語というか、非常にリアルに情景が浮かぶ。
みんなそれぞれ予定があったり、やるべきことがある家族の中で、まだ幼く一人で遠くに遊びにも行けず、家族と出かける友達とは予定も合わず、持て余された少女が暇を持て余している状態。心情的にはよくわかる。

ツタヤで借りてきた映画10巻見終わった
次はドラマのシーズン全巻セットでレンタル

DOTAMA · ハハノシキュウ,(2013)
「05月 滅入る」より引用

そしてこの後ハハノシキュウのバースを越えた先の再度DOTAMAのバース。
こっちは前の少女のゴールデンウィークの持て余し方に対して、ある程度大人になってきた人のそれ。
ただひたすら持て余した時間で映画やDVDを見ている。今だったらサブスクでこうやって過ごす人も多いだろう。映画やドラマですらなくyoutubeとかをずっと見てしまう人なんてもっと多そう。
そんな子供と大人の二つの暇に繋ながりがあるのかないのかはわからないけど、ただ何となく(いや偏見なので全員こうだとは思わず聞いてほしいけど)あの子供時代のゴールデンウィークを過ごしたらこうなるな。という。自分自身の実感も含めて。
ここの2バースが同一人物の成長した先とかではないかもしれないけれど、少なくともあの子供時代の情景を書けるDOTAMAがこの大人時代のゴールデンウィーク観を持っていることになんか妙な納得と共感があるというか。

私は一人っ子だし、親が忙しかったのでゴールデンウィークに限らず長期休みって部屋にこもって自堕落に過ごすぐらいしかやることがなかった。ケータイとかも持ってなかったので急に友達と遊んだり予定を作ったりはできなかったし。
夏休みなら学校のプールが始まると皆プールに通うたびに顔を合わせるから、そこで遊ぶ約束をしたりはしてたけど、基本的には家で暇だった。でもそれで寂しいとか不満とかじゃなくて自堕落な生活で充足できる。しちゃっていたから、休みの普通の過ごし方、なんなら幸せな過ごし方がそれになっている。
大学生ぐらいのときに自分って旅行とか遊園地に行くとか、そういう遊びをしていいという認識が形成されてないんだな。とふと気づいた。そこに自覚できたから、今は旅行したりとかそういう選択肢を意識的に持つようになれたけど、たぶんそれってこの幼少期の長期休みの過ごし方にあったと思う。
あー、休みの日ってごろごろしてるだけじゃないんだ。って。
いや、旅行も遊園地も全く行ったことないわけではないけど行き慣れてない。何か特別なときに行けるものというか。休日出かける場所ではなくなんかちょっと次元の違う遊びだと勝手に思っていた。
初めて自分で行ったときは、こんな簡単に行けるんだ!行っていいんだ!と思った。

そんな経験と感覚を持っているので、本当にあるのかわからない文脈をこの二つから感じ取って勝手にすごく共感してリアルを感じている。

6月

この曲は全体的に声の音が小さいので歌詞が正確に聞き取れていることに全く自信がない。
でもそこがいい。
ハハノシキュウの呟くような声が雨音のようで、なんだかASMRのようにも感じる。
そして、3月が頭からエンディング感をわからせてくるように、そして5月でもいったように、やはりトラックもテーマに忠実というか。あまりにぴったり過ぎる。ドラムがぽつぽつしとしとと降る雨のようにも聞こえる。そんなリズム。曲を聞くだけで落ち着いた雨の日の情景だ。

この曲に限ったことではないけど、DOTAMAのこの一般的なラップの乗せ方というか、音程というかとは外れているし、ポエトリーリーディングみたいな語りとも違うし、かといってメロディがあるような感じでもない、独特なイントネーションのフロウが結構好き。

ハハノシキュウはこの曲、音に対してちょっと遅れて入ってくるような乗り方をしているけど、ずれているようでいてずれていないというか、それが心地よくなっている。


そういえば破天の渡部の部屋か何かで、hiphopの音楽かどうか危ういところが好き。みたいなことをおっしゃっていたので、それなのかもしれない。
メロディやリズムに音楽性を強くつけず、音の後ろから淡々とついて歩くようなフロウが、ひっくり返って音楽として心地よくなっているのが良いなと。

