私が去った後に起きる「偶然」と、あなたが辛いのは電気サージのせいかもしれない話
偶然
また一週間さぼっておりました。
さぼっている間でもボチボチ記事を読みに来てくださる方がいらっしゃってありがたいことです。
本当にありがとうございます。
前回の記事で、
前々から度々派遣会社に求人を出している外資系企業があって、
なぜか私は前から「そこで就業したら、それで私の勤め人としての労働は終わりやねん!」と勝手に決めていて、
何度か派遣会社にエントリーしていたけれど、
スキル面なのか年齢なのか、まったく声がかからずスルー状態で、
それがこの度派遣会社から反応があって先方企業にプッシュしていただけることになったのですが、
「残念ながら今回は・・・」という結果になりました、
という話を書きました。
それはもう、ご縁がなかったということで仕方がないのですが、
「若い世代が多い」と求人内容に記載していたところなので、
半ば「もうダメなんだろうな」と思っていたら、今回お声がかかり、
思いがけないことに「トランサーフィンがうまくいったのか」と喜んでいたらやっぱりダメだった、ということで、
「えっと、これから私はどうすれば・・・」と、
気持ちが宙ぶらりんになってしまったと。
そしてブログの記事には、
前に別の行きたかった企業が、私がエントリーして数か月後にえらい騒ぎになったので、
「行かなくてかえってよかったかも」、
「この外資系企業は何事もなかったらいいのですが」
みたいなことも書きました。
で、ブログを上げて数日後、
今回また、その企業だけのピンポイントではないけれど、
例の「ブルースクリーン」の件でその企業もしっかり巻き込まれていて、
あら~ と。
サムネのイラストも「飛行機のイラスト」を選択しましたが、
これも、noteでクリエイターさんが提供してくださっている写真やイラストを、その会社の名前で検索してみたらでてきたので、
その飛行機のイラストをお借りしたのですが、
今回航空関係にけっこう被害が出ていたのが、地味になんとも言えない。
もちろん私のせいではないですし、
私にそんな力はないのだけれど、
なぜか私にはそういう偶然があるのです。
独身時代の勤め先に起きた偶然
今でこそ転職はめずらしいことではないですが、
実は私は独身の頃正社員なのに転職を繰り返しておりまして。
すでに転職求人誌の「とらばーゆ」などもあり(今もある?)、
「派遣」という一社にとらわれない働き方も出てきてはいましたが、
それでもやはり入社したら女性でも結婚するまでは一社で勤め続けるのがデフォだったので、
20代で転職回数が多いのは異色だったと思います。
辞めるときはだいたい居るのが辛くなって辞めるわけなのですが、
(今ならなんであんな目にあったのか、あんなに辛かったのかわかるのですが、)
その当時は本当に自分が根性の無いダメ人間のようで辛かったです。
そして、すべて正社員勤務だったところなのですが、
私が辞めた後にいろいろ起きているのです。
最初の会社は地震で社屋が倒壊し、
次の会社は社長が火災で亡くなり、主力以外の部門が廃止され、
次の会社は小さな会社で私の知る限り存続しているようなのですが、
次の会社は倒産
ということで、
なかなかの破壊力。
いえ、私がやったわけではないのですが、
本当にこの事実だけを書くと、
「偶然だぞ」と言ってもなかなかひどい。
あと、会社でなくて「人」で、
「ちょっとこれはひどいな」と思った人は、
あとで仕事が変わっていたり、複数ある仕事のうち一つを失っていたりすることがあると前に書きましたが、
正直、
もう辞めてしまった会社やもう二度と会わない人がどうなろうとどうでもいいので、
その分違う方面にエネルギーを活かしたいものです。
いえ、偶然なのですけどね。
また精度も今一つです。
独身時代正社員で働いていたところも上記のように確率75%ですし、
ひどさで言うと、派遣社員(そこは契約社員だったかな?)で働いたところも相当ひどかったし、
