見出し画像

舞台「ぼくらの七日間戦争」再演 (彩木咲良出演)

きびしい状況が続く中、上演された「ぼくらの七日間戦争」。残念なことに水木の2公演が中止になってしまいましたが、全6公演が行われ千秋楽の幕が閉じました。最終稽古からの一週間は、タイトル通りの戦いの日々だったと思うのですが、出演者やスタッフ、関係者の皆さんの並々ならぬご尽力で完走することができて本当に良かったです。

「ぼくらの七日間戦争」は、国内で誰もが知っていると言っていいほど有名なタイトル。1985年に出版されて以来、映画やアニメにもなって、2018年には、第1回『小学生がえらぶ!”こどもの本”総選挙』で8位にランクインするほどの親しまれている作品。
35年もの期間、長く愛され続けてきたものですが、実を言うと私自身、内容にひっかかりがたくさんあって、タイトルからは第3次中東戦争の6日戦争を彷彿とさせるし、立てこもるという行為は認められるのか? 誘拐犯は見逃されていいのか? 産婦人科の医師の不倫は事実なのか?1960年代の学生運動からのしこりのようなものは、今なお存在し続けている。
そういったひっかかりが随所にある。
しかし、舞台をみながら、このひっかかりはひっかかりとして受け止めればいいんじゃないかと思えてきました。エレクトロニクスに詳しい少年をエレキングというのも見ている観客でどのくらいいるのだろう?など思いながら・・・。(エレキングは、ウルトラセブンに出てくる怪獣の名前です)

物語の起点となるのは、1969年、学生運動の頂点となる東大安田講堂事件から1年後、1970年に生まれた子供たち。
1985年、中学3年生(15歳)に起こった出来事を、2000年、30歳となった彼らが振り返る。
2022年の現在、この舞台を観ている時、子供たちは50歳を過ぎているということ。その「見えない部分」を想像してしまうのですが・・・。

そして、この舞台には見えない部分を想像していまう箇所がもうひとつあって、それは、解放区が陥落した後、後始末はどうなったのかということ。(原作のぼくらの七日間戦争では、その後の物語を「ぼくらシリーズ」として書かれているようですが)
この出来事の後、もっとも大変な状況に追い込まれるのは、堀場久美子の家族。建築会社の社長にして、PTA会長の父親は、市長に取り入り、談合で収監されることは間違いないし、もしかしたら、建築会社も倒産していまうかもしれない。
しかし、堀場久美子はそうなることと理解しつつ、信念を持って行動している。
終盤にある堀場久美子の台詞、「汚いことをしてお金を稼いでるよりまし。苦労するならこれからちゃんと私が支えるよ」という一言がとても重要になってくる訳ですが、彩木咲良さんのクラスメイトの中でも少し大人びた雰囲気の演技で、お父さんを大事に思ってるからこその行動であるということ。たとえ何があっても堀場久美子ならなんとかしてくれる。
この物語の描かれていない部分を、彩木咲良さんの演技によって、安心できるものになっていると感じました。

物語は小刻みに時間が戻る作りが面白く、それがループに構造になってるような作りがユニークで、テンポよく話が進んでいく。劇中に流れる時間の揺らぎ具合が、終盤、2000年にメンバーが集まって見守る中、1985年の「解放区」が突入される実況がオーバーラップされる演出に繋がっていくつくりがとても良く、その後、教師になった菊池英二が教室で「悪魔になる」宣言をする。
つまり、これは子供たちに対する宣戦布告であり、大人と子供の戦いがはじまるということでもある。
彩木咲良さんがパンフレットで語っていた「どちらが正しいなんてない」「生き様を見届けてくれたら」という言葉はその通りで、解放区に突入した教師や教頭が味わう有様や、市長や校長、堀場久美子の父親であるPTA会長の集まりが中継される様子も爽快感は感じられず、むしろ、哀れさが漂うように感じるのは、そのような生き様を観ているからということ。
そして、この作品に感じられる数多くのひっかかる部分も、正しいなんてないということになるんだろうと思います。

最後に、この舞台で特筆すべきことは、キャスティングの凄さ。柿沼奈津子役、遠山景織子さん、橋口暁子役、月影瞳さん、瀬川卓蔵役の石橋保さん。そして、教頭、丹羽満役の渡辺裕之さんといった方々の舞台上での存在感が圧倒的。

子供の味方となれば頼もしい。
しかし、子供たちの敵となる大人は強ければ強いほど、物語が面白くなるわけで、最強ともいえる敵との戦いが繰り広げられた舞台はなんとも贅沢で価値のあるものに感じました。

いいなと思ったら応援しよう!