13月から話は離れるが、音楽かどうか危ういと言えば、ビートボクサーの油揚げさんとのアルバム「波羅葦増雲」はポエトリーリーディングを突き抜けたような曲で、寝る前とかに聞いて勝手に睡眠導入にしていたりする。



7月

まずこれだけ言わせて。
ハハノシキュウが審判の判定に文句をつけてるところが好きすぎる。

卓球少女ダブルス上等
先輩勝ちます このセット


DOTAMA · ハハノシキュウ,(2013)
「07月 卓球讃歌 ~Table Tennis Anthem~」より引用

「少女」と「上等」ここだけじゃなくて「コート」から「強力」まで続く、ここの韻が好き。そして『先輩勝ちます』の台詞がなんか、後輩の女の子って感じの声の上がり方というか、声は全然DOTAMAだけど、雰囲気が初々しい後輩女子感があって、こういう曲内でのセリフを言ってるときのDOTAMAが好き。
演技というか、声のトーンや喉の使い方がいいなって。


私トラウマで二回以上聞けてないDOTAMAの曲があって「神様になった少年」なのだが。
普通にネタバレするから、気になる人は次の文を読む前に聞いてほしい。
ネタバレを読んだ後からでも音楽として聴いてほしい。

物語全体が怖くて、特に中盤で一度自分が死ねないのではないかと気づいたときの恐怖とか、心臓のざわつき感がすごい。その上でそこからのあのなんというか、自分の足で向かったけど覚悟のない終わりみたいな。あれがすごく苦手。そんな最後を描く詞というか、台詞なんだが、『試すんだ』という少年の言葉の力の抜けていくような声が自然と結末を悟らせてまた怖い。
こういう喉、発声、演技での表現がDOTAMAはすごいなっていう。



県大会 インターハイ 審判居ない 心配ない

DOTAMA · ハハノシキュウ,(2013)
「07月 卓球讃歌 ~Table Tennis Anthem~」より引用

ここの韻めちゃくちゃ好き。
聞いてて心地がいいし、審判居ないのに心配ないわけない。
そんな無茶苦茶を言っているハハノシキュウの声がすごく余裕をこいてて、「ぜーんぜんダイジョブ!俺に任せとけ!」とか調子いいこと言ってるけど全く信用ならないキャラみたいなしゃべりなので味わい深い。

卓球のことをテーブルテニスって言うくせに
なんでテニスのこと庭卓球って言わないんですか?
とか言ってる間にサーブ打っちゃいますね

DOTAMA · ハハノシキュウ,(2013)
「07月 卓球讃歌 ~Table Tennis Anthem~」より引用

この下りすごくムカつく(良すぎる)。
煽りの声の出し方が上手い。そのくせ自分のポイントを主張するときは途端に声が冷静になるのも腹立つ(最高)。

ハハノシキュウのこういう、普通に意味通ってなくて何言ってるかわかんなかったり、全然的を射てない屁理屈だったりなのになんかうまいこと言ってる感じを出す言葉遊びみたいなものが好き。
この主張を容認したら話がペンローズの階段みたいになっちゃうだろって、そう思うけどそんな屁理屈をバトルとかでも咄嗟に出せるような機転が非常に面白い。

最後の方フックに重なってくる声のところが好きなんだよな。

俺に勝つとか ご冗談

DOTAMA · ハハノシキュウ,(2013)
「07月 卓球讃歌 ~Table Tennis Anthem~」より引用

音が重なってていろいろ聞き取りづらいけど、たぶんこう。合ってた。
(この手前もずっと何言っているか聞き取れていなかったけど、歌詞カードが届いてやっとわかったので嬉しい)
『ご冗談』の跳ね上がり方、煽り方が良すぎる。バトルのときにサイコパスって言われてるような、DOTAMAのキャラクター色が出ていると思う。

私自身はバトルをそんなに熱心に追ってるほどの人間じゃないが、多少知っている程度でもまあサイコパスって呼ばれてるのは(実際にそうかはともかく)なんか非常にDOTAMAの”キャラ”だなと思う。
本人は素でyoutubeライブなんかで話していると腰が引くくいい人って感じだけれど、だからこそというか、この人柄であのdisなんだというところが寧ろサイコパスキャラを深めている感じがあって面白い。


