夜遊び日記

昨年のちょうど今くらいの時期、私は実家から東京に移り住んだ。実家は、仕事通うには支障のない場所にあったが、両親とうまく関係を続けることが難しく、いらだつことが増えたので、一人で暮らしてみたいと家を飛び出したのだ。内覧に行ったことも親には秘密にしていて、伝えたのは、すべて段取りをつけた後のことだった。

1人暮らしを始めたはいいものの、最初は孤独の処し方にてこずった。仕事から帰ってきて、食事や入浴を済ませた後の孤独に耐えかねて、マッチングアプリを複数入れた。つながった人たちとメッセージのやり取りをして時間をつぶした。アマゾンプライムやネットフリックスも、あまたのわたしの孤独を食いつぶしてくれた。仕事もそんなに暇ではなかったから、それでバランスは取れていた。
だけどやっぱり、狭い部屋で一人でいると、とてもみじめな気持ちになった。日が落ちるのが早くなった秋口の休日、4時ごろには暮れなずんでいく小さな青空を見つめて、「今日もどこにも行かなかった、何にもしなかった…」と、ベッドに顔をうずめることも、少なくなかった。

誰かと会いたいな、と思った。比較的一人で何でも楽しめる方だけれども、やっぱり誰かと話がしたいし、人と食事をしたいと思うようになった。一人で食事をしていると、食べ方がどんどん雑に、汚くなることに気づいた。これは大問題。今すぐ誰かとごはんを食べたい。
でも、思い立ってすぐに実行できるほど、わたしはバイタリティにあふれた人間ではなかった。残念ながら。生まれてこの方、人に会うには割と腰が重い、重度の待ち合わせ無精。何時にどこどこ、と約束をするのが憂鬱で仕方ないのだ。予定が迫ってくると、理由もなく気持ちが沈む。たとえマッチングアプリでいい感じの男性を見つけても、約束を取り付けることをしなかった。

そんな、約束無精のわたしにぴったりのマッチングアプリを見つけた。その日近くにいる人とマッチングできる「JOIN US」というアプリだ。


賛否両論あるこのアプリ。ユーザーの中には、いわゆる体関係目的の野獣も多いと聞くが、一人暮らしを始めて味わう自由の中に、そんなスパイスが加わるのも悪くないと、その時の私は考えた。仕事の合間に登録を済ませ、待つこと2時間。近くにいる男女からの「いいね」が、60件近く集まった。
通常のマッチングアプリと同様、画面を次から次へとスワイプし、顔写真を見ていく。
年上がいいな。できればロードオブザリングのアラゴルンみたいな長めの黒髪くせ毛がいい。目の印象も大事。あ、この人いいなー、でも上野か、ちょっと遠いや…なんてことを繰り返す。時間が溶ける。

その中で一人、わっ、この人すごい、と思う人を見つけた。写真の顔の下半分を隠しているのだけれど・・・
何よりも目がよかった。それがすべてだった。いや、でもあまり期待しすぎるのもよくないよね。今思えばとても失礼なことに、体目的ということも視野に入れながら、そっけないメッセージを送った。やり取りを交わし、私たちは20時にハチ公前で待ち合わせをすることになった。

待ち合わせに現れた彼は、長めの髪を後ろで結んでいた。目が合った。ぱっちりと二重で、色素が薄い瞳が、渋谷のネオンをちらちら映す。
もう一度繰り返しちゃう、何よりも、目がよかった。それがすべてだった。
その日の私と言えば、白いユニクロのTシャツにリーバイスの淡いブルーのジーンズ、スニーカーにリュックサックという、男と食事に行く女とはおよそかけ離れた服装をしていた。まるで大学生。色気も何もない。
途端に恥ずかしくなって、なんかごめんなさい、仕事があったからおしゃれしてなくて、とごにょごにょ言い訳をした。彼は声を立てずに微笑んだ。「髪長い男の人、大丈夫?ロン毛無理っていう人いるよね」
いいんです、むしろ最高です。わたしロードオブザリングではアラゴルンが一番好きです、と早口でまくしたてそうになる興奮を抑える。「全然大丈夫、結んでる髪をほどいてよ」。


わたしたちは、ご機嫌に白ワインを1本開けた。これまでの恋愛のこと、自分の仕事のこと、学生時代のこと・・・私と彼の間には10歳の年齢の開きがあって、同じ時代のことを話しても全然違っていた。彼はそれらのことをとても抑制的な声で話した。それに乗っかるわたしの声はいつも浮ついて、落ち着く気配を見せなかった。

「よく話すし全然緊張してなさそう。慣れているの?」と聞かれ、何かを疑われている気がして残念だった。「違うよ、あなたが素敵だからだよ」などというと墓穴を掘りそうなので「人とよく話す仕事だからね」とごまかした。まだ一年目なのにほんと、よく言うよ全く。
「そっか。あー、なんで君みたいな…その、こんな子が、あのアプリやってるんだろうね」
「ああ、確かにわたしあんまおしゃれではないですもんね」
「そうじゃなくて、来てくれたとき、カジュアルですごくいいなと思ったの」
突然の誉め言葉に、わたしは用意していた返事を見失う。あいまいな照れ笑いを浮かべる。初めて出会う男女には、これで十分。
十分すぎるほどだった。

待ち合わせの時間が遅かったから、終電はとっくになかった。彼は当たり前にタクシーにわたしを乗せて、連れて帰った。「一緒に帰る?」とか、「どこかに泊まる?」とか、そういうつまらない口説き文句は一つもなく、わたしたちは話の端々で、表情で、まなざしでそれらの交渉を済ませていた。口説き文句なんかいらなかったのだ。

そんなことがあって3日後、またどうしてもたまらなく会いたくなって、彼に連絡をした。わたしはもうその時には、彼のことをとても気に入ってしまっていて、その気持ちを隠そうともしなかった。「あなたのことが忘れられません、また会いたいです」。自分でも恥ずかしくなるくらい熱っぽい言葉。だけれどそういう正直な言葉でなければ、彼に送りたくなかった。

以来、1年にわたって彼はわたしの心に居座り続けているのだから、その魅力ときたらすごいもんだ。
3か月に1度の頻度で食事をして、彼の家に泊まりに行く。泊まりに行くたびに簡素だった彼の部屋には家具が増えていく。冷蔵庫、オーディオ機器、食器類…確実に品々を増やし、今は炊飯器を検討中だという。
彼の部屋へ行くたびに恋人の気配を探そうとするのだけど、見つけられない。巧妙に隠しているか、存在しないのか。だけど避妊具は出てくるから、誰かとは遊んでいるのだろうな・・・と思いつつ、見ないふりをする。

付き合ったら、安心してしまう気がする。気を引こうとする努力を忘れちゃうのかな、飽きてしまうのかな。男の人との交流は彼以外絶たなければならないのかな。あー、なんかめんどくさいな。このままでいいかな。だけど彼に恋人ができて「もう会えない」って言われたら、死にたくなるかもしれない。
約束無精に加わり、交際まで億劫になりかけている自分に気づいて落ち込む今日この頃。夜遊びワンナイトで済めばよかったものの、そうなれなかったんだから、恋愛って難しい。今月でちょうど出会って一年だから、思い出話がてらちょっと話を振ってみようかなと思っている。






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