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村上春樹『ノルウェイの森』:少年が初めて触れた、大人の世界の入り口
村上春樹の『ノルウェイの森』を読んだとき、何とも言えない感覚に包まれました。本を閉じた後も、胸の奥がじんわりと熱くなって、何か大切なものを見つけたような、でもそれが何なのかはまだはっきり言葉にできないような、そんな不思議な気持ちです。この物語は、私にとって「大人の世界」への入り口でした。愛と喪失、生と死、希望と絶望が、まるで空気のようにそこに存在しているのを感じました。
ワタナベという存在
ワタナベは、私にとって「誰もが持つ普通さ」の象徴のように思えました。彼は特別に何かができるわけでもなく、どちらかといえば感情を表に出さない、静かで控えめな青年。でも、その普通さが、この物語にとって大事な視点だったんじゃないかと思います。彼の目を通して描かれる東京の景色や大学生活は、どこか現実的で、でも同時に少し遠い夢の中のようでした。
ワタナベが直子や緑と出会い、それぞれに違った形で惹かれていく様子は、読んでいて胸が締め付けられるようでした。彼が直子に抱く繊細で儚い思いと、緑に対する現実的で温かい思い、その間で揺れ動く彼の心情が、僕にとってはとてもリアルに感じられました。
直子という存在の重み
直子は、ワタナベだけでなく、この物語全体を覆う「儚さ」そのものだと思います。彼女の言葉や行動、そして彼女が抱える心の痛みは、読んでいる私にとっても重たくて、それでいて愛おしいものでした。
特に彼女が療養所で見せる少しの笑顔や、ワタナベと過ごす静かな時間が、後の出来事を知った後にはとても切なく感じました。直子がワタナベに「愛している」と言ったとき、それがどれだけ彼女にとって大きなことだったのか、その重さが後になって私にもわかりました。
緑という希望
緑は、直子とは対照的な存在でした。明るく、元気で、でもどこか影のある緑のキャラクターには、私もつい心を寄せてしまいました。彼女がワタナベに向ける真っ直ぐな気持ちは、直子との関係に悩むワタナベにとって「救い」だったんじゃないかと思います。
特に、緑が笑いながらもどこか寂しそうにしているシーンが印象的で、彼女もまた自分の痛みを抱えながらも、誰かを支えようとしている姿が心に響きました。
舞台となる時代と場所の魅力
この物語の舞台となる1960年代後半の東京という時代背景も、私にとっては新鮮でした。大学紛争や学生たちの自由な生き方が描かれる一方で、ワタナベたちの心はどこか孤独で、不安定です。
村上春樹さんの文章は、とてもシンプルで、それでいて時々ふっと風景が目の前に浮かぶような描写があって、特に大学のキャンパスや小さな喫茶店、夜の街並みが鮮明に感じられました。
生と死の対比
この物語を読んでいて一番感じたのは、「生きること」と「死ぬこと」が常に隣り合わせにあるということでした。直子が消えてしまったこと、キズキの存在、そしてワタナベがそれをどう受け止めていくか。私自身、これまで深く考えたことのないテーマが、物語の中で大きな問いとなって迫ってきました。
純粋な読後感
私にとって『ノルウェイの森』は、ただの恋愛小説ではありませんでした。これは、どうやって自分自身を見つけていくか、そしてどうやって他人との関係を築いていくかを教えてくれる物語だと思います。
直子の悲しみ、緑の希望、そしてワタナベの揺れる心。これらの全てが絡み合って、私の心の中に何かを残しました。それが何なのか、まだ全部はわからないけれど、この物語を読んだ後、少しだけ「大人の世界」を覗けたような気がしています。
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