社会主義時代のチンギス・ハーン
最近は空港、ホテル、ビール、ウォッカに至るまで「チンギス・ハーン」の名前が用いられるなど、絶対的なポジションを確立している「チンギス・ハーン」ですが、実は社会主義時代まで、彼の功績はあまり普及していなったと言われています。
社会主義時代にモンゴルを実質的に支配していたソ連のロシア人にとって、チンギス・ハーン及びその子孫はロシアをも征服した過去をもっていたため、民族の英雄の名は語ることも称えることも許されていませんでした。(チンギス・ハーンの生誕800周年式典は中止され、主催者は政界から追放されている。)
それ以上に意外なことは、社会主義時代以前の20世紀初頭においては、「チンギス・ハーン」はモンゴルの庶民たちの間では忘れ去られていたとまで言われています。
なぜ忘れられていたかというと、社会主義時代以前のモンゴルは近代教育制度が整っておらず、識字率も低く、印刷技術が普及していなかったからと言われています。
その意味では、社会主義時代はモンゴルの近代化の過程でもあり、ソ連影響下で、文字が伝統的なウイグル式モンゴル文字からロシアのキリル文字に変えられたものの、近代教育制度が整備され、識字率が大幅に向上したと言われている。
社会主義時代に、教育制度・印刷技術が整った結果、ソ連の影響で否定的な文句が並べられたいたにせよ、チンギス・ハーンに関する情報が書籍や新聞・メディアを通じて人々に対して普及されていった。なお、民主化以降は、チンギス・ハーンの否定的なイメージは取り除かれ、国民の英雄となっている。