関係ない曲の話ばかりして申し訳ないけど、卓球と言えば私は「MY CITY」のMVにある謎のさのまるの修行パートで、DOTAMAと卓球の特訓をしている謎のシーンが好きだ。
というかこの動画はさのまるがずっとかわいいのでちょっと見てほしい。
あとDOTAMAは完全に市の職員にしか見えない。



8月

Interlude
この曲がめちゃくちゃいい。
8月の表現がこの穏やかさであることそのものに郷愁を感じる。
それこそ5月の持て余すような長い休みみたいなちょっとだれた時の流れを感じる。
学生時代の夏休みみたいな。
プールの後の倦怠感
家でだらだらしなっがら食べるアイス
開けた窓から風が抜ける昼下がり
カーテンのなびく姿

社会人になった。住む家が変わった。学生時代には戻れない。という個人の時の流れに対する切なさと、もっと地球単位でこういう風抜ける暑さの中にさわやかさのある穏やかな気候の8月はもう存在しないという切なさ。
こんな8月の過ごし方、自分のこの先にはもうないんだろうな。
過去の思い出を振り返って時の不可逆に思いをはせてしまう。

アルバムにこういうInterludeが入ってたりSkitが入ってたりすると嬉しい。嬉しいと言ったってお前はアルバムから1,2曲程度曲を取り出して聞くだけのくせにと思われるかもしれないが、そういう人間だからこそ最初にアルバム全体を聞いたときのアルバム一本だからこその体験があると嬉しいものなのだ。
それはたとえ聞く曲にならなくても刺さらなかった曲も全てに価値を与える体験なので。

9月

ここまでがすごく長くなってしまったが、アルバム内で一番好きな曲はこの9月である。つまり、この先言いたいことがありすぎる。

文化祭の歌だ。
だけど、青春アニメでよく描かれるようなクラスで模擬店の準備をしているワーキャーした雰囲気ではなく、和気あいあいと、だけどクラスの出し物を準備する子たちほど特別大盛り上がったりするわけでもなく、黙々と文化祭の発表に向けて励む文化部感が好き。
情景の生々しさというか、美しいだけじゃなく何となくリアルに想像できる恋や、学園生活の思い出のじめっとした質感がすごくエモい。

文化の祭りの名の通り、文化祭は大抵文化部の普段の活動の発表の場になっているはずだ。
対して運動部にとっては(食べ物屋さんとかはやるけど)特に部として普段の活動の集大成的発表があるわけではなかったと思う。
良く描かれる文化祭のワーキャーした雰囲気というのは、部としての出し物がない運動部の所謂陽キャがクラスの出し物を作っているイメージに寄っている。でも実際自分の部で発表がある文化部は部活に集中していることが多いのではないか(私の時はそうだった)。
文化祭当日も、文化部は自分の部の発表が忙しく、クラスの模擬店のシフトは免除されて終わった後の片付けに回るか、どうしてもという短い時間だけクラスに顔を出すだけだった。
演劇部だった私はクラスの出し物を手伝った記憶が全くなく模擬店の売り子だった経験もない。クラスの準備の記憶すらまともになく、文化祭の店を回った記憶さえない。ずっと楽屋として部に渡された部屋に引きこもって台本を読み合わせたり衣装を用意したりをしていた。準備期間もほとんど部活の方に出ていた。

だから和気あいあいと、だけど特別大盛り上がりするわけでもなく、発表に向けたわくわくした気持ちと緊張感があって、文化祭の発表に向けて励む文化部感にノスタルジーを感じる方の人間だ。

月見バーガーとキリンの秋味
片思いのあのことCDの貸し借り

DOTAMA · ハハノシキュウ,(2013)
「09月 フェスティバル・アフター・フェスティバル」より引用

この詞と韻がめちゃくちゃにいい。
片思いのあのことCDの貸し借りっていう文化部の恋愛のエモさ。
学校行事である文化祭の歌で「キリンの秋味」が出てくる件については、この後のハハノシキュウのバースでわかるし話したいと思うが、リリックが前後するのであとにしよう。

