見出し画像

短編小説『嫌よ嫌よも好きのうち』

「あの人、またいるよ…」

奈々子はカフェの窓越しに見える一人の男性をちらりと見て、友人の真由に小声でつぶやいた。

「もしかして、また毎日来てるの?気持ち悪くない?」
真由は眉をひそめ、興味津々といった表情で窓の外を覗き込んだ。

彼の名前は知らない。ただ、いつも決まった時間に現れ、カフェの外をそわそわと歩き回る。その様子はどこか不審で、奈々子は気味が悪いと感じていた。


しかし、それが「日課」となってもう1か月が経つと、奈々子は不思議な感覚に気づき始めた。

「なんで私、あの人を気にしてるんだろう?」

彼が現れる時間になると、無意識に窓の外を見てしまう。そして彼がいないと、妙に落ち着かない気分になる。まるで、空白ができたような感覚だった。


その日も、彼は決まった時間に現れた。カフェの向かいにある公園のベンチに腰掛け、スマホをいじるふりをしている。奈々子は気づかないふりをしながらも、ちらちらと視線を送っていた。

「ちょっと、そろそろ話しかけたら?」
真由が笑いながら肘でつつく。

「やだ、そんなの無理!」
奈々子は顔を赤くして否定した。だが、心のどこかで「そうした方がいいかもしれない」と思っている自分がいた。


次の日、奈々子は意を決してカフェを出ると、彼のほうに歩み寄った。

「あの…毎日ここに来てますよね?何か用事があるんですか?」

突然声をかけられた彼は、一瞬驚いたような表情を浮かべたが、すぐに微笑んだ。

「あ、気づいてたんですね。すみません、変に思わせて…実は、あなたにお礼を言いたくて。」

「お礼?」
奈々子は目を丸くする。

「はい。数か月前、雨の日に傘を貸してくれたのを覚えていますか?」

言われてみれば思い出した。大雨の日、ずぶ濡れになりながら歩いていた彼に、奈々子は自分の折りたたみ傘を渡したのだった。そのまま急いでバスに乗り、名前も何も聞かずに別れた。

「あなたに会えたら返そうと思ってたんですが、なかなかタイミングが合わなくて。それで…つい、ここに通ってしまいました。」
彼の顔が少し赤くなる。


奈々子は、自分が感じていた気味悪さが急に恥ずかしくなり、笑ってしまった。

「そんなことだったんですね。でも、もう返してもらわなくても大丈夫ですよ。」

「そうですか…でも、それでも何かお礼をさせてほしいんです。お礼というか、もっと…話がしたい。」
彼の声には真剣さが滲んでいた。


その日から、二人は少しずつ会話を重ねるようになった。奈々子は最初こそ「また来てる」と感じていたが、いつの間にか彼を待つ自分に気づき始めていた。

数週間後、彼が言った言葉は、奈々子の心をあたたかくした。

「僕、最初はあなたの親切に感謝してただけなんです。でも、気づいたらあなたに会うのが楽しみになってて…。嫌よ嫌よも好きのうち、って本当ですね。」

奈々子は思わず笑ってしまった。

「それ、ちょっと違うと思うけど。でも…私も。」


その日から、カフェの窓越しに見える風景は少しだけ特別なものに変わった。



−完−



いいなと思ったら応援しよう!

物語の綴り手
もしチップをいただけたなら、新たな作品に出会う費用や創作に関わる費用に使わせていただき、またここで濃い文章を書かせていただきます。よろしくお願いします🙇