【徹底考察】NYO SWORDに隠された本当の意味とは
NYO SWORDとは
・2024年5月。オモコロチャンネルのオフラインイベントである「オモコロチャンネルゴールデン」にて、伝説のライブが行われた。そのライブで披露された曲というのが我らがシッコマン イン ザ パーティーによる『NYO SWORD』だ。
・シッコマン イン ザ パーティーは、尿人、MCピス、mimi-Zu、mC.SYOBESUKII、CBNの5人からなるクルーで、オモコロチャンネルの以下の動画にてその存在が示唆されており、復活が望まれていた。
・曲のジャンルは「おしっこラップ」。それぞれが思い思いの「おしっこにひっかけたラップ」を歌い上げている。
・これが公開される前と後とでは日本語ラップの歴史が決定的に変わったといわれる『NYO SWORD』。この曲が公開されてから早数か月、インターネットでは日本語ラップとしての読み取りや歌詞に対する考察が幾度となく行われてきた。そんな中で今回私は『NYO SWORD』というタイトルに着目して歌詞を読み取っていきたいと思う。
・きっかけは友人から送られてきたメッセージだ。
・「尿道」
・そう。シッコマン イン ザ パーティーにとって尿とは、剣道や柔道、華道や戦車道などと並ぶ伝統芸能の1つで、NYO SWORDとは「尿道」に身を置き、自らにとっての「尿道」を表現しているものたちによるラップだったのである。
・その証拠に尿人のバースにはこんなリリックがある。
・わかってもらえただろうか。
・ということでこれからそれぞれのMCにとっての尿道とはということ、そしてそこから見えてくるMCの人間性を読み取っていきたいと思う。
※この記事は、この世界に「尿道」という剣道や華道にならぶ芸能があり、シッコマン イン ザ パーティーの面々が自分の尿道をラップを通じて表現しているとしたら……。という仮定で書かれた記事です。事実と異なることが多分に含まれています。
尿人
・まずは尿人。風貌は眼鏡にキャップ。日本語ラップの祖であるいとうせいこう氏を彷彿とさせる見た目である。また、その見た目の通り彼はおしっこラップの祖であることから、クラシカルな尿道の体現者なのではと予想ができる。
・そして、このバース。まず尿人の尿道にとって大切なのは尿の勢いであるということがわかる。しぶき上げるほどの尿というのは並大抵のものではないため、尿人のピスキル(おしっこのスキル)も相当なものだと伺える。
・次にNYO TIME。SHOW TIMEとかかっていると思われるこのフレーズ。尿人にとっての尿とは正にSHOWであり、自分を表現する場所ということだろう。そして、SHOWをするもの。SHOWER。そう。シャワーだ。尿人は「おしっこラップ」の第一人者であると同時に「しゃわしっこ」の第一人者でもある。勢いよく水が出るシャワーに、自分の尿を重ねているのかもしれない。
・そして先程触れたバース。ここで自分が尿道に身を置いているということを宣言するとともに、「ちびる韻尿」と続け、おしっこラップが漏れ出て止まらないというおしっこラップのスキルの高さ、さらに尿道の格の違いを表現している。
・続いてのバース。例えば柔道なんかでは、海外で独自に柔道が発達しルールも変わり「JUDO」というスポーツとして広く認知されている。そして柔道とJUDOの違いが原因で論争を巻き起こすこともある。しかし、尿人にとって尿道とは自分を表現するもの。和式だろうが洋式だろうが受けて立つという懐の深さを感じさせる。
・そして、先祖代々ということから思いがけず尿人の家柄を知ることになった。尿人の家は尿道の家元だったのである。
・ここら一帯は全て自分の分家であるという、尿道としての流派の大きさをアピールしながら、注目してほしいのは次のリリックである。
・もう一歩前に。私はこれに感銘を受けた。多くの分家を抱える家元の尿人。このままクラシカルな尿道を受け継いでいけば安泰なはずなのだが、尿人はそこに収まる器ではなかったのだ。和式洋式というリリックからもわかるように、伝統というものに囚われず、尿道を広く受け入れて次の次元へと進めようとする。尿人は尿道およびおしっこラップの未来を、よく寝た次の日のおしっこよりも黄色い輝きで明るく照らしているといえるだろう。これからも活躍に注目していきたい。
MCピス
・次にMCピス。
・この歌いだしで「人間発電所」のNIPPSを思い出した。その時のNIPPSとはまた違うが、MCピスも他とは違うフローで自分の尿道を表現していた。
・MCピスにとっての尿道とは、愛と平和を象徴するものらしい。さらに言うと反戦の願いも込められている可能性がある。続いてのリリックを見てほしい。
