己の鮮度を落とすな、目指すは恋のトライアングル。

何度でも繰り返し言うが、人間は常に『鮮度』だと思う。血液をその基準とするならば、やはり腐った血が流れていれば細胞が壊死し、結果的には多臓器不全を起こして死ぬ。これに関連していうと、死のトライアングルというものがある。厳密に言えば医学の世界ではふた通りあり、1つは『鬱・アルコール・自殺』、そしてもう1つは『低体温・代謝性アシドーシス・血液凝固障害』だ。前者は甚だ疑問も多いが、後者に関しては納得がいく。つまりは、体温が下がると体が酸性となり、結果的には血液が固まらなくなり死に至るというものだ。人間の体はひどくわかりやすくできているものであり、心の鮮度がなくなってしまえばたちまちにそれは体にも現れる。私も身を以て体感した。自分自身の体に腫瘍があった時には、やはり自分自身ではなく、『誰かの人生』を生きていたのだと思う。もっと言えば、『誰かが喜ぶ人生』を生きていたのだと思う。閑話休題。折に触れて、既婚者の不満のようなものに触れることが増えた。バーで踊っていた頃からそういった話は割とよく聞いていたのだが、何もこういった話はバー特有のものでもなんでもない。気づけばそこかしこに転がっている話題であるということを改めて再確認し、またそれに伴った『愛人勧誘』的な発言を聞くと『なんだかなあ』と思ってしまう。ちょっと待ておいおいおい。なんだかなあではないだろう俺、嘘だ。焼身自殺かビルから飛び降りるかのレベルで絶望し不快な気分になる。かくいう私も、過去には道ならぬ恋をしたことは何度かあった。しかし結果として長続きはしなかったし、あれはあれでいい思い出として心に残っている、というのが一番的確な言い方なのかもしれない。あの時は本気で好きだった、愛した、それでもそれは過去の点でしかなく、それ以上も以下もないというのが現実だ。今もう一度そういった境遇で恋愛をするかと言われれば、それはないだろうなと思う。たとえ金城武に誘われてもないというよくわからない自信のようなものがある。別に環境がとか、相手の立場がとか、それよりも何よりも恋は落ちた瞬間に死んでいるとも思うのだが、おそらくエネルギーとしてそういう人には惹かれないだろうなという感覚が強い。今現に自分の心と肌に刻まれている人も、やはりそういう人ではない。私を本気で落としたいならば総てを捧げる覚悟で来やがれと思う。適当な気持ちでぶつかってきてんじゃねえぞ、そんなんじゃお前返り討ちだぞわかってんのか!!!!!!!!!!!というのが正しいのかもしれない。恋とは死だ。人間は常に死にたい生き物だ。死をもって生きることを体感し、そして何度も何度も生まれ変わって燃え尽きる。そこにこそ人間の真髄がある。女は常に飛んで火にいる夏の虫だと思う。後先考えずに飛び込んでいく、そして燃やし尽くされ生きることを実感する。貫かれて死に、そして燃え尽きた自分のかけらを拾い集めて思いにする。確かめる。だがそれと同時に、私自身も火なのだと思うことがある。燃え尽くし燃やし尽くす、私が燃えて、あなたも燃える。だからこそ撮影は抱き合い心中だと思うし、セックスだってキスだって同じだ。ご飯を食べることも、手を繋ぐことも、言葉を交わすことも、総て同じだと思う。総てがひとつの呼吸であり、そして音楽でもある。少し前に身の周りで死にたいといっている人が多かったのだが、それと同じくして私自身も『死んでくれ』と言われていた。私の動画やブログを読んで兎にも角にも気に食わなかったようだ。『頼むから地球のために、人々の安寧のために死んでくれ。』というメールが届いた。この安寧という単語にはいたく感動したのだが、それにしたってあったこともない話したこともない人間に向かってよく『死んでくれ』と懇願してくるものだなあと感心した覚えがある。せっかくなので、『気持ちはよくわかった。だが君に死ねと言われて死ぬほど私はバカではない。私が死ぬ代わりに君は何を差し出してくれるんだい?』と訪ねてみた。『は?お前頭おかしいんじゃないのか?なんで俺が何かをしてお前に死んでもらわなきゃいけないんだよ!!とにかく死ねようざいんだよクソババア!!!!』結果としてこういった血気盛んなラヴレターをいただいた。だが、このままでは禅問答になると思ったので『そうか。それならば君の気持ちを一時間聞いてやるから会おう。都内だったらいつでも会えるし、都外ならば交通費をくれたらどこでもいくぞ。』とこちらも前のめりで返答をしたのだがそのまま返事が返ってくることはなかった。まだこのブログを読んでいるのならば、今からでも遅くはない。私は君に会う気はあるぞ。私はそこまで多数のこういったメールをもらうことはないが、時たまもらうことはある。1つ1つに返信はできないが、それでも心に何か思い当たるものがあるものに関しては返事を書く。こういったことがあると、結局は人間は触れ合いたい生き物なのだと痛感する。SNSだとかなり歪んだ形でそれが露呈したりもするが、それでもSNSによって瞬時につながることができるのも事実だ。自分のど真ん中で生きるにはどうしたらいいか、やはりそれは言わずもがな『これをしたいからやっている』という本能に従うしかないのではないだろうか。そして何よりもそれをしっかりと自覚すること。自分の思いを他人の願いとすり替えている限り、本当の自分の戦争はできない。自分の戦争ができないことほど、自分自身の鮮度を落とす行為はないのだと思う。


"写真は抱き合い心中です"
全国津々浦々、どこにでも撮影に行きます。
撮影費はホームページにありますがご相談に乗ります。時折、どこかに出没してその場で撮ったりしてます。LINE交換して写真送ることなどもやってます。会いたい人は、ぜひご連絡ください。
LINE ID: minamonica
Instagram: https://www.instagram.com/373uwano


Model: Madoka


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