東京府牛込區物語
日常生活の中で、よく通る場所やよく訪れる場所って誰にでもありますよね。K林製薬のCMみたいな出だしになってしまいましたが、私は平均すると1週間に1回くらいのペースで行くエリアがあります。それが牛込柳町。
ここ十数年、通るたびに気になっていた「柳湯」という古い銭湯があったんですが2022年にリニューアルされたようで、もう興味を失ってしまいました。古さが良かったのに。
写真を撮りに行けなかったのは、「用事がある」という場所柄、荷物が多いとか約束の時間が迫っているとか、すごく疲れている、夜遅い、暑いの雨だのと天気が悪かったり、バスがすぐ来ちゃうなどの理由。
そして最近なぜか、壬生浪士や新選組を題材にした作品に触れることが多いのですが、当然のことながら「江戸の試衛館」も舞台として登場します。
試衛館が「牛込」にあったことは知っていながら、牛込と一口に言っても昔の「牛込区」は山吹町、早稲田鶴巻町、戸山、赤城、弁天町、榎木町、市ヶ谷、小川町、神楽坂、揚場町……と広範囲なので、ま、いいか、と以前は思ってました。でも、牛込には薄く細いながらも縁があったんです。
かつて早稲田鶴巻町には、ウチノヒトの母(きくこ)の父(たけさぶろう・おじいちゃん)が伊勢丹の二代目社長から任されていた絹綿工場兼自宅がありました。
昭和10年、「きくこ」と結婚するウチノヒトの父「加吉(かきち)」がその工場を継いで、国民生活の戦時統制が強まる中、ウチノヒトが誕生します。それから第二次世界大戦が激しくなり、家族は疎開するも工場一帯は空襲に見舞われ、焼失してしまいました。
今は地番もなくなり、マンションが建っています。ここもバスでよく通過する場所、ウチノヒト(生前)ともに見に行きました。
という感じで牛込の試衛館も訪れてみたいかな、と思ったら、なんと前述の銭湯「柳湯」の裏に跡地が保存されていたという。。。
馴染みがありすぎる界隈だったので、おでかけ感はほぼ皆無でした。おわり。