壁新聞を書いている君の
スポーツブラが見えてない振りを
している間は秋(飽き)が来ない

DOTAMA · ハハノシキュウ,(2013)
「09月 フェスティバル・アフター・フェスティバル」より引用

同じ部の好きな子が、文化祭に掲示する壁新聞を書いている。少し前傾姿勢になって紙にかぶりつくように集中する彼女の襟から中が見え隠れしているのに、向かいの席からちらちらと意識を向けながらも見えてないふりをしている。そんなスケベ心。
机を四つくっつけた島に向き合って腰かけて夕日が沈む教室で文化祭に張り出す壁新聞を黙々と書く落ち着いた、だけど邪な緊張感のある青春みたいな空気が、情景が目に浮かぶ。

月を眺める角度を眺める 壁新聞より空気を読んでる
「初恋」と「文化祭」より相性のいい そんなカップルにあの子となりたい
ふと目が覚めると20代後半

DOTAMA · ハハノシキュウ,(2013)
「09月 フェスティバル・アフター・フェスティバル」より引用

月を見ている好きな子見ている感じなのだろうけど、その表現が『角度を眺める』なのが好きだ。
花火やら星やらを見ているときに、それらより女に見とれるやつ。「君の方がきれいだよ」みたいなあるあるシチュエーション。でもこいつはきっとそんなキザなことは言えないし、きっと黙ってこっそり君を見ている。その前の段階でスポブラをチラ見する邪さをみせられているせいか、なんかそういったロマンチックさのない、乳臭く、なんなら埃臭い、でもやっぱりどこか甘酸っぱいようで、しかし絶妙に嫌な湿気を帯びた恋みたいな空気を演出している。この妙にリアリティのある空気感とぬるっとした温度感の情景がずっと続く。
それがこの曲のエモさというか。好きなところだ。

そして目が覚めると二十代後半。恋は叶わなかった。
というか、告白すらしていなさそうである。
「キリンの秋味」と「月見バーガー」を食ってるところでもうこの景色は見えていたけど、酒が飲めるいい歳になって学生時代のつかみ損ねた片思いを思い出すような、寂しさと後悔と諦念の滲むノスタルジーみたいなものが感じられていい。

正直自分は書いた通り演劇部だったため部活では結構動き回って声出してビシバシダメ出しくらったりしていた。
ので、今作の黙々と制作をする文化部感ともまたちょっと違う文化祭準備の雰囲気ではあったが、それでもやはりクラスの喧騒から離れた、それよりもchillな雰囲気の曲が刺さる。

すべて映像になって見えるのだ。私は小説を読むときに映像を見るタイプの人間なのだが、そのときと同じである。

学生時代の恋愛の情景、そしてそれを経て大人になった姿。
一人で汚部屋というほどでもないけど雑然としているマンションの一室で、窓を全開に開き秋風を浴びながら夜空を眺めビールをしばきながらもそもそと月見バーガーを食う、タンクトップにパンイチの自堕落な姿が。
自画像か?

そしてまた、DOTAMAのフックも好きだ。
メロディのようなメロディじゃないようなDOTAMAのフロウで静かにゆったりと流れていく。でもこのフロウのメロディのような流れも、そもそもビートもそうなんだけど、静かだけどシンとしてるって感じじゃないというか、遠くに喧騒がありつつここだけが穏やかな時間みたいな。
遠くのグラウンドで部活をする声、曲のテーマで言えば離れたクラスの教室で文化祭の準備をする声か。そいう賑やかな音が遠くにありながらの、この場の心地いい静けさ。落ち着きそんな雰囲気がある。
窓から夕日が入って少しくすんだ茶色っぽいオレンジに染まった放課後の教室色の音。
めちゃくちゃ感覚的な話をして申し訳ない。

そして冒頭のこの時期のあれこれをゆったりと語るDOTAMAの声の穏やかさとかが作る空気感がこの曲の情景の導入としてよくて。この始まりじゃなかったら私はこの曲に別の景色を見たかもしれない。

