【番外編】シンガポールへの進出②
前回書かせて頂きましたように、2016年10月に参加した催事での売上が想定以上だった上に、一部商品をそのまま代理店が運営する店舗に展示してもらえることになったので、こちらとしては、香港同様、今後は継続的に催事なり、個別の展示販売会ができるものだと勝手に思っていた。
ところがである、どういう訳か、高島屋の担当者に催促のメールを送っても数回に一回、気の無い返信がある程度の見事な塩対応。香港や上海での展示販売会の様子や売上をお知らせして、一生懸命刺激するもいまいちツボが解らず、時間ばかりが流れていった。
そして、気が付けば驚くことに3年の月日が流れていた。まさか、3年も何もないまま過ぎてしまうとは思ってもみなかったが、逆に自分自身も何もない状態でよくもまあ3年も連絡し続けたものである。ある意味、もはやライフワークのようになっていたのかもしれない(笑) 3年経過後も何かあるたびに不定期でメールはしていた。2019年12月に上海の百貨店のポップアップが常設店舗に切り替わったタイミングでもメールをしていたが、特に返信もなかった。そして、その翌月から皆様もご存知のコロナ禍がスタートしたのであった。
ただ、その時点ではコロナ禍がまさか約3年以上も続くとは想像しようがなかったので、何とかして、シンガポールを攻略したいと言う思いが強く、前回同様、一計を案じたのであった。今回は塩地応され続けた3年の間に上海にて培った人脈が役に立った。前回同様、上海高島屋の方にお願いしたのだが、今回は3年間の間に知り合い、大学の大先輩と言う事もあり、何かと良くして頂いていた上海高島屋の社長経由でシンガポール高島屋の社長を紹介してもらったのであった。もはや、トップセールスで直談判しかないとの思いからの行動であった。
しかしながら、その行動が奏功し、1月中旬に連絡を取り合い、3月上旬にシンガポール高島屋の社長及び塩対応3年半の現場マネージャーとのアポが確定した。苦節3年半ついに念願のアポが取れたのであった。この時点で、僕の頭の中では、今年中の展示販売会が確定していた(笑)
そして、2020年3月上旬、中国を中心にコロナ禍が騒がれる中、香港は既に入国規制がかかっていたが、シンガポールは入国規制がかかっていなかったのでシンガポールへ飛んだ。皆マスクはしているものの、ビジネスはほぼ通常通り稼働しているように見えた。ところがである、通常通り稼働しているように見えて実は微妙に規制があり、百貨店等の生活に必要な製品を扱う会社は出勤の時間帯の調整があった。しかも、その規制が導入されたのがつい最近で、アポを取った時点ではそんな規制はなかった。そんな規制など知らない僕は、意気揚々とシンガポールへと旅立ち、ほぼ到着と同時に衝撃のメ
ールを受け取るのであった。
シンガポール高島屋の社長からのメールで出勤調整によりアポ当日及び翌日の出勤、更には、会社全体での出勤調整を行っており、塩対応マネージャーとはどの道、しばらくの間が同時出勤ができなくなった旨が端的に書かれていた。別々でも良いので何とかして、それぞれにお会いしようと努力したが、一応コロナ禍なので、僕自身もかなりのショートステイでスケジュールを組んでいたため、社長との面会はどうにも難しいと言う衝撃の事実が判明した。もはや塩対応マネージャーとの面談のみと言う、気持ち的には振り出しに近いところまで戻ってしまった気がした。
ところがである、塩対応マネージャーとお会いしたところ、社長からのプッシュもあったのか、思った以上にフレンドリーであった。確かにメールでは塩対応だが、もともと陽気な方だったことを思い出した。こと、メールに関しては、日本人はちょっとしたことでも丁寧に返信をするが、外国人の場合は、既読スルーもよくあった。そこら辺は、文化的な違いによるホスピタリティの違いのようなものであろう。いずれにせよ、こちらにとってはプラスでしかなく、商談も順調に進み、無事2020年10月に2週間の展示販売会を実施することが決まった。
無事商談もまとまり、ホクホクの状態で帰国の途に就いたのであったが、その後の事は、皆様も良くご存知の通り、コロナ禍が猛威を振るい、展示販売会どころではなくなり、僕の夢のシンガポール再進出計画は自然消滅していったのであった。
それから、2年以上の月日が経ち一部の国では入国制限がだいぶ緩和され始めていたので、僕は、迷うことなく、シンガポール高島屋へのアプローチをスタートした。今回は、前回展示販売会をするところまで決まっていたからか、メールへの返信も早くアポもすぐ取れた。2022年9月バンコク経由でシンガポールに2年半ぶりに降り立った。ところがである、またしても衝撃的な事件が起こったのであった。何とパソコンがうんともすんとも言わなくなってしまったのである。まさかのタイミング過ぎて泣きそうになりながら、修理屋を探し、持っていったが基盤がやられているらしく修理不可とのことだった。思い出してみれば、バンコクから移動する際に姉から頼まれたミルクティの粉があまりにも重く、スーツケースが重量オーバーとなったため、取り出しリュックに入れており、シンガポールのホテルにチェックイン直後に、そのリュックをデスクの上から床に落としていたのであった。間違いなく、それが原因であった。しかしながら、スマホのおかげで大体のことは何とかなった。スマホよ、ありがとう(笑) そして、高島屋との商談もスマホの画像で何とか乗り切り、無事2023年3月の展示販売会が確定したのであった。しかも、プロモーションエリア2週間+ギャラリースペース2週間の計4週間ものチャンスを頂けたのである。
時間軸も現在に戻ってきましたので、展示販売会の様子は次回以降で本編として書かせて頂きます。