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モンゴルの民主化運動〜社会主義から民主主義へ〜

モンゴルの民主化運動は1989年12月10日に始まった。1982年に始まったペレストロイカ(刷新・改革運動)が進まなかったモンゴルでは、若者(経済人・教授、学生など)が「民主同盟」として集結し、首都ウランバートルの青年文化会館前の広場で集会を行った。

以降、ウランバートル市民は毎週日曜日に中央のチンギスハーン広場に集まり民主化に向けた集会を開くことになる。1回目の集会では、「ペレストロイカ、政治、経済、社会生活上のソビエト連邦の関与」などのテーマが取り上げられた。

2回目の集会では、社会・政治改革の目標を定めた文書が読み上げられ、「多党制、多様な主義主張、議会政治、自由経済、人権、自由の保証」などをまとめて、政権側に手渡した。

当時、モンゴルにはソビエト軍が駐留していたが、モンゴルの若者たちは、あたかもソビエト軍が存在しないかのように、集会を行った。

民主化運動はその後さらに拡大し1990年3月には、政治的ハンガーストライキが起こり、当時のモンゴルの指導者、ジャンバ・バトムンフ書記長は11人の政権党政治局全員を解任させることで、3日間でストライキは収まった。その後、バトムンフ書記長も複数政党制を認めると宣言し退任。

バトムンフ書記長も、共産主義・民主主義を問う以前に愛国者であり、政治的独立を望んでいたため、モンゴルの民主革命は武力衝突もなく、平和的に展開された。

1990年7月末には複数政党制による初の自由選挙が実施された。結果は当初から政権を握っていた人民革命党の勝利となったが、モンゴル民主党などの野党も健闘。その後、チンギスカン再評価、ソ連式アルファベット(キリル文字)に代わるモンゴル文字の再使用(モンゴル文字改革)も決定されるなど、民主化への道を辿ることとなった。

個人的メモ:重要なことは、個人の利益ではなく、何が国にとってベストかを常に国民全員が考える続けること。

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