文化祭の準備はいつも時間がかかるもの

DOTAMA · ハハノシキュウ,(2013)
「09月 フェスティバル・アフター・フェスティバル」より引用

この始まりから、

後夜祭準備はいつも 本祭よりもかかるもの

DOTAMA · ハハノシキュウ,(2013)
「09月 フェスティバル・アフター・フェスティバル」より引用

このオチというか。
この流れもなんか好き。

そしてこの二つの間にある

当日まであと三日 生徒会と予算交渉

DOTAMA · ハハノシキュウ,(2013)
「09月 フェスティバル・アフター・フェスティバル」より引用

この、時の流れを描くリリックのリズムがどれも気持ちよくて好きなんだよな。

あと途中のDOTAMAの早口聞き取りきれなくてずっと内容が知りたかったのが、CDを何とか手に入れてからわかってよかった。

全体を通してゆったりとしているのが良いみたいな話をしてきた曲の中で急に早口の話だけど、ここも好きだ。
まあそんなべらぼうな早口ではないかもしれない。とはいえやっぱり今までのゆったりした曲の中ということもあって急に早い。だけど決して急いては聞こえないというか、どこか淡々としている。
競馬実況の抜き差しが始まる前、熱くなる前の冒頭というか、

学際手一杯 戦争みたいな学校中が焦る芝居
8組先輩はメイドより魔女の仮装が良く似合う

DOTAMA · ハハノシキュウ,(2013)
「09月 フェスティバル・アフター・フェスティバル」より引用

遠くで聞こえるニュースのような声に学校内のトピックが詰め込まれて、学内ニュースそれこそ、壁新聞みたいであるかも。でも内容聞くと視点は結構個人的か。
自分の中の最近の出来事や気になること。脳内のことが、曲に合わせて学校新聞のような形式でつらつら流れていく。そんなイメージがある

上に引用した歌詞の手前、この早口のパートの口火を切る

図書館交換 真夏のプール 過眠症のさばるこの季節

DOTAMA · ハハノシキュウ,(2013)
「09月 フェスティバル・アフター・フェスティバル」より引用

ここのぶつ切りの詞がちょっとニュースの見出しみたい。

ちなみに最後の先生の出し物の下りは、DOTAMAの高校時代の思い出で、実際に先生がやっていた出し物の話らしい。

自伝「怒れる頭」にてp75から書かれているDOTAMAの高校時代最後のステージについての話の中でさらっとこの「オジンジャーズ」が出てくる。
章で言うと、第2章 怒りの原点内の「ドリルヘッド」のところ。

この本曰くこれが後夜祭での出し物ということなので、この曲は時系列としてちゃんと曲が後夜祭で終わっているみたいだ。

10月

このちょっとずんどこしたコミカルさと同時に物悲しいような曲。
そんな取り合わせできる?まあでもそうなっている。

人々が怪物に化けるハロウィンに、化け物が人間になりたいと願う。
タイトルからハハノシキュウ節という感じ

リンゴでナイフを剝いてる皮さ 下着で女を穿いてる裸

DOTAMA · ハハノシキュウ,(2013)
「10月 ハロウィンに人間になりたい」より引用

例によってこういう所が結局好きだよ。私は。
もうわかってきているだろうと思う。

幽霊になった人間が人間になったお化けに化けたがる

DOTAMA · ハハノシキュウ,(2013)
「10月 ハロウィンに人間になりたい」より引用

タイトル回収のようで、よく聞くとそうでもない。というか、何言ってるかあんまわかんない。
『幽霊になった人間』はいい。わかる。
『人間になったお化け』は、本来そこは不可逆だろ!ということはおいておいて、状況としては”こういうこと”と言うのはわかる。でもそれにさらに化けたいって言うのはどういうこと?????
といった具合に、冷静に聞くと、いやそれは意味通ってなくない???みたいなことが、うまいこと言いました!みたいな面して鎮座している。そういうハハノシキュウのリリックが好きなのだ。
まあ整理すれば結局やっぱりタイトルの通りであり、DOTAMAも最初のバースで言っていたけど要は「人に戻りたい」なんだろう。
ここはこのバースの最後になるんだけど、この手前のずっと捲し立てるようなハハノシキュウのバースが全体的に良い。

