ワスレバナ~wasurebana First story~中編
静かだ。
月明かりがぼんやり辺りを照らすだけで、少し先は何も見えない暗闇だ。
育った土地で、こんなに心細い時間を過ごすことになるとは。すぐ近くに実家だってあるのに、帰れないことが急にどうしようもなくさみしく感じる。
・・・あれだけ疎遠だったのに、だ。
そしてまた、遠い昔のことを思い出す。
弟と毎日のようにこの山に登り、虫を捕ったり秘密基地を作って遊んだこと、母親と色んな植物を調べて歩いたこと・・・
母が見た花は、この山で咲いていたのだろうか。
「ん?なんだあれは・・・?」
自分が座っている少し前方に、ぼんやりと光を放つものがある。いや、放つとは間違った表現か、月明かりで照らされている、のだろうか・・・不思議と一部だけやけに明るく見える。
私は懐中電灯を点けるのも忘れ、その不思議な光に四つん這いで近づいていった。するとそこには一輪の花が咲いていた。
見たことのない花だった。
私はもっとよくみたくて懐中電灯を点けようとしたが何故か点かない。持ってくる前に電池は点検した筈なのに。
仕方がないので写真に収めようと暗闇の中、荷物からカメラを取り出し花を撮った。フラッシュが暗闇を瞬間的に数回照らす。
薄明りの中で見える範囲に同じ花は咲いていない。
「日が昇ったら探してみよう」
何もすることもない、ただ夜が明けるのを待つだけの私は、目の前に現れた研究対象に夢中になった。
他に咲いているものがあるかわからない今の時点では、この花を採取することはできないので、まずよく観察しようと顔を近づけ香りを嗅ぐ。
これまでに嗅いだことのあるその香りは、私を落ち着かせてくれた。
他に目立った特徴のないこの花を、どうして今まで一度も見たことがないのだろう。暗いせいでよくわからないだけだろうか?
「あなたなら、きっとその花の名前がわかるのでしょうね」
私の頭の中で、もしかしたらこの花が母の言っていたものかもしれない・・・という思いが反芻して離れなかった。
微かな月あかりの中、観察メモを取りつつそのことばかり考えていた私は集中できずいたせいか疲れて切っていたせいか、自分の意思とは関係なく瞼を閉じる時間が長くなっていた。
「お兄ちゃんは運ばっかりに頼る」
―母さん、そんなことないよ、ちゃんと理由あってのことだから。
「そうね、お兄ちゃんは偉い学者さんになるんだもんね」
―学者って大げさだな、僕は研究者になりたいんだよ。
「お兄ちゃんなら、きっとなれる、お母さんは信じてるからね」
―うん・・・
ハっと意識が戻る。
あの会話は昔、母さんと交わした懐かしい記憶、、いや、同じ会話だけれどその会話を今、再現したような・・・どうしたんだ、私は。
まだ寝ぼけているのか、今しがた見た夢の感覚があまりにリアルで、夢に思えない。今、その場でしていたかのような・・・何を言っているんだ私は。
顔を左右に数回振り、瞬きを大きく繰り返し目を覚ませる。そしてあの名もなき花に目をやる。花は変わらずぼやっとした不思議な光に包まれ、存在感を出して咲いている。
私はまた魅入られるようにその花を眺めながら、先ほどの夢の余韻に浸り夜明けを迎えた。
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