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覚え書き マニッシュな組織に代わるもの

どこかで思考をリセットしないと。言葉と事例を探している。

学んできた組織論の基礎は相当に男性的だった。


リーダーシップ論は研究者の数ほどあるが、マニッシュでない組織を前提としたリーダーシップ論が思いつかない。


時代の先端を走っていた師はチームワーク論とのバランスでマクロとミクロの組織両方の視点からリーダーシップ論を説いていた。

いわゆるフラットで動的な組織のさきがけ(こんな省略しすぎた表現で師に申し訳ない)。

それまでの組織論では説明できない新しい組織の中に私はいたので、師の理論は目から鱗でもやもやが解消されていった。


時代の先端を行く組織にとって、羅針盤になるような正解や公式はない。オーソドックスな組織論は部分の説明は出来ても、動的に全体をとらえられない。


研究者は組織が行っている現実の行動の中に新しい芽を鋭く見つけ、それを科学し、再現できるように、他者も活用できるように、理論化する。(研究は人類の知恵を後世の人が使いやすいように形式を整えてストックすることでもある。) 組織の中で生み出される日々の知は、研究者が考える前に生み出されている。研究者はただ発見するだけだ。言い過ぎではない。現実があり、研究者はそれを新しく見るフレームを与える。


私がいた組織は、時代より進み過ぎていて試行錯誤を繰り返していたが、失敗の原因の一つに大きな組織を模倣していたことがあげられる。上手くいきだしたら、お手本がなくて、あんなに大きな立派な企業になれたらいいなあ、それなら組織の型を真似しようになった。近づいてくるコンサルタントはさらにもっと超巨大な組織をモデルにしていた。大きなこと言われビジョンがそこにいっちゃったんだろうな。金融も既存の大企業を模倣した組織であれば安心したのではないか。わからないことをやっている組織だったから、安心材料も欲しかっただろう。未知は不安。既成の概念で説明されないと。


という背景をもち、長いこと組織論は私のメジャーだった。ライフワークに近い。


今も師の理論が褪せないのは、組織とそれを構成する人間一人一人の心理と行動傾向の真理を反映したものだからで、確かな科学が背景にある。現実に起きている状況の仕組みのつかみ方を師から教わった。


時代を経て、再び違和感を覚える。

このもやもやは何か、を言語化せよと言っている。


社会は行きすぎた競争に警告を与えている。無駄に資源を使うなと。競争のコストは顧客、社会に返ってくる、ひいては人類全部で、地球そのものに負荷がかかる。競争をし続ける組織は競争のための戦闘体制になる。戦闘体制になると人は後ろを振り返らない。進むしか出来ないように作られている。止まらないのだ。勝つまで。独り勝ちすることで均衡が生まれ安定し、その後は衰退しかない。


ジェンダーを組織論に持ち込むのは唐突だろうか。行きすぎた競争とともに行きすぎたマニッシュな組織に疑問を感じている。基礎をもう一度見直す必要を強く感じる。


モデルとする、推奨されるリーダー像、モデルとする組織、そこでうまく作用するリーダーシップ、それらがマニッシュに偏っていないか、デメリットと、新しい組織の形について。


マニッシュでない組織はどこにあるか、どうリーダーは機能しているか。


もう、この道の研究者ではないけれど、事例を探していきたい。ライフワークとして。考え続けたいテーマだと思っている。