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20.霊感
本来であれば目に見えないものが視えるとか金縛りや心霊写真は、霊感モノとしてよく語られているのではないだろうか。
視える話はこれまでにも書いてきたような気がするので、別の体験談をひとつ。この話を文字にするのは初めてである。
たしか高校二年か三年の頃だった。午後の授業中に抗うことができないくらいの強烈な眠気に襲われ、いつの間にか机に突っ伏して眠ってしまった。
気がつくと、ごうごうと風の音がする。目を開けてみると教室の中には強風が吹き荒れ、教室全体に緑色がかった霧のようなものが立ち込めている。風は教壇か黒板が吹き出し口のようで、机につかまっていないと吹き飛ばされるくらいの風速だ。寝耳に水ならぬ、寝起きに風である。
最近では超大型の台風の接近によってグラウンドに設置されている照明の鉄柱が捻じ曲げられたりしているが、それに匹敵するような勢いだった。
飛ばされないように机の天板の向こう側をつかんで手指にぐっと力を入れた。その途端、眼の前に自分の後頭部と肩を見る。
「えっ!? なにこれ???」
夢の中ではそれが夢だと認識しづらいものだが、なおも吹きすさぶ強風で息ができない、風が目に刺さって開けられない、そして寒い。ここまでリアルな体感をもたらしておいて、夢ということはないだろう。
冷えきってかじかむ手を机から離してしまったら、今、目が覚めたばかりの感覚のある何か(魂?)と自分の肉体が別々になってしまうのでは、という恐怖で机を握る手に、汗も握る。
ふだんの自分であれば、後先考えない好奇心から「こりゃオモシロイ! ちょっとやってみようか」ということになりがちなのだが、さすがにこのときばかりは余裕なく、変な汗をべったりかいて全身ひんやりさせながら「やばい、怖い。やばい、怖い」と焦り、がたがたと震えた。
とにかく早く戻らないと! 向かい風と轟音の中、五感だけが働いている何か(魂?)は机に突っ伏している背中に再び重なろうと、さらに手指にぐっと力を込めて前に倒れた。
時間の感覚がまるきりわからないが、授業が終わってしばらくした頃だろうか、席の近い友だちが声をかけてきた。
「だいじょーぶ? すごい汗だよ?」
「……ありがとぉ。ダイジョブそう。さっき、すごい風吹いてなかった?」
「え、風? いや、ぜんぜんだけどw」
たぶん、そんなやり取りをしたと思う。帰るときには少し落ち着いてきたので、さっき声をかけてくれた友だちに一部始終を聞いてもらった。それこそ、「な、なに言ってるのかわからねぇと思うが、あ…ありのまま、今、起こったことを話すぜ」だったが、以前から「霊感持ち」だと思われているのが幸いしたのか、1970年代にあったオカルトブームのおかげか、いずれにしても話が早くて助かる。面白がって聞いてくれたので恐怖心も薄れた。
年齢を重ねるにつれ、こういったことはだんだん少なくなってきたが、今は光や影の動き、音、匂い/臭い、眠くなるなどで何かを感じることはある。
初めて「何か」を視たのは、オカルトのオの字も知らない幼稚園児の頃である。自分としてはナチュラルに視えているため、「あ、(死んだ)おじいちゃんが炊飯器の湯気を食べてる!」と言って、おばあちゃん(生きてる)の誕生日か何かで集まっている親戚を驚かせた。
にわかには信じられないといった顔で動揺した大人たちから「じゃ、じゃあ絵に描いて見せて」と、引きつったような笑顔で言われ、丸襟のワイシャツにヒゲをたくわえたイケオジを画用紙に描いてみせた。
「うわぁ、似てる!」
「おじいちゃんの写真なんか見たこともないのにねぇ」
「こんな服、着てたねぇ。おじいちゃんハイカラだったから」
似顔絵を描く前の「視える」発言より、いっそう驚愕され、それ以来「霊感少女」と呼ばれるようになってしまう。霊感商法はやっていない。
ただ、視えたり感じたりしたことはできるだけその場で忘れるようにしていて、わかっていてもわかっていないフリもする。というのは、関係ない個体とは交信しないようにするためだ。不特定多数を狙った「誰でもいいから」みたいな個体に頼られると消耗するのである。それでも食い下がってくる個体にはきっぱりオコトワリする。
しかし自分とは無関係ながら、今でも忘れられない事例が一つある。中学生の頃の話だ。
秋の初め、門前仲町に住む親戚のところへ母親と行った帰り、19時を回っていたと思う。いつもは門前仲町駅を使うのだが、その日はなぜか月島駅から地下鉄に乗りたくなった。親戚の家は両駅の中間にあり、どちらもほぼ同じ距離だ。当時の月島駅あたりは、門前仲町駅周辺の賑やかさに比べると、うらさみしい感じだった。
隅田川にかかる相生橋を渡っている途中、ふと右手(河口側)に目をやると、川岸に座って川面に足を下ろし、ぶらぶらさせているような白いワンピース姿の女性がいた。街灯の光で青白く映る。
「あれ? 暗いのに川んとこに座ってる女の人がいるよ」
「えぇ? わたしには見えないけど」
「ほら、白っぽいワンピースだかスカートで足ぶらぶらしてる」
「ぜんぜん見えないけどねぇ。一人なのかしら。落ちたら危ないわねぇ」
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それだけの会話をして帰宅。その件はしばらく忘れていたが数日後、母親が朝刊を読んでいて変な声を上げた。
「ひゃえっ!?」
「どーしたの」
「隅田川で身元不明の遺体ですって! こないだのひとじゃないの?」
私たちが夜に見たのは当該遺体なのか。そのときは生きていたのか。それとも、すでに亡くなっていたのに視えていたのか。真相は”川”の中。
「ん」で終わり!