9.ランプ →
ランプと聞いてまず思い出すのが、道路交通情報で聞いたことのある「☓☓ランプ」。その次は、牛肉の部位が思い浮かんでしまう。たびたい。
道路のほうは、昔よくラジオのトラフィック・インフォメーションで耳にして気になっていた。斜面や傾斜路のことで、英語では「Ramp」と書くらしい。光るほうは「Lamp」。
実はこの話のために交通情報を聴く目的で、2週間ばかりFMラジオをつけていたのだが、ぜんぜん「ランプ」と言ってくれなかった。ふだんラジオを聞かないから、いじわるされたのか(被害妄想)。
なんでだろう。気圧の単位がミリバールからヘクトパスカルに変わったように、別の用語になったとか? いつものようにネットの海へ潜ると、すぐに詳細が見つかった。
ランプはインターチェンジやジャンクションの一部で、複数の道路が合流する地点の高低差を結ぶ、入口・出口にあたるところ、だと。つまり、そうした合流地点は混雑しやすいため、「☓☓ランプ、上下線とも何キロの渋滞です」とかいう感じで登場するのだな。
ちなみに正式名称は「ランプ・ウェイ」らしい。そして1995年から、首都高速では「ランプ」を「○○入口」「○○出口」と呼ぶようになったとのこと。なるほど、それでラジオで言わなかったのか。てっきり いじわるされたのかと(自意識過剰)。
ランプとは直接関係ないが、接続部分のジャンクションには本流とのつなぎ方にいくつかの種類があって、そのカタチから「クローバー型」、「トランペット型」、「Y型」、「タービン型」、「ダイヤモンド型」などの呼び名があるらしい。
照明「Lamp」と言えば、アルコールランプが身近なものだろうか。他にはパイロットランプと魔神……?
「ライト」のほうが一般的かもしれないが、私は照明ならなんでも「ランプ」と言ってしまう。ゲーム機すべてを「ファミコン」と、ひとくくりにするお年寄りのごとし。
そうなってしまうことに何が影響しているのか少し考えてみたが、とんと心当たりがない。音の響きがかわいいとは思っている。らんぷ。
ランプとライト、どちらも英語なのだが、どうも使い分けの理由が釈然としなくて「?」だらけになってしまった。誰か、おせーて!
【ランプとライトのちがい?】
・照らすものはライト/知らせるものがランプ(?)
・ライトは持ち運べる/ランプは固定式(?)
・ライトは機能的/ランプは照明器具に装飾ありき(?)
照明は直接よりも間接のほうが私は気がラクだ。曇天の下のように目もラクである。別段、後ろめたいことはないのだが、煌々とした明るい場所はなんだか居心地が悪く感じる。空間全体が薄暗く、手元のメニューが見える程度の明かりが好ましい。……というのは、バーやカフェなどを想定して述べている。
2010年頃の話。都内某ターミナル駅から徒歩4〜5分で飲み屋ばかりが入居する、とても古い雑居ビルの一区画に居抜き物件があった。そのテナントを借りて料飲店を営んでいたことがある。許可申請は行政書士に依頼。造作のカウンター付きだったので、業態はバーにした。10坪ほどの小さい店である。
飲食店も業態によっては「風俗営業法」の管轄になる。「風営法」と聞くとセックス産業を思い浮かべるかもしれないが、そっちは「性風俗営業法」で、「映像送信型 性風俗特殊営業」と「無店舗型 性風俗特殊営業」がある。
飲食店や料飲店を管轄する風営法は、業態ごとに1号〜5号の種類に分けられ、居酒屋やカフェ、レストランなどの一般飲食店は保健所の手続きのみだが、営業時間が夜中の0時を超える場合は「深夜酒類提供飲食店営業」として警察署への届出が要る。
また、接客(接待)をする店(たとえばクラブ、キャバクラ、スナック、ホストクラブ、ラウンジなど)なら「1号」の許可が必要だ。
