『アメリカってどこにあるの』
モダンチョキチョキズの『ふられ節』という曲が好きです。
その冒頭部分に、こういうフレーズが出てきます。
アメリカは、見えないからどこにあるか分からない……
なんて面白いフレーズなんだろう、と思います。
今年の春に大阪へ行きました。
目的は、よしもと漫才劇場でコウテイの単独ライブを観るためでした。
高速バスを予約して、バスタ新宿へ向かい、「大阪行き」と書かれたバスに乗りました。
到着したのはバス会社のラウンジの前でした。
Googleマップで周辺を検索すると、「なんば」という地名が出てきて、「よしもと漫才劇場」という建物を見つけました。
そこに向かいつつ、たこ焼き屋さんにも寄りつつ、デカい蟹の写真も撮りつつ、当該建物に到着しました。
会場に入り、指定された座席で待っていると、ライブが始まってコウテイの二人が出てきました。
ここでようやく、
コウテイが出てくる
→私はよしもと漫才劇場にいる
→私は大阪にいる
→私が乗ったあのバスは間違いなく大阪行きのバスであった
→私は大阪の存在をこの目で確認した
という流れが逆説的に成立したわけです。
何が言いたいかというと、
"一般常識として実在しているとされているものにも、その存在を疑う余地が残されているのではないか"
ということです。
アメリカや大阪が実在することは一般常識とされているわけですが、本来ならばそこに住んでいる人・行ったことがある人でなければ存在の証明はできないはずなんです。
それなのに、日常生活では、アメリカや大阪に住んだことも行ったこともない人がああだこうだと語っている光景をよく見かけます。
自らの目で存在を証明していないものについてさも当然の事実かのように語っている人の姿は興味をそそられますよね。
ちなみに、私はアメリカに行ったことがありません。
パスポートも持っていません。
だから、アメリカの存在もパスポートの存在も私にとっては疑う余地があります。
一応大学まで出てアメリカのこともパスポートのこともちゃんと習いましたが、やはり私自身の目で確かめないことには存在を疑うしかありません。
私は疑うことを最上の娯楽と捉えているので、世の中にはまだこんなに疑うべきことがあるのかと思うと嬉しくてたまらないのです。
そのことに気付かせてくれた『ふられ節』が大好きです。
錆びたチャクラが開くというのはこういうことなのかなと思います。