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読むものが手元にない時、私の眼はどこまでも文字を探し求めて、延々と彷徨うのだった

私は、本は好きだが読書が苦手というタイプで、にもかかわらず読むものが手元にないと不安になるところがあって、これも現代人にありがちな不安神経症のひとつなのかしらんと思っていたが、最近はスマホがあれば、ネットやニュースアプリやキンドルなど、なんらかの読み物が確保できるので、外出時の不安は減ったなと思っているのだが、そんなもののない時代、電車の中で本を忘れたことに気づいた時はとてもショックで、仕方ないから電車内の広告を隅から隅まで読んだりして、広告の端っこの小さな文字で書かれた注意書きの文章、たとえば「当選発表は発送をもってかえさせていただきます」なんてのを見ると、本当にプレゼントを送っているのだろうかと疑ったりしていたが、待てよ、このプレゼントはその会社の試供品なので、全員に送りつけてしまった方が販売促進につながるのではないかと勘ぐったりして、こんな仕様もないことを考えるくらいなら、目をつぶって寝た方がいいのではないかと思っても、目が勝手に読むものを探し回り、挙句の果てには、問い合わせの電話番号の数字が4147とかだったら、これは「よいしな」と読ませたいのかなと、昭和30年代生まれは反射的に思い、その原点を探っていくと、子どもの頃に繰り返し聞いていたCMソングが未だに頭に残っていて、それがどんな歌かと言うと
「伊東に行くならハトヤ、電話はよいふろ4126」
なんて歌詞で、60年近く経っても電話番号を憶えているというのは、CMソングの刷り込み効果の強力さに改めて驚くし、スマホでこの歌詞を検索したら、なんとその歌詞を書いたのは野坂昭如、そう「エロ事師」や「てろてろ」の作家というより「火垂るの墓」で有名なあの野坂さんが若い頃に書いていたということが分かって、少し感動するのだ、と、

まあ、ここまで文章を切れ目なく書いてみたのは、電車の中における意識の流れを忠実に描写した、というのは嘘で、noteの文章は短くて改行が多い方がいい、というアドバイスが多いので、いつもは短いセンテンスで書いていたのだが、あえてそれに逆らって、全部つなげてみたら、どんな感じになるのだろうという、どうでもいい挑戦をしてみただけで、他意はないと思いつつも、実は最近、映画は1シーン1カットみたいな長回しが流行っていて、私としては、オーソン・ウエルズ(黒い罠)、あるいはヒッチコック(ロープ)にオマージュを捧げるつもりもあったのだが、文章でそれをやってみても、それは悪文以外の何物でもないことに、1,000文字も書き連ねてみて、やっと気づいたのだった。

要は書きたいコトがなかったということですね。

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