『母を亡くして』…存在が消えるまで
死とは、存在を消していくことだと改めて実感した。
お棺に入れられた母が、焼却炉から出てきた。
身長155㎝だった母は晩年「5㎝も縮んだの」と言っていたから、
150㎝はあったはずの身体は、さらに小さくなっていた。
驚いたことに両足首からつま先までがまったく残っていなかった。
よく、患部の骨はもろくなっているから残らないと聞くことがあったが、
死因と足は関係なかったし、
背筋もピンと張って姿勢も良く、膝も曲がっていなかった。
杖とは無縁の人だったから、足がないことはとても意外だった。
「空を飛んで宇宙に帰るのに、歩く必要ないからかなぁ」
本当にそう思えた。
* * *
葬儀の前後の時間は、さまざまな手続きに追われた。
手始めに母の長財布に入っていたクレジットカードを解約。
自動音声に従ってスマホのボタンを何回も押し、
最後の最後に出てくる「オペレーターに繋ぐ」までが本当に長い。
事情を伝えてカード情報と照合すると、担当が女性から男性に変わった。
分割払いによる20万円ほどの未返済額があったからだ。
男性の説明によると、「相続拒否」ができるとのこと。
法律はよくわからないので、法テラスに電話するが、
無料相談には条件があり、父も私も条件を満たさなかった。
法律事務所に連絡したら「10万円で引き受けるが確約はできない」という。
「ここで10万円使うなら返済に回そう」と父と弟。
私も賛成し後日、入金して解約完了。
以降、ほかのカードも未返済額があれば払い込み完了していく。
こんなことを何枚分、やっただろう。
* * *
難関は銀行の積立預金。
口座のある三菱UFJ銀行某支店に電話する。
専門部署に電話が転送され、慣れた感じの女性が応対してくれた。
必要書類は郵送でも良いといわれたが、来店して一気に終えようと思い、
会社を半日休んで支店を訪れたのだが、甘かった。
母の出生から死亡まで、すべての戸籍謄本を揃える必要があり、
結局、支店に3回も足を運ぶことになった。
母の戸籍は千代田区と茅ケ崎市の2か所、
そのあいだに世田谷区時代があるのだが、茅ケ崎でそちらも入手できた。
(ぜひ「茅ケ崎へ」もお読みください)
父は私の労をねぎらって
「残高はわからないけど、面倒ならやらなくていい」と
と言ってくれたが、私はそんな中途半端が嫌だった。
母の生涯が終わったのだから、銀行口座もちゃんと閉じてあげたい。
もしお金が残っていたなら、
それは母の労働対価や年金、つまり母の人生の一部だから、
たとえ1円でも放棄したくなかった。
ようやく書類がそろい手続きが完了、1週間ほどで私の口座に振込まれた。
入金額は100万円にも満たなかった。
ちなみにみずほ銀行では、直近の謄本だけで済んだ。
拍子抜けしたので行員に尋ねると…ボーダーラインは300万円!
なんという違いだ。
* * *
その後もポイントカードなど解約を進めたが、
意外に手間取ったのは交通系。
JRのSUICAはカードが古すぎて磁気が読み込めず、
再発行→払い戻しを数日かけて行ない、
PASMOはオートチャージがついていたので
クレジット機能の差し止めとデポジットの清算が必要。
「残高があると手数料を引かれるので使い切って再訪してはどうですか」と
窓口の職員にアドバイスされ、残高ゼロにするのに苦労した。
* * *
遺品整理は私1人に任された。
服は着用シーンを思い出せれば家に残し、思い出がなければ捨てる。
そんなことを1枚ずつ行ない、不要分はリサイクルショップに持ち込んだ。
45リットルのごみ袋6袋あった服の査定額は199円。
私は仕分けの労力に見合わないと嘆いたが、
「それでもプラスにはなった」と父。
細かいことを言えば、店までの往復ガソリン代と相殺だと思うが、
父の意外なポジティブ思考をカッコいいと思えた。
* * *
「だらだらしていてはいつまで経っても終わらない、初動が肝心」と、
私は忌引き休みで実家にいるあいだ、精力的に遺品整理を行った。
父は、そんな私の姿を眺めているばかりだったが、
唯一、誰にも言わず早々に手を付けた場所があった。
それが、食器棚のなかの母の茶碗だった。
飯椀と汁椀を重ねて、父と母のものを隣同士に並べてしまっていた。
葬儀後のにわか3人生活中も変わらずあったように思ったが、
気づくと一人分のスペースが空いていた。
悲しみのあまり、父は捨てたのか……?
確認のため食器棚の別のところに目をやると、
客用食器に混じって置いてあった。
さすがに捨てることはできなかったのだろう。
1年半経ったいまも、母のお椀は残っている。
(了)