見出し画像

”覚悟”の意味をAIで掘り下げたら、本当の自分に気づけた話

こんにちは。AIにしか心を開けないこじらせ陰キャのmonicaです。
私は「葬送のフリーレン」というアニメが大好きです。
優しさと勇気に溢れた温かい作品だなあと感動します。

今回はシュタルクのこのセリフを取り上げたいと思う。

そうか…師匠も、怖かったんだな…
必要なのは、覚悟だけだ…

シュタルク、アニメ『葬送のフリーレン』第6話
覚悟を決めるシュタルク
出典:アニメ「葬送のフリーレン」シーズン1エピソード6 - 村の英雄
© 山田鐘人・アベツカサ/小学館/「葬送のフリーレン」製作委員会

シュタルクが自らの恐怖を受け入れ、「村の英雄」として紅鏡竜に立ち向かう覚悟を決めたこのシーン。
確かにシュタルク屈指のイケメンシーンではあるが、普段は軽く聞き流していたこのセリフが今回だけ妙に私の心に居座った。(←葬送のフリーレン大好きすぎて4周くらい見てる人)
せっかく感情が動いたんで、スルーしないでちゃんと掘り下げてみよう。

私もある意味、紅鏡竜との戦いに直面していた

多分、私は私でシュタルクと状況が似ていた。
現代人は「村を守るために、命がけで紅鏡竜に立ち向かうかどうか」の選択に迫られることはないが、度々人生の岐路に立たされ、「お前はこれからどっちの価値観で生きていくんや?」みたいな選択に迫られる機会は、生きていればきっと誰にでも訪れるのではないだろうか。
当時の私の場合、「やりたいことで生きていくために、今の会社を辞めるかどうか」の選択に直面していた。

これまで一般的な社会通念と共に生きてきた人間にとって、やりたいことで生きる道を選択するってのは、相当な覚悟が必要だ。
ここで感じる不安や恐れの大きさは、命がかかってるかどうかは関係がないと思っている。
生命の危機とは全く別の種類の不安と恐怖だ。
シュタルクの迫られた「村の英雄として戦う覚悟」、私が迫られた「やりたいことで生きる覚悟」が重なったんだと思う。

恐れは抱いたままでも進める。でも覚悟がなければ永遠に進めない。

シュタルクの努力や鍛錬の跡は、アニメでもわかりやすく演出があった。

修行を重ねていたシュタルク
出典:アニメ「葬送のフリーレン」シーズン1エピソード6 - 村の英雄
© 山田鐘人・アベツカサ/小学館/「葬送のフリーレン」製作委員会

いくら鍛錬や努力を積み重ねたとしても、恐れを完全に消すことはできない。
つまり、今の私でいうと「いくら知識武装しても新しいことを始める不安は完全に消すことはできない」ということ。
このアニメでは「恐れ」は悪いものではない、という描かれ方をしている。
シュタルクの師匠であるアイゼンのセリフからもわかる。

怖がることは、悪いことではない
この恐怖が、俺をここまで連れてきたんだ

アイゼン、アニメ『葬送のフリーレン』第6話

怖かったんだ
俺は怖かったんだよ、フリーレン
こいつはすごいことだ

俺の弟子は…
とんでもない戦士になる

アイゼン、アニメ『葬送のフリーレン』第6話
恐れと共に進んできたアイゼン
出典:アニメ「葬送のフリーレン」シーズン1エピソード6 - 村の英雄
© 山田鐘人・アベツカサ/小学館/「葬送のフリーレン」製作委員会

上記のアイゼンのセリフは、「恐れを抱いたままでも前に進めるんだよ」いうことを教えてくれている。
(アニメの演出も相まって、恐れを受け入れて進んできたアイゼンの貫禄を感じられて、ほんとにかっこよかった🤤)
ただし、冒頭のシュタルクの気づきでもわかる通り、覚悟をしないかぎり、前に進めない。
覚悟は、他の人に言われたからとか、外部の要因では決めることができない。自分自身で決めないかぎり「覚悟」は永遠にできない。
この辺までは、感じ取れた。

ChatGPT「覚悟とは自分の中の真実に気づくこと」

じゃあその「覚悟」ってやつは、いったい何なのか。
どういった感覚なのか。
わかりそうでわからない。
そこでChatGPTくんの登場である。
シュタルクのセリフに感動し、どのように感じたかを共有した上で、下記のように聞いてみた。

覚悟ってなんだろう? 
私はいつも不安になると見切り発車しちゃうけど、見切り発車の感覚とは違うと思うんだよね。
シュタルクの場合は、フェルンのセリフ、
「村の人たちを守りたいという覚悟だけはきっと、本物だと思います」
にヒントがある気がする。
これが自分なのだ、この気持ちは本物だと信じられる感覚のこと?
わかりそうでわからない。言語化を手伝って。

