闘痔の唄


 10月初旬。僕は病院の診察台の上で体を胎児の様に曲げて横たわっていた。診察台はゆっくりと上昇を始める。しかし僕の気分は身体の上昇とは反比例して沈んでいくばかりだった。
いぼ痔が3つに痔ろうが1つ。下された診断結果はまさに痔の幕の内弁当だった。
 これから痔になるであろう方、反対にこれを読んで健康的な生活を心掛けようとする方の礎となるように、一ヶ月間の激動の闘痔生活を綴ります。みんな一回痔になればいい。
 まず痔について。人間は進化して二足歩行での生活を手にした。だが、その代償として、どうしても重力に逆らえない内臓が人間の下半身、つまりお尻に重さを加える。
 さらに現代人の多くは、IT技術の発展により仕事をパソコンで行う。つまり、ロボットの様に同じ姿勢で座りっぱなしの状態が多い。
これらの要因が重なり合い、肛門という繊細な器官に負担をかけ続け、今や三人に一人が“痔”を患っている。勿論あなたも他人事ではない。
例外なく僕もその一人。高校の時に発症した痔は、特に日常生活に影響を与えず、10年余り放置されていた。パルス波形の様に3年に一度くらいの割合で排便に困る程の痛みや出血が襲ってきたが、特に気にしなかった。
時は過ぎ2015年10月初頭、僕は立っているのもやっとの激しいケツの痛みに襲われた。しかも肛門から膿が出ている。もう只事ではない。海底深くの活火山が、隆起して遂に大陸を成した。溜まりに溜まったツケが降りかかったのだ。
 僕は急いで肛門科へ行き、この文の頭の診断結果を言い渡された。
 いぼ痔はまだ可愛いもので、痔ろうは放置すると痔ろうガンにもなってしまう恐ろしい魔物だった。そもそも痔ろうとは何かと言えば、肛門の中に穴が開く病気だ。意味がわからない。参考に先生に絵を描いてもらっても意味がわからない。穴はもうあるだろうと自分のお尻にキレかけた。一度インターネットで調べる事をオススメする。
 砂利道に突出した大きな石の数々。今の僕の肛門はそこら中に轍や窪みがある人間の手がかかっていない道。それを舗装しなければならない。産業革命の波が遂に僕の下半身にも押し寄せてきた。だが、革命には痛みが伴う。猛烈な。
 手術方法はシートン法と呼ばれる手段。古代から痔と闘ってきた人間が編み出した技だ。古代インドでも使われていた技法で、数十年前に古文書から発見されて現代に蘇ったとか。そんな長き歴史の闘いに、僕も計らずとも参加する事になった。方法もシンプルで、例えばいぼ痔のいぼの部分に輪ゴムをバチんとはめる。そうすることでいぼを壊死させ、自然に小さくしていく。痔ろうも同様で、通常は患部の穴から外側の肉をゴッソリくり抜くのだが、シートン法は痔ろうで開いた穴の部分にゴムを通し、いぼ痔同様にいらない肉を壊死させる。つまり、輪ゴムを用いて患部を切ること無く、切除する。日帰りで行える、古典的でロマンチックな手法だ。
 1個目のいぼ痔の手術。
 先生とは言え、赤の他人に文字通り背中を預けるのは中々の精神力がいる。この先生は今までいくつのアナルを見てきたんだろうか。触診の時点で、絶叫する程の不快感と痛みがあった。肛門鏡というデカい魚肉ソーセージ程の太さがある医療器具を突っ込まれる。それを突っ込んだまま手術は進む。
「先生!止めて!」
 発車した特急列車は止まれない。問答無用で治療を進める先生。腕をバタつかせて診察台叩き、抵抗するフリしかできない僕。普段出る部分なのに、何かを入れるということは、器官の流れと逆の事をするわけで痛くない訳がない。苦痛に埋もれる中、大好きな映画の1シーンを思い出していた。「ファイト・クラブ」。主人公がブラッド・ピット演じるタイラー・ダーデンに苛性ソーダで皮膚を焼かれるシーンだった。タイラーが手の甲にキスをして唾液を付ける。そこに苛性ソーダとくると、水分と反応したそれは100度以上の熱を持って皮膚を焼け焦がす。痛みから逃れようとすつ主人公は、新緑の森や氷の洞窟を想像してそこに逃げ込もうとする。しかしタイラーは許さない。痛みと向き合う事に意味がある。人はいつか死ぬという考えを染みつけろ!
 僕も主人公と同じくして痛みから逃れようとしていた。夕暮れのさざ波、靄に包まれた早朝の湖畔。しかし目の前のタイラーが叫ぶ。
 宇宙に打ち上げられたサルを思え!
 人生最高の瞬間を味わえ!
 何分くらい経っただろうか。先生のなだめる声はもう全く僕の耳に届いていなかった。ゆっくりと肩を叩いてくれる看護師も、院内に流れるリラックスミュージックも何もかも遠い事象だった。
バチン!と、いぼにゴムがかかる音がした。試合終了のゴングだ。
総時間約5分。逃れる事のできないこの時間は、50分にも500分にも感じられた。
 術後も、ゴムが患部を締め付ける不快な痛みが続いたが、2〜3日もすればさようならだった。日常生活にも何の問題も無い。
さらにこの手術を二回繰り返した僕は、漸く痔ろうという最後の山に差し掛かった。
 結果から言えば、痔ろうの手術はほぼ痛み無く終わった。なぜなら、手術前日に恐怖の余り電話をしてくる僕を気遣ってか、先生が麻酔を多目に打ってくれたからだ。
 術後1時間、安静にと病院の休憩室で横になっている僕の耳に色々な悲鳴が聞こえた。高い悲鳴や低い悲鳴、牛の唸り声の様な音や、深く深く息を吐く音。僕と同じく手術を受ける人々が発する音だ。それを聞いて僕は、同志を見つけたかのような安堵感を得た。世間の知らぬところで孤独に自分の肛門と闘う人達がこんなにも居たのだ。多くの人間というのは、外の世界で起こりうる出来事に関心が薄い。
 バラエティー番組でデヴィ夫人を見て笑顔をこぼすが、彼女の経験した9月30日事件やインドネシアの共産党狩りと称した大虐殺を想像はしない。
四条烏丸という華やかな街の真ん中で、苦痛に向き合いながらアナルと闘う人々を忘れてはいけない。想像力が世界を幸せにするのだ。

ピース。