・これは想像でしかないが、チンコに死霊が宿っているということからMCピスはかつて戦場に身を置いていたことがあるのではないだろうか。戦場は生きるか死ぬかの世界。やむにやまれず、多くの敵を手にかけて、いや、チンコにかけてきたのだ。そんな汚れてしまったチンコのことを「チンコに死霊宿る魑魅魍魎」と表現していると考えることができる。黒い目線の奥と白いパンツの中にはそんな暗い過去が隠されているのかもしれない。しかし、MCピスはシッコに魅了されたのだ。
・シッコマン イン ザ パーティーの初期メンバーは尿人とMCピスだった。懐が深くなんでも受け入れる尿人。尿人と出会い、尿道に出会ったことでピスは変わったのだ。MCピスは汚れてしまったチンコを抱え、今度は愛と平和を願うMCピスとして、おしっこラップを歌うのだ。
・とはいえ、尿道は茶道や華道などほかの芸能と比べるとマイナーと言わざるを得ない。尿人の、尿道を一歩前に進めようとする姿にも影響を受けたMCピスはシッコマン イン ザ パーティーとして尿人とともに、オロナミンCを飲んだ後のおしっこのように黄金色に光り輝く尿道の全盛を築こうとしているのだろう。
・尿道にも逃げ出したくなるような辛い瞬間があるのだろう。このリリックからは辛い過去があるからこそ、一度仲間となったら最後まで面倒を見るというMCピスの仲間思いの一面が垣間見えたような気がする。少し臭うぜ。これにはナイス尿ク(ジョーク)と言わざるを得ない。どんなときもユーモアを忘れないMCピスらしいバースになっていた。
mimi-Zu
・HOOKは最後にして、次にmimi-Zuのバースを見ていきたい。
・前のバースに被さっての歌いだし、最初に数字をいうところから「証言」を思い出させるバースだ。適当な尿をかけてくるようなものならそのチンコを腫らしてしまうぞ。というリリックから、mimi-Zuのバースからは少しアウトローな雰囲気を感じる。
・しかし、尿道をやるうえでシッコマン イン ザ パーティーを避けて通ることはできない。このバースは一見、俺たちには敵わない。というメッセージにもとれるが、ここで注目してほしいのがカノンイベントというリリックだ。
・カノン・イベントとは、映画「スパイダーマン:アクロス・ザ・スパイダーバース」で出てきた言葉だ。簡単に説明すると、スパイダーマンがスパイダーマンである以上乗り越えなくてはならない試練。それがカノン・イベントというもの。そう。シッコマン イン ザ パーティーは尿道におけるカノン・イベント。つまり乗り越えなくてはならない試練だということを我々に伝えているのだ。
・そう思って続きを聞くと、まるで尿道の出口がくっついているときのおしっこのように攻撃的なおしっこラップにもどこか親心のようなものを感じる。
・そして最後のバースでmimi-Zuの尿道のスタイルが見えてきた。尿人にとっての尿道が勢いなら、mimi-Zuにとっての尿道は量だ。シドーがベホマを使い回復をするように、mimi-Zuの膀胱は回復しているかの如く尿を出し続けるのである。
・mimi-Zuのバースには、映画や漫画、ゲームといった自分を作り上げているカルチャーの要素が存分に含まれていた。自分を表現するのが尿道なら、mimi-Zuはすでにおしっこラッパーとしての自分のスタイルを確立していると言える。
mC.SYOBESUKII
・そしてこの男、mC.SYOBESUKIIだ。
・mimi-Zuのように勢いのあるおしっこラップではないのに、この強者感はなんだろうか。mC.SYOBESUKIIにとっての尿道とは、知性だ。自らSYOBESUKII先生と名乗っているが、teacherというよりはprofessorという肩書がよく似合う。
・黄色で強いのな~んだ。mC.SYOBESUKIIが涼しい顔をして「俺のおしっこ」と言っている姿が想像できる。
・黄色で強いの。の答えはmC.SYOBESUKIIの小便か、ショベルカーということだろう。ショベルカーと同等の小便というのは私には到底想像ができないが、それがmC.SYOBESUKIIのパワーだということだ。知性とパワーを併せ持つ。それがmC.SYOBESUKIIの尿道だということがわかった。
・次に自分の尿はマジョリカマジョルカのようだとも言っている。マジョリカマジョルカの伝説によると、「マジョリカマジョルカ」とは美の女神さまがかける魔法の言葉である。この場合かけられるのは魔法ではなく、尿になるわけだが、自分の尿で魔法のように人を変えたい。さらには自分も尿道を通じて変わることができるという表現なのかもしれない。
・独特のフローが耳に残るバースだ。mC.SYOBESUKIIは立ちション派なのだろうか。mC.SYOBESUKIIの尿パワーで立ちションすると全部飛び散ってしまいそうだが、それも彼の豪快な尿スタイルの表れだろう。
