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録楽と音楽のあいのこ
「録楽」という造語があって、私はそれが気に入ってるのでその話をしたいと思います。
録楽
「録楽」とは、三輪眞弘さんという作曲家の方が提唱した言葉の一つ。
ー「録音したものを再生することによって聴かれる作品」を〈音楽〉ではないとする考えから、それを〈録楽〉と名付けることで、複製技術を基盤とした〈装置による表現〉そして、芸術ならざるものとしての〈メディア・アート〉へと接続することでさらに思考を展開しようとする。
(引用:「三輪眞弘 インタヴュー | TOWER RECORDS ONLINE」、
https://tower.jp/article/feature/2010/11/28/72400/72401)
つまり、私たちが普段、テレビやインターネットで聞くような音楽は、録音し再配布することによって聴かれるもので、「音楽」とは区別するべきだ、という主張。
録音技術や放送技術が発達してきた中で、昔は「その場で演奏した音をその場で聴く」だけの行為が、「録音したものを再生する」、「録音したものをリミックスする」、「デジタルで作られた音を演奏する」など、「音楽を聴く」という行為の多元化・多様化により、ひとかたまりでは語れなくなっています。
それでも「音楽」という言葉が浸透しすぎているので、以下私たちが普段使っている意味での音楽を「広義的音楽」と設定します。
録楽と音楽の "体感" 部分に着目してみましょう。
例えば、あるバンドのライブに行ったとします。
そこで私たちが感じるものといえば、会場に伝わる振動、熱気、アーティストの動き、臨場感。全て、その一瞬だけのものです。
そのライブで演奏された曲を、配信で聴くとどうでしょうか。
そこでは、どちらかというと、一つ一つの音に気を配り、丁寧に重ねられて作成された楽曲を、一つの基準として捉えて、聴いているような気がします。
どちらにも、それぞれの良さがある。
しかし、全くと言っていいほど、それぞれの作品が私たちに与える感覚は異なります。
なるほど、これは言葉を二つに分けたほうが、良い気がしますね。
できるだけ「音楽」に近づけたかった渋谷さんの話
コロナで家にいるので、渋谷さんが関ジャニ∞時代にソロで発売したカバーアルバム「歌」のメイキングを見ました。
彼のアルバム作りが映された30分ほどの映像の中で発見したこと。
ほとんどが、バンドメンバー全員で一発録りしたという本作品は、渋谷さんの「リアルなライブ感」を大切にしたいという想いが隠れています。
歌は全てSM58で録音、ミキシング中の意見で目立ったのは、それぞれの楽器の距離感を整えたいという意見。
(私のペラッペラな知識で補足すると、レコーディングではもっとデリケートで感度の高いコンデンサマイクとかを使うけど、今回使用したマイクはライブで使うような、丈夫だけど感度の低いマイク。)
実際、アルバムに収録されている楽曲は、他のCDに収録されている楽曲と比べると、「良い環境で録音された、良い音」「作り上げられた完璧な音」という印象は受けません。
全員で、(ドラム以外)同じ空間の中で、同時に録音するというなかなかない環境下で、渋谷さんがこのアルバムに乗せたかったのは、
「音楽」ならではの、臨場感やライブ感。
アルバムという「録楽」で、どれだけ「音楽」的役割・感覚を届けることができるのかに挑戦した本作は、
「録楽」の定義を限りなく突破しようとしているのではないかと、思うのです。
(三輪さんの録楽の定義によると、決して「録楽」を越えることはないけど。)
このスタンスは、現在ソロ活動中の渋谷さんの、(広義的)音楽に対するスタンスを結び付けられるなあ、と感じるのですが、その話はまた追い追い。