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14.ぐんじょういろ →

 小学校で使う水彩絵の具セットの中に、謎の色名が2つあった。件の「ぐんじょういろ」と、「ビリジアン」である。これまで見たことがない名前に若干おののき、絵の具の箱を開けるたびにこの濃紺と濃い緑の使いどころに頭を悩ませていた。

 当時、図工は悲惨なものだった。写生の時間、風景や建物を見たまま描いても「こんな色じゃなかったでしょ」などと言いがかりをつけられ、減点となる。このとき描いたのは、自宅の隣にあって毎朝毎晩 挨拶している大好きな神社なのだ。間違えるはずがない。わかりもしないで、何をか言わんや。
 毎度、教諭の指示通りにできないのは相性が合わないことが大きかったかもしれない。どうせ、何を描いてもダメ出しされると思っているからやる気が起きなかった。
 現実逃避で、気になる「ぐんじょういろ」と「ビリジアン」の使い途を考えながらも画用紙は最後まで白く、頭の中も真っ白。粘土を使えば、ただ捏ねただけで終鈴が鳴るような子供だった。

 6年間で培われた負のスパイラルを、コイルのように幾重にも巻いた状態で中学校へ上がると、今度は図工が美術という名前に変わっただけのものがあってユウウツでしかなかった。
(↓そのあたりのエピソードはこちらへ)

 ところが、美術教諭の教え方や考え方が(文部省教育としては)ちょっと変わっていたおかげで、だんだんと嫌悪感は薄れていった。
 そんなあるとき、「自由課題」がもたらされる。規定のサイズ内、郵便で送れる程度の厚みで平面に収まっていればどんなものを描いてきても構わない、というものだ。素材も自由、テーマも自由。これなら気が楽だ。

 相変わらず、構想に何年かかるのかと言われそうなスロースターターだったが、その頃、戸川純にしびれていたのでアルバムを聴きながら考えた。 
 あ、「蛹化の女」をビジュアル化しよう! ひらめくと同時に、わら半紙に鉛筆で下書きを始めた。いいぞ、いいぞ。筆が滑るようだ。

 良い感じの下書きができたが、本番の用紙に同じものが描けない。また考え込んだ末、下書きのわら半紙をちぎって貼ることにした。絵を描いている間ずっと戸川純のレコードを回していたが、ここまで没頭し、楽しい気分で美術に向き合えたのは初めてだった。そして無事提出。

 すっかり絵のことなど忘れていた頃、廊下で部活の後輩に呼び止められた。
 「先輩の絵、貼り出されてますよ」
 「げ、まじで」
 「すごいキレイ!」
 「……(///恥)」

 掲示板を見に行くと、たしかに見覚えのある絵が貼られていた。

中学時代に高評価された自由課題の絵を、1989年早春刊行の拙著「移りゆく──。」にて流用

 この評価を機に小学校でのトラウマは見事に粉砕し、「”どうせ”の”なんか”」も克服した。人間、褒められれば伸びるものだ。

 恥ずかしいと思うのも自分だけの主観で、気のせいなのだ。自分の描いた絵はヘタクソに見えるかもしれないが、他の誰かの目には「面白い」「うまい」と映ることがある。
 誰かが「なにそれ」「ヘンなの」などと言ったとしても、言っているヒトの主観である。
 大事なのは制作したものが誰かにとって迷惑になるか、命に関わるのか、誰かが損害を被るのか、それによって傷つくヒトがいるのかどうか。
 もしそうであれば問題なのだが、そうじゃなければ外野のヤジは気にしないで、臆することなく自分の好きなものを思ったように自由に描いて(書いて、撮って、作って)いい、と考えるようになった。

 じゃ、次!「ろ」


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