wasurebana
ある山に、毎年同じ場所に決まった時期、咲く花があるという。
駅前の大通りに面する花やはいつも賑わっている。
すぐ側に、この街で一番大きな病院があるからだ。
私も以前はよく利用していたが、今は買う気になれない
――その店では。
他に店は・・・
少し横の路地に入って歩いてみた。
すると小さなお店が目に留まった。
『HANA』という小さな看板が入り口のドアの上に掛かっており
店先に花は何も出ていないが、ドアのガラス越しから中をのぞくと
店内には花が置いてあるのが見えた。
私はそのままドアを開け、店に入ってみると
店主らしき女性が「いらっしゃいませ」と私に微笑む。
店内には、アンティーク調のテーブルやイスが置かれていて
その上や間に花が置かれている。
それ程、花の種類があるわけでもなく
店の雰囲気は、自分が知っている花屋という感じではない。
店名の『HANA』というのは花、ではなく
この店主の名前が由来なのかもしれない・・・
私は一応、「すみません、ここは花屋ですか」と確認した。
すると店主は「はい、そうです。どのようなお花をお探しですか?」
とたずねてきた。
「あ・・・」
私は言葉が詰まった。
別に何気ない、通常のやり取りだ。
花の種類を含め、どういった用途で使う花なのか
店側がたずねるのも通常の接客の流れのひとつで、なんの問題もない。
ただ、今の私には花を買う理由を答えることができなかった。
過剰に反応してしまった自分に動揺し、
更に何も言えなくなってしまい、俯いた。
確かに私は花を買おうとこの店に入った。
だけど、買ったとしてそれを持って私は行けるのだろうか。
私が最近まで大通りの花屋をよく利用していたのは、
母があの側の病院に入院していたからだ。
その母が半年前に亡くなって以来、今日初めて一人で墓参りに行く。
花が好きだった母に、なんでもいい、
供える花を買おうとしたのが、今。
だけど花を買う理由が、今までとは違うことに改めて気づかされ
言葉が出なくなってしまったのだ。
そんな私に、店主がこんな話をし始めた。
「・・・ある山に、毎年同じ場所に決まった時期にしか咲かない花があるのをご存知ですか?
その花の名前は誰も知らないのですが、いつからか"忘れ花"と呼ばれるようになったそうです。」
「・・・忘れ花?」
私は顔を上げ、店主を見た。
「はい、その忘れ花は誰でも見つけられるわけではないんです。でも見つけることができた人は
不思議な体験をすることができるそうです」
「不思議な・・・それは一体・・・」
突然、幻の花の都市伝説のような話が始まったにも関わらず
私は何故かその話にとても興味が湧いた。
店主は続けて話をしてくれた。
「そう、その不思議なことというのは、その花の側で眠ると
会いたい人に会うことができるそうです」
「それは夢を見る、ということですか?」
「それが夢とは思えないそうです。本当にそこにいるかのように会話ができるそうです。」
夢でもいい、会いたい。
あの時、話せなかったことを話したい。
残された者は亡くなった人を想う時、誰しもがそう願う。
「素敵な話ですね・・・」
店主が「本当にそうですね」と優しく微笑み頷いた。
先ほど私のせいで微妙になった店内の空気がフっと和んだ気がした。
そうしたらふと、疑問が浮かんだ。
「でも、どうして"忘れ花"というのですか?話を聞くとなんとなく名前が合わない気が」
店主が「ですよね、私もそう思います」と
それ以上は語らず微笑んだ。
それ以上は店主も知らないことなのだろう。
私もそれ以上何も聞かず、再び店内を見渡した。
すると、店主がレジの後ろの棚から何かを取り出し、
「良かったら、こちらプレゼントいたします」
そう言って、私に小さな布袋を手渡した。
「これは・・・?」
「"忘れ花"の香り成分を綿にしみこませたものが中に入っています」
「え?その花の?」
驚いた。
興味を持って話を聞いていたとはいえ、作り話だと思っていたから。
「花は、持って帰ろうと摘むと一瞬にして枯れてしまうそうです。
その場で香りだけでも保存しようと試みて、わずかですが
持ち帰えることができたもので作ったものだそうです。
不思議なことに、ほんの少しでもとても良い香りがするんですよ」
「そんな貴重なものを、私に?」
「こちらに来店して頂いて、このお話をしたのも何かの縁。
それにお客様に選んで頂くお花があまりないので・・・」
そう言って店主は肩をすくめた。
「ありがとうございます・・・」
受け取った香り袋をまざまざと見つめながら、お礼を言った。
そして私は、店にある季節の花で小さな花束を作ってもらった。
「ありがとうございました。
お客様、そちらの香り袋はどうぞお休みの際、枕元に置いてみてください」
そう言った店主から花束を受け取り、お礼を言って店を出た。
店に足を踏み入れた時より不思議と歩みが軽くなっていた。
その足で母の墓前へと向かい、花束を供えて帰路に着いた。
その日の夜、花屋の店主が言ったことを思い出し、
鞄からあの小袋を取り出した。
顔を近づけてみると、ラベンダーに似た香りが優しく鼻に届いた。
「なるほど、安眠に良さそう・・・」
きっと私が言葉に詰まったり顔や態度で大体の察しがついたのだろう。
「それで、あんな話まで・・・」
やはり作り話だ、そう思っても嫌な気はひとつもしなかった。
ベッドに入り、枕の下に香り袋を置き、その日はここ最近ではなかった
心地の良い眠りに就いた。
そして、夢を見た。
そこにはあの花束を持って笑顔でたたずむ母の顔があった。
翌朝、枕の下の香り袋を手に取って香ってみた。
すると不思議なことに、昨晩まで豊かに香っていた香りが一切しなくなっていた。
「不思議・・・」
少しはあの話も信じていいかも、そう思った。
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