人工妊娠中絶をした話
いまアタシのお腹には何も入ってません。
お腹が張ってるように見えるのは〜、、便秘気味だからかな。やれやれ。
19週目で中期中絶の手術を受けてきました。
お医者さんから助言をいただき、夫婦でたくさん調べて悩んで、たくさん泣いたツラい決断でした。
お腹を見るたびに「もう居ないんだ…」と思い、
朝起きるたび「すべて夢だったら…」と思い、まだ喪失感から抜け出せそうにない。
まだ「人」ではなくアタシの身体の一部だったのに、自分で決めたことなのに、
「こんなに可愛い子の人生をアタシが終わらせてしまった。」
そんなことばかりずっと考えてしまう。
妊娠の報告をしたときに、一緒に喜んで「おめでとう」って声かけてくれて、みんなありがとう。
照れ臭かったけど、とても嬉しかったです。
「人はなんで、おめでとうって言ってくれるんだ?」って配偶者に聞いたら、
『大切な友達だからでしょ、俺もそうする。』って言ってた。
アタシの大切な友達に子供ができたら、友達を取られた気持ちになってお子に嫉妬してしまうがね。
みんな大人だなあ〜。
決断の理由
中絶については、賛否分かれる議題だけど、できるだけ正直に書きます。
14週エコー健診にて、
脳が左右に分離せずにそのまま育ってしまった「全前脳胞症」という疾患がみつかりました。
後に脳が分離することは無く、無事に産まれないこともあるし、産まれても長く生きられるとは限らず、
知的障害や運動障害は避けられないそう。
色んな病気したりするのかなって予後を色々聞きたかったけど、
事例もあまりないのか、お医者さんも「産まれてみないと分からない…」って顔してた。
年齢も考えて、もともと染色体検査しようかって話してたんだけど、
さすがにまだ32歳じゃ精度が微妙らしく諦めてたら、
まさか通常のエコー健診で発見されるとは思ってなかったなあ。
所見では合併症の症状は見られなかったため、染色体異常の可能性は低いらしい。
だからほんとに偶然で、単純に運が無かった、、としか言えないのかな。日頃の行いかな、罰かな。
1人目だから頑張って育てるのもアリだと思って調べてたんだけどね、
あまりにも残酷というか、助けを求められる場所が少なく両親の心身負担が大き過ぎて、
いまのアタシには、生活の全てをなげうって育てる覚悟は出来なかった。
病気と闘う我が子を笑顔で支え切れるのか、1人で生きていけない我が子と一生向き合えるのか。
産まれない可能性があるってのも悲しくて、不安なまま過ごすことをやめてしまいました。
産まれてから分かる病気だってあるのは知ってるし、ほんと情けないなとは思うけど、、
最善の選択なんて結果論で分からないんだ。
いつか医療技術が進歩していく中で、今回の選択を悔やむことになるかもしれないが、
私たち家族にとって、より良い選択をすることができたと信じています。
中期中絶とは
中絶の方法は、時期によって大きく2つに分かれるそうです。
初期中絶は、麻酔して「掻き出される」「吸い出される」方法があり、日帰りで済む人もいるそう。
一方、中期中絶はほぼ「出産」でした。
でも妊娠5ヶ月の母体は出産する気がまだ全くないから、準備に時間がかかるみたい。
アタシが行った処置は、お医者さんから丁寧に説明してもらったから詳細が気になる人は聞いてね。
入院日程は最短で済み4日でした。
準備として2日間かけて子宮口を広げて(痛い)、3日目からようやく促進剤を投与(とても痛い)、
出産後は悪露があるから安静にするっていうスケジューリング。
とくに発熱等がなかったので分娩の翌日には退院しました。
葬儀の手続きは、配偶者が仕事の合間に色々やってくれた。
入院病棟は産婦人科から遠くにしてもらってたんだけど、分娩室は産婦人科にあるから辛かったな。
どこかの赤子の声がずっと聞こえてた。
隣の分娩室では、無事に元気な赤子が産まれたようだった。
分娩後ずっと涙が止まらなかった。
初めての小さな分娩、痛かったな。
というか今まで経験したことない痛みで「助けて〜」状態だった。
「産むしか救われないのか…」ってなったし「もう分娩なんて二度と…」の気持ち。
