パレスチナ問題のまとめ

昔々、あるところにアラブ人たちがパレスチナに1000年以上住んでいました。

しかし、ユダヤ人たちは、19世紀以来(1801年〜1900年)、「旧約聖書に神々に約束された地パレスチナに自分たちの国を建国しよう!」という運動(シオニズム)が起こっていた。

そんな中、1914年〜1918年、第一次世界大戦勃発。

1916年、オスマン帝国の力を弱めようと、イギリスが二枚舌外交とも、三枚舌外交とも呼ばれる外交を実施する。内容は以下の通り。

①To ユダヤ人:戦争が終わったら、パレスチナ(今のイスラエルの地域で、当時はアラブ人が住んでいた場所)に、自分の国を作っていいよ。:バフフォア宣言

②To アラブ人:戦争が終わったら、今あなたたちが住んでいるパレスチナの独立を認めるよ。(当時アラブ人が住んでいたパレスチナはオスマン帝国の領土):「フセイン・マクマホン協定」

③To フランス:戦争が終わったら、このオスマン帝国の一部、山分けしようぜ。「サイクス・ピコ協定」
※イギリス側:サイクス
※フランス側:ピコ

※当初、イギリス・フランス・ロシアの3国間での協定だったが、1917年の「二月革命」「十月革命」などで国内の情勢が不安定になったことから、この協定から離脱した。
→サイクス・ピコ協定は秘密協定だったが、ロシアが、この2つの帝国の悪行を暴露。

・イスラエル(国):ユダヤ人が住んでいる
・パレスチナ(自治区):アラブ人が住んでいる(はずだったが、現在は複雑な状況から、様々な国の難民が住んでいる。
→パレスチナは①ガザ地区、②ヨルダン川西岸地域
に分かれている。

2箇所に分かれた理由は、イスラエルによるパレスチナへの弾圧と、1967年の第三次中東戦争により、
ガザ地区:エジプトが占拠
ヨルダン川西岸地域:ヨルダンが占拠
するようになった。

その後、1993年のオスロ合意で、このパレスチナの2つの地域「ガザ地区」と「ヨルダン川西岸地域」は、「パレスチナ自治区」として管理されるように、国際的な決定がなされたが、実質、依然としてイスラエルの支配下になっている。

参考URL
・「池上彰:イギリスの三枚舌外交がアラブ世界をごちゃごちゃにした」
・「進研ゼミ:パレスチナ問題について」
・「世界史の窓:サイクス・ピコ協定」
https://kou.benesse.co.jp/nigate/social/a13y0220.html



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