以前ブログでも書いた「何で食べないの~?」の2社も、本当にうんざりだったけど、
まだ健在ですしね。
他の排除できていない例として、
明らかにひどい「吸血鬼」な整体院からは、もう10年近く行ってないのに毎年毎年DMが届きます。
(2院あって1つは今年来なくなったけど1社はまだ来る。夏至の頃に来る。)
そしてなぜかどちらもgoogleレビューの評判はいいのです。
極力エネルギーを奪われないように、心を揺らさぬようにして即座にDMを焼き捨てているのにそれでも毎年届く。
この間ブログに書いた「お茶会」の人もまだ連絡送ってきてました。
ただのお茶会と言って女性ばかりを集めておきながら
「セッションを受けないとボケたり病気になったりする、
でも受けてもボケたり病気になるかもしれない、
1回8000円」
とか当日言いだす人とか(それだけじゃないけど!)、
本当に二度と関わるつもりはなくて、
なんとかならないかなと思うのだけれど。
結構本気で「ここ、なんとかならんだろうか」「この人なんとかならんだろうか」というところにはまだらにしか発動せず、
思いがけないところがえらいことになってたりするので、
やっぱり偶然なのでしょう。
逆に
「ええい、潰れてしまえ」とか思って本当につぶれるようなことが可能になったら、
なんだかそれも非常によろしくない感じがします。
あまりにも辛い人は知らずにストレスのはけ口にされてるかも
私が新卒で入った会社は、
身近な商品を扱っているので社名を言うと皆さまご存じだと思うのですが、
私はそこを1年ほどで辞めています。
結構有名な会社を新卒でたった一年で辞めているので、
その後の転職時や派遣の登録などで説明するとき困ったのですが、
実は、その部署では私の「1年」はよく持った方で、
私の前に入った新入社員は男性でも皆数か月で辞めていってたそうなのです
(私が力尽きて退社する直前に聞きました)
その部署は、貴重な「新卒カード」を毎年シュレッダーのように切り刻んでいたわけですね。
私の同期は、私の出身校よりも有名な大学出身の人や、あと女性は特に親ごさんが銀行や大企業の偉いさんだったりして「家柄がいい」人たちが多く、
私はどうやら入社試験の成績はよかったようなのですが、
私がその企業に採用され、もともと営業志望だったのにあの部署に配属されたのは「人身御供」みたいなものだったのでしょう。
今でこそ「パワハラ」だの「コンプラ」だの、労働者を守る制度がありますが、その当時はまだそんな言葉すらありませんでしたから、
私は毎日隣の部署まで響くぐらいの大声で部長に怒鳴られていました。
恥ずかしいやら辛いやら、情けないやら。
でも自分が仕事ができないのですから仕方がありません。
しかしなぜ私はそんなに仕事ができなかったのでしょうか。
今から振り返ると、今の私であれば比較的楽にできる仕事だと思われます。
そしてその部署には私のほかに30代の課長と、30前後の先輩女性社員一人が居たのですが、
助けてもらったりかばってもらったりということもなく、
何より、忙しいこともあるのでしょうが、仕事を教えてもらえなくて、
新卒で右も左もわからない私は、どうすることもできずにいました。
その後うん十年経って、なぜ私があんな目にあったのかがわかるのですが、
あれ、この話ってまだブログに書いてないですよね。
既出?だったらごめんなさい。
心理学者カウンセラーの大嶋信頼さんの本のことは何度かブログでも書いたと思いますが、(遺伝子コードや呪文を唱えるやつですね)
今、その大嶋信頼さんの本が、持っているはずなのに行方不明なので、どの本に載っていたのかも定かでなく、ざくっとうろ覚えで書きますが、
(いいのかそんなことして。)
その部署が「新卒シュレッダー」だったのは、
部長が能力が高くて凄すぎたのと、部署が「4名体制」という少人数制だったのが原因だったようなのです。
その部署の部長は、すでに定年退職の年齢なのに『代わりが居ない』ということで勤め続けているという、非常に有能な方でした。