・YellowActionについては、リリックの意図が読み切れなかったが彼の飄々としたスタイルが現れている素晴らしいバースだった。
・そして、問題の最後のバースだ。まさに、ベネディクトションBARバッチ。前半でmC.SYOBESUKIIの尿の濃さをラップにのせながら、バッチリとションBARバッチで踏んできた。汚いという意味の「ばっちい」にもかかっているのかもしれない。ベネディクトションBARバッチに関しては、過去の動画からのサンプリングになるのだが、よく考えると元が「カンバーバッチ」なため「ションBARバッチ」では全然かかっていない。この強引かつ、少しユーモアも感じさせるのがmC.SYOBESUKIIのおしっこラップスタイルなのだ。
CBN
・最後のMCはCBNだ。最年少、仮面という奇抜な見た目、ラップ自体もフロー重視のラップでおしっこラップの新しい風を感じさせる。
・MCネームのCBNに関して、CBNという薬の成分があるようだが関連はわからない。夜尿野郎にC・B・Nというところから、音通り尿瓶のほうだと予想される。オートチューンのかかった透明感のある声が耳を突き抜けていく様は、まさに透明な尿瓶のようなラップだと表現できるだろう。
・彼のおしっこラップは、まさに巻かれたトイレットペーパーだ、意味が何重にも重なっている。リリック力が彼の尿道の持ち味だということだろう。
・ピースとピスでかけたあと、「ピース=チョキ」を制す「石=グー」。そして「制す意志祟る」=「聖水滴る」というように読み取るのが面白いおしっこラップだ。Syonsterはgangsterのように、ションをする人、ションのメンバーという意味だろう。
・以下の動画にて、本来のMCネームは「Syonster」だったということが明かされている。CBNも結構かっこいいと思う。意味的にもHIPHOPぽいし。
・まだ読み取れていない部分もありそうだが、CBNのバースで特に注目してほしいのは最後の部分だ。もう一歩前へ。そう。これは尿人のバースにもあった、尿道を、おしっこラップを次の次元に進めたいという彼の意志を表した重要なフレーズだ。これを最後にCBNがサンプリングする。彼はおしっこラップのスタイルや、見た目から他のMCたちとは少し違うというイメージを持たれるかもしれない。しかし、CBNもしっかりと尿人の意思を受け継いでいるということだ。スタイルは違えど、同じ方向を向いてそれぞれの尿道を表現する。そんな、まさに連れションのようなクルーであるシッコマン イン ザ パーティーに私は尿道の明るい未来を感じるのだ。
HOOK
・最後にHOOKだ。
・尿道を通じて自分を表現すること、それをぶちまけろという言葉で表しているのではないだろうか。
・立ちションに連れション、ションのスタイルに違いはあれどそのすべてがおしっこだ。このおしっこラップで革命を起こす。それがシッコマン イン ザ パーティー。
・尿は誰でも出すことができる。ラップと同じで身一つで始められるのが尿道であり、おしっこラップだ。おしっこを手に取ればいつでも自分というものが表現できる。そう悩める少年少女たちに訴えているのだ。悩みというのはおしっこと同じで溜め込むのは体に悪いし、いつか爆発してしまうものだ。その悩みというのがリリックに出てくる糞なのではないだろうか。自分のコンプレックスのこと。自分の邪魔をしてくる他者の存在。人によって糞というのは違うが、それを踏みつけ、上へ登れ、おしっこラップとともにというのがシッコマン イン ザ パーティーがNYO SWORDを通して伝えたいことだったのかもしれない。
・とはいえ、おしっこラップだけで食べていくのは大変だ。庵野秀明がアニメの生産ラインが止まったときに備えてカラーで不動産運用をさせているように、優れたトップというのは現実的な問題に対しても対応できるのだ。今後シッコマン イン ザ パーティーがどうなっていくのかはわからないが、これからも彼らの活躍を追っていきたいと思う。
まとめ
・これまで『NYO SWORD』を「尿道」というものをおしっこラップを通じて、表現しているラップだと仮定して歌詞を読み取ってきた。
・もちろん彼らの全てが理解できたとは思っていないが、おしっこラップという一見ふざけたように見える曲の中にも彼らからのメッセージを見出すことができた。
・これを読んだ皆さんも一度『NYO SWORD』の歌詞と向き合ってほしい。今まで見えてこなかった、シッコマン イン ザ パーティーの真面目な一面が見えてくるかもしれない。
・そういえば最後のリリックを忘れていた。
・やっぱりずっとふざけてるだけかも。