第7段 あだし野の露きゆる時なく。

徒然なるままに、日暮らし、齧られたリンゴに向かいて云々。

長生き、人生100年時代。唐突だが皆さんは長生きしたいと思いますか?私は正直微妙です。ヨボヨボになって体の節々が痛み、それぐらいで済めば良いがもはや寝たきりになって全てを他人に世話になるくらいならその辺で野垂れ死ぬか安楽死した方が幸せかもしれない、といつも思うことがある。祖母を施設に入れた時、その思いは特に強くなった。祖母は昔から20歳くらいは実年齢よりも若く見られる人だった。いつもおしゃれで、海外生活が長かったこともあり、いわゆる日本のおばあちゃんではなかった。そもそも小さい時は、おばあちゃんと呼ばせてもらえなかった。祖父と並んでいるところを見ると、年の離れた夫妻か、愛人カップルかに見えるくらいだった。男友達もいっぱいいた。祖母にもらったアドバイスは秀逸なものが多い。『みーちゃん、結婚なんていつでもできるのよ。でも、恋愛は今しかできないわ。』『男友達はいいわ。毎年桜を眺めて歩くとき、女同士は、わあ綺麗ね、なんていうけれど、男の人は違う。君、毎年そんな同じことを言っていては駄目だよ、なんて言ってくれるのよ。』もはやどこの文学作品なんだ、と思うようなことをたくさん言われた。私も似通った点が多々あるので、彼女のことはわりかし理解できる。90を過ぎても毎日毎日マニュキュアを塗り、おしゃれをして出かけていた。小さい頃通っていたピアノ教室の先生は、特に祖母のことを気に入っていて『あの方は変な話、いつでも再婚できますね。それくらいに素敵なおばあちゃまね。』と言ってくれていた。その祖母が、やはり最後は認知症になり、栄養失調のせいなのか細身の体でもお腹が張り出してきていた。髪も散り散りになり、目の焦点も合わない。言っていることも支離滅裂、というような状態だった。祖父が亡くなってからは特に孤独だったようで、怪我をきっかけに認知症が進んでしまっていた。それでも私に会うと、いつも初めて会ったような、まるで少女のように目を輝かせ、『わあ、みぃちゃん、きてくれたの!』と言って喜んでくれた。私は同じような瞳を過去に見たことがある。インドカレー屋で働いていた時のことだ。そこで働いていたコックさんのうちの一人が、ある日突然、支離滅裂な行動をするようになり、検査のためインドに帰ることになった。彼は私よりも少し上くらいの年齢、名前はアニルといった。お茶目で陽気な性格で、いつもチキンティカマサラというカレーを作ってくれた。アニルのカレーはとても美味しかった。彼がインドに帰る前日、いつものように『おはよう』と声をかけた。するとアニルは私のことを初めて見たような瞳をして見つめた。『ナマステ、はじめまして、元気ですか。』ああ、アニルは私のことがわからなくなったんだ、と思った。それでも別にそんなことは関係ないなと思い、『私はみなみです。あなたと結構長く友達です。覚えてないかな?』といって見た。アニルはその時、『あなた、私の奥さん似てるね。目が似てるね。髪の毛も同じね。インド帰りますか?』といった。私は冗談で、『じゃあ一緒にデリーに行きましょうか。』といって見た。そしてアニルは履いていたビーチサンダルを見せてくれ、これは奥さんにもらったプレゼントだといった。インドの人は日本のナッツチョコとウエハースが好きなので、今日は秋葉原で買って帰って、夜はここでみんなで飲むといっていた。そしてみんなでその日の夜まで仕事をして、ハイボールとビールをたらふく飲んで、アニルにさよならした。またね、次は三ヶ月後かな?病院ちゃんといってね。飛行機間違えないでね。とかそんなようなことを言いながら、アニルを見送った。インドについて、3日後。アニルが死んだ。脳腫瘍だった。おかしな言動や行動は、腫瘍のせいだった。インドについてすぐに病院に入院し、1週間後に手術の手はずだったという。アニルは入院している時、そこがインドだということがわからず、仕事をすると言い張り、病院を抜け出したという。そして家の前の門のところで倒れ、帰らぬ人となった。最期に行った言葉は、『ご飯を炊かないと、シェフが困ります。お店はどこですか。』だったそうだ。ずっと私たちの名前を呼んで探していたという。私はこの知らせを受けた時、絶句した。頭のどこかで、アニルは生きてる、と思いながらも、アニルは死んだんだ、という現実が降りかかってきて混乱していた。世界はすごい。人が一人死んでも、何食わぬ顔で回っている。なにも変わらない。なにも止まることがない。私はトイレで泣いた。声を殺して泣いて、充血した目を水で洗って元に戻し、仕事をした。祖母の瞳を見たとき、あの時のことを思い出した。それでもこう思う気持ちもある。アニルはいい人だった。少年のような人だったから、きっと、美し過ぎて神様に呼ばれたんだと、そう思うことにしていた。それでも、肉体は滅んでも、魂が消滅したのかと言われたらそんな気は全然しない。というかそれこそ、この季節になるとインドの友達はみんな『アニルが来るから一人で寝れない。』とか言って、部屋に押しかけてみんなでおしくらまんじゅうして寝ているはずだ。話は脱線するが、私自身も家の階段で転んで大怪我をした時、『あ、アニルに転ばされた』となぜか咄嗟に思った。あの時は本当に、アニルがそこにいたのだと思う。そしていつもみたいに、あの少年のような屈託のない笑顔でヘラヘラしているに違いない。『みなみさん、危ないね〜気をつけてね〜』とか言いながら。そう思うと、なんだか不思議だ。さてしんみりしてしまったが、話を戻すと長生きしたいかどうかだ。まあ、寿命は天が決めるだろくらいに思っているところもあるし、役目を果たしたらこの世におさらばするのだろうくらいに思っているところもある。そうでなくて劇的に、花を散らして見たいものだ、と思う気持ちがないわけでもない。ウィキペディアにでも書いてもらったり、映画にでもなるような散り方もいいなあなんて呑気なことを思ったりもする。まあ、こればっかりはわからない。それでも最期の最期、自分が持っていたいものを三つあげるとするならばこうだ。一つは、聖書。二つ目はリンゴ。そして三つ目は・・・・今のところ、広島産の藻塩だ。
※なぜなのか知りたい人はLINEで聞いてくれ。





コギト・エルゴ・スム

踊る哲学者モニカみなみ

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