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「モンゴルの大粛清」とは(社会主義時代)

17世紀以降、モンゴルは清朝の支配下にあったが、1911〜12年に辛亥革命(君主制から共和制へ)が起こって以降、独立へ向けたプロセスでソビエト・ロシアの援助を取り付け、1921年にモンゴル人民中央政府を設立、1924年にはモンゴル人民共和国を建国。

建国当時、モンゴルは社会主義路線を進もうとしたわけではなかったが、背後で支援をしていたソビエトが次第に影響力を強め、1920年代にモンゴルの首相は次々に処刑されていった。

社会主義は無神論を唱えており、モンゴル社会で強い影響力を持っていた仏教に対しても、増税などで締め付けが行われたことで、たびたび寺院の蜂起などが起こった。ソビエトはこうした動きにより危機感を募らせるようになた。

1937年ー1940年には、ソビエトにおけるスターリンの大粛清に呼応するように、約800の寺院の全てが、破壊・閉鎖され、約17,000人の僧侶が処刑、それ以外は俗人へ還された。その他、ロシアとモンゴルの国境に住んでいたブリヤート系モンゴル人もスパイ容疑(ほとんどが無罪)で処刑された。

大量虐殺「モンゴルの大粛清」では、当時の人口70万分のうち、少なく見積もって2万7000人(国民の約8%)以上が処刑されたと言われている。

1990年の民主化以降、歴史の見直しが進められる中で、粛清犠牲者の無罪を政府が正式に認定する「名誉回復証明」を発行することになった。



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