
故、先輩を想う 前
※開幕からあれですが、長いので分けます。
いくらでも書ける記憶がある、というのは幸せなことなのかもしれない
——-
高校2年生の昼休み、教室で弁当か何かを食べていると、前の扉がずばんと勢いよく開けられた。しん、と静まり返る中、ふたりの男女が入ってくる。
先頭の女性は金髪で黒づくめの格好、肌は白く、チェーンやとげとげの腕輪をじゃらじゃらとつけている。背が高く、線が細い。170cmくらい。以下Aさんとする。
後ろの男性は体操服、さらさら短めヘアーで爽やかな感じと思いきや、目が合ったら即因縁をつけられそうな目つきをしている。怖い。こそこそと生きてきた自分にとって、関わったことの無い感じの人達である。
ふたりは教壇の前までゆっくりと歩き、教壇にばん、と手をつく。
そして我々に向かって「oniku(私の名字)ってやつ居る?」と言った。
そのまま漫喫の個室のような狭く薄暗い場所に連れて行かれた。私の高校は学年によってフロアが分かれており、2年生は2階、3年生は1階で、漫喫は1階の最奥にあった。上級生のフロアに入るだけでも緊張するのに、170cmの金髪ねーちゃんと恐ろしい目つきをした男性に連れて行かれる恐怖は計り知れない。ちなみに自分のビジュアルはミシュランタイヤとか犬ならセントバーナードとか言われるような感じ。中3の時、ティッシュ配りの人に「お仕事お休みですか」と言われたことがある。
漫喫に連れ込まれ、何をされるのかと怯えていたが、私たちは文化祭実行委員会の委員長と副委員長です、と自己紹介をされた。そういえば全校集会や学内報等で見たことのある顔だった。
当時の母校は文化祭に注力しており、有志が集まって文化祭実行委員会というものを組織し、学生が主体になり文化祭を運営していた。トップの委員長と副委員長、その下に10名程度の企画長が在籍し、各企画の旗振りをする。
私は1年生の時に友人と飛び込みで模擬店企画に入った。文化系の部活は文化祭当日に作品展示等の見せ場があるが、やることが無い運動系の部活が活躍する場として模擬店を用意するというコンセプトだった。売上は部費に還元されるというおまけ付き。
模擬店企画には企画長をはじめ3年生の女性の先輩しかおらず、1年生の我々を大変可愛がってくれた。2年生になり、先輩は卒業し居なくなってしまったが、とりあえず引き続き応募していた。ところが蓋を開けてみると、模擬店企画長の立候補は無く、それどころか全校で模擬店企画に応募しているのは友人と私の2名だけとの話だった。
このままでは模擬店が無くなってしまう。そもそも学校で模擬店企画を経験しているのはあんた達ふたりだけ。本来2年生にお願いすることでは無いが、模擬店企画長をやってくれないか、という相談だった。
そんなもん出来るわけない、というのが率直な気持ちだった。文化祭実行委員会はいわゆる陽キャの集団で、そのトップ集団、アベンジャーズな企画長メンバーに、人の目を気にするこそこそ隠キャ人間の極み、何の取り柄も無い自分が入る絵が全く想像出来なかった。
ただ、模擬店が無くなってしまうのは可愛がってくれた先輩達に申し訳無いな…というその一心だけで、大学に進学している元企画長の先輩に連絡を取り、相談に乗ってもらった。京都駅八条口アバンティ地下のフードコートで落ち合い、引き継ぎとしてA4のノートを受け取る。それを最初っからやっていけば大丈夫、そんな気負う必要無いよ、私やって普通の人やったんやし、と言われた。
また、在籍していた水泳部に3年生の生徒会長が居たため相談してみたところ、全然ええんちゃう、何とかなるやろ、なんかあったら助けたるわ、Aさんとは仲良くやってるし、と言ってくれた。間違いなく適当だったし助けられた記憶も無いのだが、適当でも後押ししてくれる人が居るというのはとても有難いことだと思う。この後押しが無ければ決断出来ていなかったかもしれないと思うと、たまたま入部した水泳部にも意味があったというか、繋がりを感じる。
数は少なかったが周囲の人達に相談しながら、一週間程度悩み、引き受けることにした。
部活をはじめ何も打ち込んでこなかったし、会話は苦手、人の上にも立ったことの無い自分にとって、企画長の仕事はとにかくきついことの連続だったが、結果的には何とかなった。知らない人に「お疲れさん」と声をかけてもらえた喜びもあった反面、どちらかというと孤立していた当時のクラスや学年での自分の扱いが、手のひらを返した様に変わっていくことに恐ろしさも覚えた。立場が人を作り、評価が人を作ることを実感した。
アベンジャーズの先輩方にもとても良くしてもらったが、その中でもAさんは本当に自分を可愛がってくれた。自転車を二人乗りしてどこまでも出かけた。学校をサボってマックでずっと喋っていた。初めてライブハウスに行ったのはAさんのライブだったし、自分のライブに来てくれた時には最前列で奇妙な踊りを繰り出し会場を異様な雰囲気にしていた。卒業式では頭を丸刈りにしており心底驚いた。晩飯を食べに行ったスクリーンで流れていたフェイスオフをずっと観続けたことを覚えている。男性が顔を交換する洋画。よく寝巻きのまま学校に来ていた。
狭く薄暗い漫喫のような部屋は、とても居心地の良い、想い出が詰まった青春の場所になった。Aさんは憧れであり、恩人であり、好きだった。
Aさんは大学には行かず、上京した。服飾の専門学校に行きながら雑誌の読者モデルとバンド活動をしていた。もう直接連絡を取ることはほぼ無くなっていたが、年に数回帰省した際はアベンジャーズで集まっていたので、自分のやりたいことを形にして、元気にしているんだろうなあと思い込んでいた。