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自分への懺悔

残念なことに、最近このブログが自分の中で義務的なものに変わりつつある。残念というか、かなり危機的な状況。これはヤバイ。今までは書きたいときに書きたいことを書き、書きたいことがない時には無理して言葉にする必要もなく、数ヶ月のブランクなんてお構いなしだった。しかし、最近どうしてか毎週日曜日になると「今週は何が書けるのだろう?」と必死にネタを探してしまうのだ。

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この危機的状況を冷静に考えてみると、「見られる回数が増えたから」という理由が見えてくる。前にもどこかに書いた気がするが、割と自分は毎日のように記事の閲覧数をチェックしてしまう。気にしていないと口では言っても、やはり気になってしまうこともある。「あの記事はこんだけ読まれたけど、この記事はあんまり読まれなかったのか。」とか、「これはこの日のこの時間に載せたから結構読まれたのかな?」とか、無意識に分析してしまい、心の奥底に眠っている「たくさんの人に見てもらいたい!」という野心がウズウズしてくるのだ。

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読者からの目線は分からないけれど、最近の記事は妙に無理やり感が出てしまっている。少し矛盾すると思われるかもしれないが、文章を書くのが好きな癖に、それにあまり時間をかけたくはない。だから、推敲なんて滅多にしないし、誤字脱字もチェックしない。自分の好きなように書いて、納得いったところで適当に終わらせて、最後に大好きな音楽を載せる。今まではこの単純で利己的なプロセスがうまく回っていたような気がするのだが、最近はどうも上手くいかない。

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別に見てくれる人、回数が増えたのは文章のレベルが上がったからではないことなんて自分が一番分かっているし、そんなに面白い記事が書けているつもりもない。だから、自分に期待する必要なんて全くないのだろうし、このブログを初めた頃のように、誰に見られてもいい、そして誰にも見られないであろうつもりで書くべきなのだと思う。ただ、最近は気づいたら「この記事あの人に見られたらまずいよな」とか「誰が見ているか分からないのにこんなことは書けない」とか余計なことを考えてしまう。雑念がひどい。

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見られる回数が増えたから、という理由以外にもう1つ考えられることがある。それは、日常の中で触れる言葉が増えたから。昔より本を読むようになって、ただでさえ強かった言葉への好奇心が一層深まってきている。その一方で、昔ほどの繊細な感性は持ち合わせていないため、「言葉は書きたいが、いまいち感情が込められない」という現象が生じている。感情を込めるというと大袈裟だけれど、要は嘘っぽくなってしまうということである。もちろん、創作は創作として書いているのだけれども、普段書く日記のようなものには嘘を交えたくないのだ。しかし、最近はキーボードを叩いて言葉を表現するたびに、「これほんと?」という疑問が浮かんでしまう。なんというか、外面的にも内面的にも乏しいのだ。

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あとは、型が決まってきているというのもあるのかも。決して拘っているわけでもないんだけど、このブログの文章は結構長くなることが多い。正直自分でも、もっと短く書いた方が読みやすいじゃん、とは思うのだけれども、謎の神経質をはっきしてしまって、短く書くことに何とも言えない不快さを感じてしまうのだ。(あくまでも自分の記事に対してであり、人が書いた記事に対しては思いません。)自分の中で、こういう風に書くべきだ、という無意識的な拘りが強くなっているということもあるのかもしれない。

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実は、今回こんな文章を書く前だって、3回別の内容で書き始めた。ただ、どれも自分の中で納得いかず、途中で消した。納得いかないなんてプロっぽい言い方になってしまうけど、単純に書き進めるに値するネタや感情や言葉が見当たらなかっただけなのだ。だけど、「書かないと」という謎の使命感に囚われて、こうした記事を書いているわけだ。

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1つ目の記事を書き始めたのが恐らく20時くらいであったはずなので、かれこれ1時間以上経ってしまった。あぁ、勿体ない。別にこの記事だって書きたくて書いているわけでもないのに。1時間もあれば今読んでいる本をもっと読み進められるのに。こんな惰性で書いている文章にどんな面白み、読み応えがあるのだろう。虚しくなる。

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だから、「無理して書く」という行為はこれで最後にしたい。またあの頃みたいに、誰も期待なんてしていない、誰も見ていない、興味なんてまるでないという自覚の中で、1人こそこそと満足しながら書き進められるようになるまで、しばらくブログからは離れようと思う。このしばらくがいつになるかは全く分からない。早ければ来週には書いているかもしれないし、ひょっとすると1ヶ月後、2ヶ月後、3ヶ月後、もっと先かもしれない。そんなに書かない期間が続くのは結構怖いもので、少なからず今見てくれている人に忘れられてしまうのではないかという不安もあったりする。それはとても悲しいことだし辛いことでもある。けれども、やっぱりこのブログは、無理して続けるものではないと思うし、無理して続けた結果、もう文章を書くのが好きではなくなってしまった、という結末の方が何倍も悲しいことである。

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ちなみにブログだけでなく、ラジオも決してやめるわけではございません。あくまでも少し長めの休憩という感覚です。現に書きたい文章も喋りたいネタもいくつかあるんですけどね。それを実際に起こすために必要な言葉や感性がまだ備わっていないという感じです。



このブログを見てくれている方、ラジオを聴いてくれた方、いつもありがとうございます。また暇なときにでも、過去の記事や音源などに触れてくれたら嬉しいです。





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