この曲はすごく好きなんだけど、リリックを取り出して特にここ!!!っていうよりは全体的に空気感と世界観が好き(正直このアルバム自体そういう曲が多い)なので、言葉で語ることが実はそんなになかった。

全体的に上に書いたように、リンゴでナイフを剝くような言葉が入れ替わり立ち代わりにぐるぐると回るようなわけのわかんない詞が続いているのが好きだ。
それで、はっきり言葉にして「こう!」とは言えないけどぼんやりとした見えているようないないような。でもそこにある気がする世界観というか全体像みたいなものが好き。

11月

ずっとそうだけど、感覚的な話ばかりで申し訳ない。
でもこれ、歳をとって、意識もはっきりしなくなって、生きてはいるけど自分で食事もできなくなって、ああもう家に帰ることはできないだろうなって。いつにとかはまだわからないけど、でももう覚悟をしなきゃな。なんてときのおばあちゃんの病室にお見舞いに行っていたあの頃の空気そのものなのだ。

いつ死ぬかわからない。もう回復しないとわかりきったような、
そんな死を待つ病室で、久しぶりに会った親族たちと和気あいあいと話すような。
正月や祝い事のようにわいわいととはいかないけれど、それでも悲しいばかりじゃなくて近況やら楽しい思い出なんかを語りあって、こんな話してたら今に起き上がって文句言うかも。なんてちょっと不謹慎な冗談とか言ったりして。そんな穏やかで悲しくて恐ろしいのに不思議と団らんな時間。

そんな温かさと穏やかさと少しの不穏さみたいな空気が妙にリアル

どのリリックが、とかそういうのではないけど
ビートが、フロウが、言葉が、それと同時に言葉としての意味を必要としない音としての文字列がその色、空気をしているんだよね。
私は音楽が描く情景も好きだけど、そこにある空気と音がかみ合って場に溶けるような曲が好き。見えている景色や情景に音が溶けることで見えていた以上の風の冷たさや光や影がついてより立体的で絵がまるで空間になっていくような瞬間が何より一等好きなのだ。

この曲は正に自分の人生の中にあるあの日の空気そのものだ。
私の中にある記憶がただの映像だとしたら、この曲はそれをただの映像からあの日そのものにしてくれる。
この曲があるから私は今もあの日をあの日のまま取り出せるのだ。

リリックはちょっとふざけたようなハハノシキュウから始まるのだが。
13月もそうだが、言葉の内容で言えば二人のコミカルさと題材のシリアスさがめちゃくちゃよくかみ合ってて、愉快なのに少し悲しくて、恐ろしいのに楽しく受け入れられるようななんだか不思議な穏やかさのある曲だ。
自分が死ぬときもこうであったらいいとさえ思う。

頭の方にすべての曲の感想を書くつもりはなかったって書いたけど、じゃあ最初何の話をするつもりだったかっていうと、2月9月10月11月13月の話で、つまりこの辺りがアルバム内でも特に好きな曲なんだけども、その割にここはあまりいろいろ引用して語っていない。そういうこともある。
だって私にとってこの曲はあの日の空気だから。

12月

ずっと思ってたことがあったので発表年を軽く確認してきたけど、この曲ってこのアルバムより前に術の穴のコンピレーションアルバムの方に入っていたのが初出じゃないか?

ちなみに私がこの曲を初めて聞いたのはアルバム「DOTAMA BEST」であったと思う。

私のトラウマソング「神様になった少年」もこの中に入っている。

MVも作られているし、このアルバムの中で一番他のCDに収録されていると思われるので、この曲だけは知っている人も多いのではないだろうか。

簡潔に言うと、クリスマスなんて終われ~!!!!中止だ中止中止中止~!!!!みたいな。妬みつらみをコミカルに歌ったみたいな曲だと思う。

細かい歌詞の好きなところを言ってもいいのだが、一番好きなところは最初と最後だ。
聞いてもらえばわかると思うが、靴下に始まり靴下に終わる。
そんな曲が好き。

13月

イントロの音に寂しさを感じる。
宇宙に一人ぼっちみたいな。それほどに壮大な孤独でありながらも、孤独という重い言葉では重すぎて逆に足りない。ちょうど「寂しさ」みたいなイメージだ。