私の店は「2号」に該当するものだった。「照明が暗く、接待行為のない飲食店」で、仄暗いバーや、カップル喫茶などがこれ。
1〜5号、それぞれ微妙に異なる営業的要件や制約、床面積や店のつくりといった構造的要件がある中、照明の話にだけ触れると、2号の場合は「営業所内(店内)の照度が10ルクス以下にならないように」という規定がある。
調光器は付けても良いが、いちばん暗くしたときに10ルクス以下になるのは2号として違反になるのである。とは言え、照度計を持った当局にいきなり踏み込まれたりはしないので、ほどほどにやっていた。
酔っ払いは嫌いではないし、暗い中でアルコール関係の仕事をするのは気がラクだった。
オフィスや学校は仕方ないが、蛍光灯の昼白色や昼光色が苦手だ。会社員時代はあまりに長い時間、あの青白い光にあたっていたことで心が不安定になってしまった。
色温度が低い(温かな色)ならリラックス効果がある。そのため自宅の照明はすべて電球色にしている。
今の家に引っ越ししてきてすぐのこと。既存の照明器具は外して、気に入ったデザインのものに付け替え、電球色のLEDにした。蛍光灯しか使えない器具も電球色の管球に取り替えたのだが、台所もそうしたのは失敗だった。電球色では、まな板の上がぼやけてしまうのだ。これは手元が危ない。
リラックスする必要がない仕事場で、青白い照明を使う意味がわかった。適材適所。
そういえば、照明器具の写真もよく撮ってしまう。インテリアも街灯も、好きなタイプは撮って何度も眺めたい。
イマソラや動物と違って被写体が動かないので、時間をかけて撮ることができる。日中の散歩途中で見かけ、佇まいが良かったりするとさらに欲が出て、暗闇で点灯している姿にもお目にかかりたくなる。近所なら灯りが点く夕方頃にもう一度出直そうか、と考えるが少し遠方となるとちょっと面倒だ。行けたとしても万が一 電球が切れていたら……。そんな懸念は昭和脳だからか。いまどきはLEDで心配ないだろう。
結局、帰宅したあとは雑用やら、あれこれこなしているうちにすっかり忘れてしまうのがオチなのだ。基本的に出不精なのである。
盆踊りの時期、会場となる神社境内には、櫓から中空へ渡されたスポンサーの名入り提灯がずらっと張り巡らされていた。
提灯もランプの一種と言えるかどうかはさておき、小学校時代の夏休みには「提灯行列」なるイベントもあった。どこの主催だったか不明だが、宵の口、保護者とともに集合場所へ行くと豆電球の入った小さな提灯型のランプを一人ずつに手渡され、近所をぞろぞろと練り歩く。毎年、同じスローガンが印刷された うちわも一緒に配られた。
そのときのスローガンを思い出そうとして頭痛がしてきたが、「暗いと不平を言うよりも、進んで明かりをつけましょう」しか出てこない。高度成長期に大手家電メーカーのCMでやっていそうなイメージだが、カトリック教会の布教「心のともしび」で放送されていたものらしい。
あ、「社会を明るくする運動」だ! これは犯罪や非行をなくすために法務省が主唱して1951年から始まり、期間中(7月)は講演会・コンサート・作文コンテスト・映画会・弁論大会・スポーツ大会・街頭パレードなどのイベントが行われている、とある。
全国的なので、「その提灯行列あった」とか「作文書けって言われた」など思い出のある人もいるのでは? 小学1年生から6年生まで参加していたと思うが、町内は、今で言う「かわいいの渋滞」だっただろう。
私は学校関係のイベントがことごとく嫌いで、常にイヤイヤ参加していたものだが夏の夜の時間は特別だった。この提灯行列だけは嬉々として下駄を履いて出かけ、そぞろ歩いた覚えがある。
やっぱり薄暗い場所は居心地が良い、というのは不良か犯罪者の素質があるということか。
じゃ、次!「ぷ」