仕事には内にも外にも一切妥協がなく、上でも書いた通り、自身が仕事ができるので苛立って常に怒鳴っているのですが、
普段の、例えば昼食会や社員旅行のときなどは、ニコニコと朗らかで本当に優しい方でした。
大嶋氏の著書によると、人の脳というのはつながっているらしく、
(手元に本が無いので、ざっくりで不正確でごめんなさいね、どこにいったんだろ)
よく、アリやハチなんかでも、そして人間社会でも、
一部すごい働き者たちがいて、大部分の普通の者たちがいて、働かないごくつぶしの者たちがいて、
それはどこでもだいたい同じような比率になっていて、
たとえ「ごくつぶし」だけを取り除いてもまた同じ比率で構成される・・・
このような話を聞いたことがあると思います。
実はこれは、
ものすごくできる人たちのストレスを、(たぶん『電気サージ』とかいう言葉で表現されていたと思うのですが)、働かない人たちが引き受けているらしいのです。
なので、働かないからといって働かない人たちだけを取り除いたとしても、
また優秀な人たちがバリバリ働く際に発生するストレスの『電気サージ』でマヒ状態になった「新たな働けないごくつぶし」が誕生すると・・・
そして、私が新卒で働いていた部署の場合、たったの4名ですから、
バリバリ働く部長の電気サージを受けるのは常に新入社員で、
課長や女性社員は、間違っても自分がそのストレスの受け手になるような羽目になってはいけないので、
当然新人に仕事を教えたりしないし、そっけない。
大嶋さんの本を読んで、なんであんなに私はダメだったのだろうとトラウマになっていたのが、
「ああそうだったのか、だからあんなにマヒしたように何もできなかったんだ」とわかって、
少し気が楽になったものでした。
とはいえ、
少し前に、ネットフリックスが大規模なリストラを行い業績が回復した、というニュースがありましたので、そうすると「ネットフリックスは当てはまらないんかい」って感じではありますが。
ネットフリックスでは優秀な人のボリュームが大きく、ストレスの受け手が一部に集中していないのでしょうか。
日本では昔は「お気楽平社員」で、おしゃべりやタバコ休憩ばかり繰り返して、出世に無欲なちゃらんぽらんな人がいたと思うのですが、
ストレス耐性の高いそういう人を雇う余裕があったおかげで、
優秀な人たちがバリバリ働けて、会社の業績が上がったり成長したりということもあったのかもしれません。
今精神疾患で通院や休職する人なども多くいるようですね。
精神疾患への理解が深まったり、心療内科が整備されたこともあるでしょうが、
テクノロジーの進化で仕事の密度もあがり、働く人のストレスも半端なく、それだけ「受け手」のダメージも大きくなっているのかもしれません。
起きているようで「眠りこけている」
さて、うん十年前新入社員だった私は、
とびぬけて仕事のできる優秀な部長と残り3名というあの部署では、
どうすることもできなかったのでしょうか。
大嶋さんの本ではたしか、遺伝子コードではなく「浮き輪モード!」とか呪文を唱えて、「浮上」することで逃れられるとか書いてあった気が。
・・・違ったかもしれない。
ああ、ごめんなさい、本が見つかったら確認しますね。
ヴァジム・ゼランド氏の「振り子の法則 トランサーフィン」でも、
「その舞台に入り込まずに、眠り込まずに、目を覚まし、観客であるかのように客観視しろ」というのは度々言われていて、
(これは文字通りの『居眠りするな』という意味ではなく、しっかりと意識的に、まるで観客席から事態を見つめる視点で現実を見ていない場合、人の意識はだいたい眠りこけているそうです)
あの頃の私が、自分を客観視できたからと言って何ができたかわかりませんが、
「ああどうしよう、また怒鳴られる、ああ恥ずかしい」と怯えてグルグル考えていた私はあきらかに全然自分を客観視できていなかったので、
ひょっとしたら、
目を覚まして、冷静に意識的に自分の状態を客観視できていたら、