「宇宙に一人ぼっち」という印象の通り、私にとってこの曲のイメージはまさしく宇宙で、2月でも宇宙っぽいという話をしたけれど、そのコミカルさとは違うもっと冷たくて静かで寂しい宇宙のイメージ。
そう2月。イメージする状況はちょっと2月で話した景色と似ていて、自分の家だけは何事もないけれど外の世界は全く変わってしまっている。みたいなシチュエーションが頭に浮かぶ。ふよふよと宇宙に漂う家の中で、無重力ではあるけれどなぜかここだけ何事もなく酸素は合って、ふわふわと浮きながら普通に生活を続けているような。
ただ2月はちょっとコミカルでギャグっぽいのに対して、こちらはやはり少しシリアスというかどこか寂しい印象だ。
なんというか、浦島太郎みたいな。帰ってきたら時代は変わっていて、知り合いは誰も居らず一人ぼっちだった見たいな。そんなちょっとしたシリアスさ。

空気感は11月に似ていて、上記の寂しさが死と言うものへ向き合う感情にも近いというか。
ふと子供の頃の楽しかった時間とか、特別な思い出ではないけどああいう時間なんか良かったな~みたいな時間を振り返ったときにプラスのノスタルジーとは別に到来する不気味さというか。今に不満はないけど、過去にいいなと思ったあの瞬間は絶対にもう味わえないとわかって、時間が不可逆だと思い知らされると同時に、いずれ私は死ぬのだと漠然に避けられないそれを感じた瞬間みたいな。明確な恐怖ではないけれど、えも言えぬ気持ち悪さというか、ざわざわするあの瞬間。みたいな音と世界観。
そうであって、でもどちらかというと死よりも生に向き合う曲だと感じる。
生と死を表裏一体に両方書きながら、絶対に表側は「生」なのだと、そう思う曲だ。

冒頭に書いた、子供の頃の何気ない日常の好きだった時間を思い出したときの不気味さ。
「あの頃」に戻れないと気づくと同時に、決して今に戻ってくることも今後一生できないことと向き合わされる。そんなのは当たり前のことだけれど、当たり前のことに向き合う恐ろしさがある。
今12ヶ月の一年を過ごすことを当たり前に生きているけど、それはもしかしたら一年が11ヶ月だった頃に必死に望んだ1ヶ月を手に入れた姿なのかもしれない。でも慣れてしまうんだよ。たとえ一年が13ヶ月になったとしても。それをどんなに望んでいたとしても、結局手に入れてしばらくしたらそれを適当に過ごしちゃう。
今に戻ってこれないことなんて当たり前に知ってるのに、今を適当に過ごしちゃう。
それはそういうもんで仕方ないけれど。
でも我々は当たり前に死に向かっていて、当たり前じゃない一月や一日を過ごしている。

...…とは言ったものの私は不真面目なもんで、怖いと思いはすれそれに対して何かもっと行動をして毎日を有意義に過ごそう!とかそういう気持ちは起きないし。全然毎日を自堕落に過ごしている。
というか、自堕落に過ごしすぎて今までの人生で一日が短い!とか一年が足りない!!とか思ったことがない。別に明日にも時間はあるし、来年にやればいい。区切りに対する緊迫感を持った人生を送ったことがないのだ。
ただ不可逆が怖いのでこの曲を聞くと怖いと思うし、実際にしないししなきゃという鬼気迫る感覚を覚えなくとも、ああ生きていかなきゃなと思う。
私程度の適当な人間でもそう思えるのがこの13月である。


...…なんか、この歌詞について話そうかな~とか何か所かあったけど、私にとってのこの曲の印象、話したい事という点で言うとそんなに本質的なことではなかったし結局上記の文で書きたいことは書き切れてしまったのでもういいか。
というのも、この曲の好きな部分が上記の通り全体的な雰囲気なので、2月とか9月みたいに全体の言葉を通した情景を語りたいとかでもなく、かといって一か所を切り出して自分の思い出の情景とリンクしたノスタルジーってことでもない。
11月と同じで、この曲は私にとってはあの恐怖心であり、それを感じているときに肌に触れている空気みたいなものなので。
もちろん音だけでなく断片的に理解している詞も含み形成された雰囲気の話ではあるが、別に一つ一つを書き出さなくても好きだと言えてしまったので、言葉は曲を自分の耳で聞いてほしい。