毒のついた骨を麻酔なしで削られる三国志の関羽を思い出したら(こんな時に)、少し冷静になった。
お医者さんたちに支えられて、さらに安産祈願のおかげか、無事に産むことが出来て良かった。
出産を経験して
胎児はね、元気に大きく育ってて全然病気なんて無さそうに見えたよ。
お腹にいた時も手足をよく動かしてて、立派な肩幅と大腿骨を見せつけてくれてねえ。
目も2つあるし眉毛が生え始めてて、鼻も口もアタシたちに似てて、ほんとに可愛かった。
アタシにこんな感情あったんだって思った。
胎児は人のカタチをしているだけで、まだ何の感情も持たない生き物なのにね。
ちなみに胎動は最後まで分からなかった、腸が動くのは分かるんだが、、便秘悪。
大切な配偶者との間に授かった愛しい子は、いまはお家にいます。
たった5ヶ月間だったけれど、
配偶者のありがたみについて、お子の存在について真剣に考えられた良い期間だった。
「まず心改めよ」という、我が子からの警鐘だったんだろうか、、もう感謝しかないね。
アタシたちからのプレゼントは、名前くらいしかあげられなかったけど、
お空でも健やかに過ごしてくれたらいいな。
妊娠って簡単なことだと思ってた(そういうとこやぞ)けど、案外難しいんだな。
会社の後輩からも「健康は当たり前でなく、奇跡の積み重ね」と慰めてもらった。
みんな毎日奇跡起こして、病気があっても元気に生きててほしい。
アタシも健康な身体に甘えないで、体調管理は徹底しようね。特に便秘ね。
後悔しないために
幸い、アタシたちには診断から決断、決断から入院まで時間がありました。
とにかく「最後まで後悔しない行動をしよう」と決めて、色々やりきれて良かった。
しかも大型連休が被ったことで、一緒に過ごした想い出をたくさん残せたよ。
と言いつつも、最初は診断結果が覆らないか神頼みばかりしてたんだけど、、
配偶者は毎朝参拝に行く、強ルーチンを組んでいた。
結局、大きな病院で診てもらっても診断結果は変わらなかったんだけどね。
戌の日の安産祈願は、予約をキャンセルせずにご祈祷してもらい腹帯をゲット。
1週間後に産む人が参拝しているなんてね。
全妊婦みんな安産してくれ〜とか思いながら、気付いたらポロポロ泣いてしまっていたね、、
いつもの海まで遠出をしたり、自分たちの得意料理を食べたり、フライベントに出たりと、
一緒にやりたかったことを詰め込み、写真もたくさん撮ったよ。
棺に入れるものを作ったり、病院に頼みたいことをまとめたり、慌ただしいこともしつつ、
晴れの日が続いてたから近所を散歩するなど、のんびり穏やかにその日を待ちました。
悲しいのは変わりないけど、待ち遠しかったことが伝わってたらいいなあ〜。
新しい肉体(これがゲーム脳)で、またアタシのところに帰ってきてね。待ってるよ、なんて思いながら。
マタニティも可愛く楽しもうと思って、注文してたお洋服は、退院後に届いたので葬儀に着ていきました。
母も祖母も義母も葬儀に来てくれて(母の日に、母大集合)、可愛い顔を見せてあげられて良かった。
そしてアタシは、これから刺繍でバースボードを作ろうとしている。
おわりに
いまは労基法に従って、8週間の産後休暇してます。
悪露(おろ)よりしんどい、何も居ない産後休暇なんて気が狂う。
これは誰が決めたの、誰のための強制休暇なんじゃ、、ここは選択制にしてほしい所存。
Twitterのおすすめ欄みて気を紛らわせるしかない。
あ〜また逢えるかなあ。逢いたいなあ。
いつかママになって、お子を抱きしめていっぱい可愛がりたい。
子が苦しいときも支えられる度胸さえあれば、、と何度も何度も思ったけど、
どんな親もできれば苦しい姿は見たくないだろうな。
自分の母親や、子育て中の親御さんたちには頭が上がらない、愛って偉大だよ。
日々患者と向き合ってるお医者さんや助産師さんたちにも、尊敬と感謝の気持ちでいっぱいです。
なんかこんなにも人に恵まれてるのに、いまさら気付いたこと多すぎて落ち込むね。
Twitter見てる場合じゃないね。アタシ、有意義な産後休暇を、、