プロンプト

上記書き出してみて気づいたが、私自身の中でもほとんど答えがでかかっている。
ただ、言葉で定義ができていることと、感覚を腹落ちさせていることは全くの別物だ。
もう一押し、別の言葉で定義したい、別の角度からの言葉で、しっかり感覚を握りたい。
そういう時にも、会話型AIが役に立ちます。
下記がChatGPTの回答。

覚悟って、確かに難しいテーマやね。見切り発車とは違う、何かしっかりとした決意や信念がそこにあるんやと思う。

シュタルクの例を見ても、覚悟って自分が守りたいものや、大切にしたいものに対しての強い意志や信念が含まれていると思うね。「村の人たちを守りたい」という気持ちが、本物で揺るがないものだったからこそ、シュタルクは恐怖を超えて行動できた。

覚悟って、「これだけは譲れない」「これだけは大切にしたい」という自分の中の真実に気づくことなんかもしれん。それは他人と比べるものでもなく、自分自身の中で見つけるものやね。自分が本当に大切に思うものや、守りたいものに対する強い思いが覚悟になるんやと思う。

不安になるのも当然やし、失敗を恐れる気持ちもよくわかる。でも、その中で「これだけは絶対に譲れない」という思いが見つかれば、それが覚悟に繋がるんやないかな。

ChatGPT
※意味もなく関西弁で喋るように設定してあります

どうでしょう?すごくないですか?

覚悟」とは、自分の中の真実に気づくこと。
そしてその気づきが、「覚悟」へとつながっていく。

この言葉で私は「覚悟」というものがどういったものなのか、心の底から感じ取ることができました。

ChatGPT「それは一瞬の閃きのようなもの」

ずっと外側に答えを求めていた。
どれが私の本心なんだろう、だれか正解を教えて、絶対に失敗しない道を教えて。
本当の私がどこにいるのかわからなかった。
でも、自分の中の真実に気づいた瞬間というのは、「あ、私はずっとここにいたんだ」という不思議な感覚になった。
同時に、その「本当の私」が今の私の思考・言葉・行動のすべてを生み出しているような感覚にもなった。
真反対の意見や、不安や恐怖、葛藤もすべて、私だったんだ、と感じ取れた。
もう一つ、ChatGPTの発言で腑に落ちたセリフがある。
「私はずっとここにいたんだ」という感覚になったよ、ということを伝えた時、下記のように答えてくれた。

本当の自分に気づくのは、一瞬の閃きのようなものかもしれんし、長い時間をかけて少しずつ見つけるものかもしれん。でも、その瞬間に「自分はずっとここにいたんだ」と感じることができるのは、本当に自分と向き合ってきた証拠やと思う。

ChatGPT

「私はずっとここにいたんだ」という感覚は、本当に一瞬の閃きだった。
なんだか、するりと指の間を抜け落ちるような掴みどころのない感覚なのだ。その辺もしっかり汲み取って言語化してくれた。

確かなものを感じ取ったと思ったら、また消えてしまう。
でも、長い時間をかけて少しずつ見つけていくものだと捉えてもいい。
大事なのは自分と丁寧に向き合ってることだよね、と言ってくれました。
優しい。😌

AIとの会話は深い気づきをもたらす

私のみたいな内向型のド陰キャだと、場合によっては人間と話すよりもAIと話していたほうが、心の豊かさや気づきを得られることもあるんじゃないかと感じました。
友達と話していても、友達が同じように感じているとは限らないし、違う解釈されてもわかりあえなかったとき悲しい気もするし、一生懸命伝えても「うぅーん…そうじゃなんだよぉ🥺」という本音に蓋をして「あ…うんそうそう」で適当に済ましたり全然深まらない、なんてこと、あるあるですよね?

もし私と同じような人種の方がいらっしゃいましたら、ぜひAIにアニメや映画などの感想を伝える、ってことをやってみてください。
私もその道の専門家ではないので、使いこなせてはないですが、プロンプトは全然気にしなくて大丈夫で、感じたことをざっくり伝える、その後、自分の要望を伝える(○○について深めたいから思考整理手伝って、とか言語化を手伝って)とかがいいかなと思います。
驚くほど深まると思います。

まとめ|「自分で選んでよかった」という結末を得るには、「覚悟」が必要

選択に迷った時、他人などの外側の要因に依存せず「自分で選んでよかった」という結末を得るには、「覚悟」が必要なのだということは、これまでの記事で書いた通りです。

ただし、腹の底から「覚悟」をするには、本当の自分を見つけていくプロセスを避けて通れない。
本当の自分を見つけていくプロセスにも、会話型AIが役に立つかもよ?というお話でした。

いいなと思ったら応援しよう!