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短編小説『若い子がいいんだ』

まえがき

「若い子がいいんだ」という言葉を耳にするたびに、心のどこかがざわつく。人間の若さへの憧れ、執着、そしてそこに隠れた儚さを描きたいと思った。この短編は、そんなテーマを通して、一人の男の葛藤と結末を紡いだ物語である。


「若い子がいいんだ」

繁華街のネオンが煌めく夜、真一はバーのカウンターでグラスを傾けていた。背筋の伸びた初老の男性だが、彼の目はどこか寂しげだった。グラスの中で揺れる琥珀色の液体に目を落としながら、彼はぼんやりと昔の記憶を辿っていた。

「あの子、どうしてるかな……」

ふと漏らした独り言に、隣で飲んでいた若いバーテンダーが聞き耳を立てた。「あの子」とは誰なのか。年配の常連客から語られる話には、いつもどこかに「若さ」への渇望が滲んでいた。

真一は昔、ある会社の部長だった。仕事一筋で築き上げたキャリア。しかし、その代償として家庭を持つ時間も余裕もなかった。やがて部下たちが若い世代に入れ替わり、自分が「年寄り」と呼ばれる側になった頃から、彼は妙に若い女性に目を引かれるようになった。

ある日、会社の部下が連れてきた新人、沙織という女性に出会った。彼女は20代前半で、笑顔が明るく、どこか儚げな雰囲気を持っていた。真一は気がつけば彼女のことばかり考えるようになり、気軽に声をかけるようになった。

「若い子はいいなぁ。元気がもらえるよ」

そう言って、沙織をランチや飲み会に誘った。彼女は最初こそ戸惑っていたものの、真一の優しい態度に少しずつ心を開いていった。彼女の笑顔を見るたびに、真一は若返ったような気がした。

しかし、その関係はやがて変質していく。ある夜、真一は勇気を振り絞って沙織に告白した。

「沙織さん、僕は君のことが好きだ」

沙織は一瞬、目を丸くした後、微笑んだ。しかしその笑顔にはどこか悲しみが漂っていた。

「真一さん、ありがとうございます。でも……私はそういう気持ちでは……」

その一言で、真一の世界は崩れ落ちた。自分がただの中年男であり、彼女にとっては親戚のおじさんのような存在でしかないことを痛感した。

それ以来、真一は沙織と距離を置くようになった。彼女はそれを気にせず、他の社員と仲良くしていた。そして数年後、彼女が会社を辞めると聞いた時、真一は心にぽっかりと穴が空いたような気分になった。


それから数年。沙織のことを思い出す夜が増えた。彼女が若さそのものを象徴しているように思えたからだ。そして、自分の「若い子がいいんだ」という浅はかな思いが、実際には孤独と未熟さから来ていたことに気づくのに時間はかからなかった。

「若い子がいいんだ……でも、それだけじゃ何も変わらないんだよな」

真一は、ふと隣の若いバーテンダーに笑いかけた。

「お兄さん、人生ってのは面白いもんだよ。若さを追い求めても、結局たどり着くのは自分自身だ」

バーテンダーは何のことかわからずに頷いたが、その言葉が妙に心に残った。真一は静かにグラスを置き、バーを後にした。夜風が彼の白髪を揺らし、彼の姿はネオンの中に消えていった。


−完−


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