何か変わっていたのかもしれません。
あと、
大嶋氏の遺伝子コードは、大嶋氏のセッションではひとつひとつ反応を見ながら有効かどうか見ているようなので、
ひょっとしたらやみくもに大量に唱えるのはよろしくないのかもしれませんが、
私の場合、派遣で働き始めた会社があまりにたいへんだったので、
何とかしたいと思い通勤時などに念仏のように大量の遺伝子コードを唱えまくった結果、
いったんは形勢がよくなって、いろいろ自分の思い通りに運んで、
なぜかなんと「コメダ珈琲店」の誘致?にまで成功したので(近くにできたらな~と思ったらできた。偶然でしょうが、びっくりです)、
自己責任で唱えまくってみるのもよいかも。
いったん形勢が良くなってまたダメになった経緯も詳しく書きたいのですが、本当にあの会社のことは詳しく書かないほうが身のためな気がするので、今はあまり触れないでおこうと思います。
ちなみに、大嶋信頼さんがご自身のブログで効能などを公にしてくださっている遺伝子コードや呪文をまとめてくださっているブログはいくつかあります。ひとつあげておきますね。
この方のブログのタイトルも「藁をもつかむ」ですが、
まさに会社などが辛くて「藁をもつかむ」思いの方は、遺伝子コードや呪文も試してみられてもいいかもしれません。
もちろん著書を読むのも良いと思います。
特に初期の分厚い著書は非常に面白かった覚えがあります。
(でも内容がちゃんと覚えれていないのが悲しいところ)
脳と脳とのコネクションについてなど、SFっぽいとも思えるような内容などが書かれていて、ワクワクした覚えがあるのですが、
なぜか本が紛失したり、見つからなかったりするのですよ。
ずいぶん本は捨ててしまって、そんなに見つからないほど蔵書はないのですけどね。
自分が起きているか眠っているかの判別方法として
新卒の時はさすがにどうだったか覚えていないのですが、
私の場合、「メモを取る字が汚いかどうか」で、
自分が今舞台に入り込んで眠り込んでいるのか、
ちゃんと目覚めて舞台を観客席から観察しているのか
区別がつきそうです。
もともとそんなに達筆ではないのですが、調子がいいときは達筆っぽく書けるのです。
ですが、さきほどの書けないくらいやばい会社や、水風呂に入ろうと決意するぐらい追い込まれた会社では、メモをとるときまともな字が書けませんでした。
まるで子供が書くような字で、雑で汚くて、しかも漢字が出てこない。
(あ、漢字が出てこないのは標準仕様かもしれません・・・)
「なんで食べないの~」社では、お菓子を断固拒否したおかげで、
「おお、次はその手で来たか」などと観察できていたので、
普通に字が書けました。
私の場合は「メモを取るときの字」ですが、
人によって何で判別できるかは違ってくるのかもしれません。
昔「クラインの壺」という小説を読んで、詳しいストーリーは覚えていないのですが、
今自分が居るのがVR空間か現実空間かの区別がつかなくなり、そのときのねばりつくような不快な恐怖の描写の部分だけ覚えていて、
日常生活で、今自分が目を覚ましているかどうか探るのも、なんだか似た感じかも。
特に会社などでは、
意識が眠りこけている=振り子にいいようにされている=最悪ストレスの受け手になって病む
ということにもなりますので、
「今自分は起きているか、ちゃんと観客席から事態を観察できているか」がわかる自分なりの手段やツールを見つけて、
常にではなくても、時折でも、自分が目覚めているか確認するのは、
振り子に揺さぶられたり、
ストレスによる電気サージの受け手にされて「できないダメな奴」認定されるのを防ぐ助けになるかもしれません。
ああ、今日は魂に約束したことを書こうと思ったのに、
全然違うテーマで話が広がってしまいました。
またの機会に、私が今日魂にした約束について書こうと思います。
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