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えっまって。凡人の方が人生楽しいかも



みなさんおはこんばんにちわ!凛々です!

今日は「凡人の方が人生楽しいかも」って思えてきたのでまとめます。

昨今SNSでエクストリームお金持ち(本当か嘘はさておき)のことが誰の目につくようになり、

「実家太くないからすでに人生オワコン」「地主の子に生まれたかった、、、」

という呟きが散見されます。

確かに極太実家の皆様はすでに有意な人生が確定していて

凡人の家庭の子では到底味わえないことを幼少期から当たり前に体験していたり、有利な学歴がゲットできたり、有利な就職ができたり

かなり人生イージーモードに見えます。

ですが本当にお金持ちの子ども達は幸せなのでしょうか?

生まれと遺伝子が人生の全てなのでしょうか?

凡人の私たちは死ぬまで幸せにはなれないのでしょうか?

今は「生まれや遺伝子が全て」と言う価値観が蔓延していますが、

断言しましょう。凡人の私たちだって幸せになれます。

実家が太い人は本当に”幸せ”なのか

地主や実家が太い人を羨む理由はどういった理由からでしょうか。

おそらく「自分が頑張って働かなくても贅沢な暮らしができる」からですよね。

でもそれって楽かもしれないけど本当に幸せなんですかね?

私仕事関係で親が事業を大成功させたいわゆる”2代目”のおじ二人と関わったことあるのですが、

2人とも全く魅力的な大人じゃないです。

働かなくても生きてはいけるけど、なんとなく世間体が悪いから、やることがないからダラダラと働いている。いい歳こいて仕事に対していろいろルーズで働き方が甘い。

真面目に働いている私たちからしたら正直お金あるんならやめてくれた方がマシなんですよそういう意識が低い人。

これって多分「別に自分が頑張らなくても生きていけちゃうから」ですよね。

実家が太くない、凡人の我々が仕事頑張るのってもうそれしかない、それ頑張ることでしか生活できない、

ある種の逼迫感があるからですよね。だから一生懸命責任を持って頑張るわけであって。

じゃあ例えば私たちが運よく地主の子に生まれたとして、上記のおじ二人みたいにならないとは言い切れないですよね?(一人だけならまだしも二人も観測したので結構そうなりやすいのでは)

人間って頑張る心もだらしない心もどっちも持ってて、状況によってその割合が変化していくと思うのですが、

多分私もですけど実家太かったらあんまりがんばらなくてよくて空虚な人生送ってたかもしれません。

人間容易い方には簡単に流されてしまう生き物なので。

実家が太い人は挑戦権があるものの、どんなに自分が頑張っても実家が太いせいだと評価されてしまうところがある

実家が太い人はその莫大なセーフティネットをもとに”華やかなこと”に挑戦できます。

キラキラ起業したり芸術を極めて評価されたり

まあ羨ましい限りです。

ですが、そういうのって実家が太い人だけが楽しめばいいものであって

凡人の私たちがそれをできなかったからといってだから不幸になる、というものではありません。もう割り切りましょう。

あと、実家太い人たち、どんなに自分が頑張って成功させても「実家が太いから」「親が偉大だから」とか一生言われ続けるんですよね。

良くも悪くも「家」のパワーが強過ぎて一生付き纏ってくる感じ、

凡人の私たちにはわからない地獄なのかな、と思います。

凡人には「挑戦権」はないものの、人生を攻略していく楽しさを味わうことができる。

反対に凡人の私たちには挑戦権はないものの、やったこと全てが「自分の力」であることを胸を張って言えます。これって気持ちいい生き方ですよね。

また、私たちって人生を攻略する余白が残ってるんですよ。

例えば私だったら実家ボロ屋敷の片づけられない物だらけ、激汚い環境だったのですが、

家でて仕事頑張って綺麗なマンション住めてもうなんか超絶幸せです。

お金持ちの人って最初からこの幸せを感じられないの確定なんですよね。

最初からお金も環境も全て整い過ぎてて、もうこれ以上自分で頑張る余白ないんですよね。確かにそれだと私も上記2人の空虚おじになってしまうかもしれません。

だから楽じゃないかもしれなけどやっぱり凡人の方が人生楽しいですよ。

凡人で幸せになっている人の特徴

凡人でももれなく幸せになっている人って”実家から物理的に離れて自立している”っていう共通点があります。

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