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未来のビジョンより今の深さが欲しい

昨日からエッセイとMON MON MONSTERを分けて更新するようにした。


朝の6時にMON MON MONSTER
夜の9時にエッセイ


二本立ての更新になるが更新作業は変わらず前日に完成させて翌日の予約投稿にする。それで作業は終わり。


ぼくは制作の手間が増えるときっと続けられないので可能な限り左脳的(作業)なことはシンプルにして右脳的(創造的)なことに集中力を集中したい(迷言)
話は変わるがぼくは猛烈に興味が移り変わるんだけど少し前に続けていたメモをやめてしまっていた。


漫画のネタなんかも書き込んでいたがいつしかスマホにメモをするようになりあまりメモを取らなくなってしまった。


漫画のネタに関しては正直スマホに言葉でメモにする方が効率がいい。ぼくはネタのタネのようなものは頭にぱっと浮かぶが、それを絵にして、どのキャラを主人公にするのか、誰と絡ませるのかなどは構図を含め何枚か絵にしないと組み立てられない。


流石に仕事中にそこまで絵は描けないので結局タネだけ持って帰って家でスケッチして漫画をかく。そのタネをメモするにはスマホでパッと書いた方が早い。


それでも今またメモブームが再燃している。それでは何を書いているのか?それは発想の奥を言語化すること。

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ぼくは非常に思慮が浅いタイプで表面的な部分に翻弄される。なのでもう少し深く考えてみようと思ったのが始まり。


どういうことか?例えばぼくのMON MON MONSTERを描く理由はなんなのか大きく分けて二つある。


世界の日常になること
知ってもらうこと


これが二大コンセプトでそれぞれにイコールの関係にある。それでは何をもって世界の日常なのか?何をもって知ってもらうと言えるのか?ここから先の深さがない。これでは表面的な目的だ。そこで自分なりにそのコンセプトの下を掘ってみた。


ちなみにそれを探すことは数年後のビジョンを持った方がいいとかという啓発的なことではない。ぼくは“今“しか頑張れないタイプなのでそんなの持ったらきっと狂う。なのでなるべく持たないようにしたいと思っている。強いて言葉にするなら‘今‘に翻弄されないため自分の行動に深さが欲しい。


世界の日常の答えはまだ出ていない(出てねぇのかよ)これは言葉がキャッチで額面通りすぎるからかもしれない。


知ってもらうことの方は掘ったらすぐに水が出てきた、それは面白がってもらうことだし好きになってもらうことだった。知ってもらうだけではいけなかったってこと。


まあそれがわかったからなんだって話なんだけどぼくの心は幾分か軽くなった。

jon covet

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