終わり

なんてごちゃごちゃ書いてから今更言うが、正直何事にも浅くしか触れない性分なので、本当にただ好きなだけで何の知識もないようなもののことを、こんな誰かの検索に引っかかるかもしれないところに本当は書きたくなんかない。
冒頭にhiphopというジャンルではなくラップという音楽が好きみたいなことを書いたが、とはいえそりゃhiphopはかっこ良くて好きであるし、勉強嫌いの無知と言えど、このビートはこの曲のだ!最高!!だとか、ここのリリックはこのサンプリングだ!だとか、このテーマでこの言葉をサンプリングしたってことはこう言う意味ものってるんだろうなぁだとか、まあそれなりに思うこともある。でもそんな話自分の中では楽しむだけで人には全然したくない。なぜなら私なんかの浅い知識なんて誰にも聞いてほしかないからだ。もっと詳しい人はいくらでもいるし、そういう人の解説を聞いてもらいたいし、自分もそっちを見たい。

でもじゃあ今回はなんで語ったのって、そりゃもう好きだからだ。
もう好きになってから何年もたっていまさらだが、くだらない自意識の為に黙っている場合ではない。もうこうなったら少しでも広める他に何もないのだ。
だから解説とかではない。自分の好きという感想を書いた。
個人の感じ取った感想と解釈に正解も間違いもないはずなので、別に考察でもないし、こういうものだと言いたいわけでもない。

というかhiphopの知識に関してごちゃごちゃ語ったけど、それ以外に関しても知識が乏しい。
アルバムの説明にもある通り、漫画のネタ、ドラマのネタ、小説のネタ、映画ネタにポップスの歌詞の引用など、あらゆるネタが含まれた歌詞だ。
そういう部分にはあまり触れてこなかったけれど、jojoネタだ。とか、そばかすの歌詞だ。とか、岩井先生の本だ。とか、いろいろ気づくことはある。
わかっていて元ネタに触れてないものもあるし、気づかない(というか知らない)こともあるだろう。
知っているあなたなら全く別の景色を見れるかもしれない。

私の浅い知識と浅い感想などいいから曲を聞いてくれ

私が言うべきことはこれだけ。
あとは聞いた人がもっといろんな感性や見識で感想だろうが解説だろうが解釈だろうが、この曲について語ってくれたら嬉しい。
100字でも1,000字でも10,000字でも50,000字でもいいのだ。
一つだけ言うのであれば私でも見れるところでやってくれると命が助かる。





おまけ

ついでだから歌詞が読めなかったときに書いていた文章をちょっと残しておく。
このアルバムの好きなところがちょっと含まれているので。


ちなみに自分は普段の生活から言葉なんて8割母音しか聞き取っていないことを自覚している人種で、イントネーションと文脈と推察力でほとんど理解と会話を成立させている節があるので、非常に良い韻が出れば出るほど耳だけでの聞き取りに自信がなくなっていく。完璧な韻は全部同じ母音だから。
そして、ハハノシキュウは元からのスタイルもあると思うが、DOTAMAも含め二人揃ってこのアルバムは"完全に言葉が聞こえていれば文脈をみいだせるけど、一部の言葉から逆算して推測できるような単純な文脈の言葉選びがされていない"ことが多々あるため、この先いい韻が出た時、なんか粋な言い回しが出たときこそ歌詞の引用が出来ないというバグが起こる。


まあ今回私は運よくCDを手に入れることができたが、今から購入するなら基本デジタル版しか選択肢はない。少なくとも公式に利益がある購入方法はこれだけだ。
こんな誰が見てるって程でもないようなところに書くことでもないが、数人でもいい。この記事を読んだ人には皆デジタル版のアルバムを購入してほしいと思っているし、サブスクで回しまくってほしいとも思っている。
そんな今からこのアルバムを聞くリスナーのためにも歌詞はどこかに出してほしい。
誰がどうやって歌詞情報をつけているのかは知らないけれど、サブスクやデジタル版の歌詞機能に歌詞が載っててくれたら嬉しい。

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